久しぶりに降った土砂降りのような大雨は、止むことを知らないのか一晩中降り続いていた。
 土をえぐるような雨。重たい鉛色の空。冷たい空気は雨に濡れた私の服を冷やし、寒さに震え上がる。どこか雨を凌げるところがあれば焚き火で身体を温められるのだが、ここら一帯は黒い泥の湿原ばかりが広がっていて火さえ起こせそうになかった。

 突然、ズブリという重い音とともに身体が沈み、進めなくなった反動で泥の中に手をついてしまった。はねた泥がびしょ濡れの顔や髪に降り掛かる。振り向けば、後足が泥にとらえられていた。
 長時間雨の中を歩き続けたせいで、私の身体は水に濡れて重くなっている。そして消耗しきった体力。今の私に泥から抜け出す術は持ち合わせていなかった。
 悟った私は、抜け出す努力も体力の無駄だとその場に座り込んだ。

 さて、どうしたものか。この降り止まぬ雨のなかここにいては凍死してしまうのも時間の問題か。幸い抜け出せたとして、見渡す限り湿原のこの土地を雨の中歩き続けたところで体力の消耗が先にくる。雨で視界の悪い景色のおかげで既に行く先は見失っている。周りに人はいないし、村も建物も見当たらない。助けを求めることもできないのか……。

「これだから雨は嫌いだ」

 私は一人悪態をついた。旅の途中、雨は私の邪魔ばかりしてくる。雨は洪水や土砂で道を塞いでみたり、雨のために出発を遅らされたり、こうして身体を濡らされて体力を吸い取られ、寒さに震え上がらせる。それに、雨は私の苦手な涙によく似ている。雨が大地に叩き付ける音は誰かの泣き声か……

 ふと、そんな雨音が急に小さくなった。背中に痛い程叩き付けていた雨も、急に勢いを消す。不思議に思った私は、ゆっくりと顔を上げて空を見上げた。
 空はやはり鉛色の雲を漂わせていたが、所々に切れ目ができておりその隙間から太陽の軟らかい光が差し込んでいた。弱まった雨は小降り程度になって、日の光を受けて光の筋を作り出している。
 やがて、うっすらと七色の筋が空に走った。それは徐々に色を濃くし、ともに重い雲が消されるように空が明るくなってゆく。虹だ――

 己の身体を見てみれば、泥に汚れたはずの肌が雨に流されたのか消えている。雨に冷えた身体は、雲の隙間から射す弱い日の光でさえ温かく感じさせた。
 私はゆっくりと立ち上がり、泥にとらえられた足に力を込めた。
 しかし、水を含んだ泥は想像以上に重い。次に力を込めた勢いで、とらえられた足は靴を脱ぎ捨てて泥から逃れた。裸の足がピチャリと心地よい音とともに湿原の泥を踏みしめる。濡れた重い靴から開放された足は軽々と動いた。その感覚に私は思わず口角を上げる。

「……雨も、悪くないか」

 裸足のまま冷たい泥水を弾き、私はもう片方の靴を脱いだ。どうせ泥だらけなのだ。今更足が泥にまみれたところでさして問題はない。

 私は裸足のまま湿原を歩き続けた。行き先は決まっている。雲と雲の切れ目、日の光が射し込む先――


(あの虹の向こうに、最果てがある)

旅の記録『レーゲン湿原の虹』より
――ライゼ・ナハト=マアル


earさま提出 テーマ:虹
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