それは、すべてが青い街だった。
建物はみんな青色で、上を見上げれば雲一つない空が広がっていた。
一歩足を踏み出してみれば、パシャンと軽い水音が響く。この長旅ですり切れたブーツに水が入り込み、ズボンの裾が僅かに濡れた。よく見れば、この街の地面は、空の色を写した海水が薄く張っていた。
この辺りは砂浜で、すぐそこは海だ。砂浜にある街だから海水が張っているのだろうが、この満潮にもならない日中からこれでは夜には街が沈んでしまうのではないか……。
しかし不思議だ。先ほどから街をくまなく歩いているが、人っ子一人見当たらない。
公園のゴミ箱には空き缶ひとつ入っていないし、空を遮る建物には人が住んでいる気配さえなかった。
ふと、急に道が開けて街の中心であろう噴水広場にでた。
噴水は勢いよく噴き出し、みごとな曲線を描いて流れている。その噴水の前に、小さな人影が見えた。
「もしく、貴方はこの街の人ですか?」
私はそっと人影に近づきながら声をかけた。
人影は振り向くと、その海のような青い目を細めて私に微笑んだ。姿が明らかになった人影は少年だった。深く被った帽子は青く、幼さを残すしわのない小さな手足は恥ずかしそうに身体を縮こませていた。
「そうだよ。でも、僕の他には誰もいないんだ」
少年は微笑を消して悲しそうに話した。
「どうして、君だけ?」
「この街は昔、大きな波に呑まれて壊れちゃったんだ」
少年は胸の辺りを押さえてそのまま俯いてしまった。私は少年の表情を伺おうと下を向いたが、背の低い彼を覗き込むことはできない。そしてなぜか、地面に薄く張った海水でさえ彼の姿を写していなかった。
「だから、みんな出て行っちゃった」
少年にしては低い声が海水を揺らすように響く。
「それにしては随分綺麗な街じゃないか」
私は街を見上げて言った。
現に、この街の建物たちには傷一つ見当たらない。街が建設されてから時間が止まったようにそのままの姿を残しているようだ。そう、時間が止まったようにーー
「うん、僕が綺麗にしたんだ。でも、みんな戻ってきてくれない。また、人が住む賑やかな街を作りたいのに」
少年は私を見上げてきた。泣いていたのだろうか、青い目には涙が浮かんでいる。
まったく、私はこの手のものに弱い。子どもの泣き声や泣き顔は嫌いだ。この前も村の迷子の子どもを構ってしまい、とんだ寄り道をくってしまった。それなのに、私はまた無意識に話を進めていた。
「それなら私が呼んであげよう。私は旅人だ。旅の途中でこの街があることをみんなに話していこう」
「本当! ありがとう」
少年の泣き顔が一気に笑顔に変わる。
「その代わりと言ってはなんだけど、一晩ここに泊めてくれるかな?」
子どもにせがむとは情けない。しかし、空を見上げれば日も暮れつつある。今夜はここで一晩を超すしかなかった。
「いいよ。泊まれる家はいっぱいあるから」
少年はすんなりと答えると、私の上着のポンチョを掴んで引っぱり家へと案内した。
◇◇◇
その夜、私は夢を見た。
砂浜近くに広がる美しい街。人々の声にかき消されるさざ波の音はしかし、急に轟音を成り代わって街を襲った。大きな波と化した海は街ごと呑み込んでいく。
街は跡形もなく消えた。代わりにあるのは、ただ美しく青い海だった。
私は声を上げて跳ね起きた。同時に、身体の重さと冷たさに身震いを覚えた。
辺りを見渡してみれば、ここは少年に案内された小さな家。しかし、その床は水浸しになっており、私が寝ているベッドまでもが水に沈みかけていた。
私は急いで家の扉に走った。濡れた服が体力を奪い、深い水が足に纏わりつく。
閉められた扉は水の力でびくともしない。しかし、私は力一杯にその扉に体当たりをした。扉は金具を壊されその場に倒れた。現れた外の景色は、海に沈んでゆく街の姿だった。空には月が浮かび、星たちが瞬き合っている。満潮だ。
「また、壊れちゃうね」
ふと声がした方を向くと、少年が悲しそうに沈んでゆく街を見つめて私の隣に立っていた。
「……夢を見たんだ」
私は小さく、だが少年に聞こえるように言った。
「この街が波に呑まれる夢を。街は壊滅。もうここは地形の変化で満潮を迎えたら海になってしまう。ここに街は作れない」
「そうか……見たんだね」
少年はやけに大人びた表情になって答えた。そして、私の真正面に移動すると、私を見つめてこう言った。
「夢なら、覚めないとね」
次の瞬間、海のさざ波の音とともに辺りが真っ白になった。思わず目を瞑ってしまった私はそっと目を開く。しかし、そこに少年はおろか街の姿さえなかった。あるのは、ただ美しい海だった。
旅の記録『ヴェレ海の街と少年』より
ーーライゼ・ナハト=マアル
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夢の中の青