「っあ…!」
「……」


私は自分の今置かれた状況を理解して、一瞬で身体中からざあっと血の気が引いた。たった今、何故か私はシングルトレインのホームの何もないところで躓き盛大によろけて転びそうになったのだが、たまたま近くにいたノボリさんの腕に支えられ地面との激突を回避する事が出来た。…しかしなんと私を支えたノボリさんの手は、あろうことかホームのベンチの尖った角に押し付けられていたのだ。私の体重という圧力をかけられて。


「すっ…すみませんノボリさん!お怪我は!?」
「この通りでございます」
「……っ!あ、あああの…!私、何て言ったらいいか…申し訳ありません!」
「……」


掲げられたノボリさんの真っ白な手袋は、じんわりと赤く染まっていた。ああ、あああ。なんて事、天下のサブウェイマスターノボリさんにに怪我をさせてしまった!急いで頭を下げて謝罪をするも、ノボリさんは無言のまま。…こ、怖いんですけど!


「い…痛い、ですよね…?」
「……」
「本当にすみませんでした!わ…私なんでもします!だからどうか、」
「なんでも?」


怖いくらい無言を貫き通していたノボリさんがようやく私の言葉に反応した。というか言葉を遮られた。


「なんでも、そうおっしゃりましたね」
「は、はい」
「では舐めてくださいまし」
「………は?」


ノボリさんは手袋を外して私に手を差し出した。手袋を外した手の甲には小さな傷が出来ていたけど、私が思っていたほどの重傷ではなさそうである。良かった………っていや、違う。そうじゃない。私は目をこれでもかというほど見開いた。…今ノボリさん何て言った?舐めてくださいまし?舐めろって、何を?ノボリさんは手を私に差し出したまま私をじっと見ていた。…いやまさか、舐めろって、手を?


「あ、あの…舐めるってどういう、」
「この血の滲んだ手を、ですが?」
「えっええ…!」
「なんでもする、と言ったでしょう」
「いや言いましたけど!」
「…不満があるのですか?」


ノボリさんの目は本気だった。しかも本気と書いてまじと読む、なんていう余裕もないくらい視線が怖かった。冗談ではないらしい。というか、そもそもノボリさんは冗談を言うような人ではない。意味が分からないし嫌で堪らないが、相手はサブウェイマスターのノボリさんだしどう考えても非は私にあるので、私は意を決し目を詰むってノボリさんの傷を舐めた。…うわ、当たり前だけど血の味がする。まずい。

それでも我慢して一通り傷を舐め終わると、私は傷口から口を離し顔を上げた。が、まだですよという抑揚のない冷たい言葉に再び愕然とする事になる。


「また血が滲んできました。…そうですね、今度は音をたてて舐めてください」
「え!?」
「吸ったりすれば自然と出るでしょう。噛んだり歯を立てたらぶちますよ」
「んぶっ」


有ろう事か、今度は無理矢理唇に手を押し付けられた。さっきもだけど私に拒否権はないらしい。というか、ぶちますよってどういう事?叩くって事?なにそれこわい。私はビビりながら音をたてる事を意識しながら傷を唇で吸い上げた。


「ん、ちゅっ…ふ」
「そうです。その調子ですよ」
「ちゅる、」


信じられない私何してるんだろう意味分からない。何でノボリさんの手なんか舐めてるの、いやまあノボリさんに言われたからだけども。褒められたってちっとも嬉しくなんかない。…というか私実は真面目で仕事熱心なノボリさんに憧れてたのに、こんな変な趣向を持ってる人だったなんてあまりに酷すぎる。

そんな事を頭の中をぐちゃぐちゃにしながら考えていると、頭を軽く叩かれて我に返った。


「あ、あの…?」
「いつまで舐めている気ですか」
「えっ」
「わたくし先程からもういいですと何度も申しましたよ」


私ははっとしてノボリさんの手から口を離して飛び退いた。しまった、ぐちゃぐちゃ考え事してて全然気が付かなかった。


「私の声に気付かないほど夢中になっていたのですか?そんなに舐めていたかったのならどうぞ、お好きなだけ舐めたらどうです」
「ちっ違います!」
「まあ血も止まったようですし、今回はこれでチャラに致しましょう。今回は」


ノボリさん、何でそんなに今回はを主張するんですか。それじゃあまるで次があるみたいじゃないですか。呆然とする私を余所に、ノボリさんはポケットから当たり前の様に新しい真っ白な手袋を取り出して怪我をした手にはめ、マスターの執務室のある方へと踵を返した。私は憧れの人の意外…というか狂気じみた一面に唖然とし、へなへなと床にへたりこんだ。…口の中が気持ち悪い。

翌日、ノボリさんの秘書という名の奴隷…むしろ犬になる事を、この時の私は知るよしもなかった。





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