相沢さんも朝倉さんも、用具倉庫の入口を見たまま呆然と立ちすくんでいました。なんというタイミングの悪さでしょう。そこに立っていたのは、あろうことか今まさに話題の中心人物である綾部くん張本人だったのです。


珈琲と砂糖菓子のワルツ


「…あっ綾部くん、今のは違うのよ!ほたるも悪意があって言った訳じゃないの!」
「…………」


いち早く我に返った朝倉さんは何とか弁解をしようとしましたが、綾部くんはその言葉に聞く耳も持たず、早足に用具倉庫に入ってきます。朝倉さんは一瞬綾部くんがいつものお決まりの調子で相沢さんに話しかけるのかなと期待しましたたが、その望みはあっさりと砕かれました。綾部くんは相沢さんに話しかけるどころか、まるで何も見えていないかのようにただ真っ直ぐと前を見て歩き、そのまま相沢さんの横を通り過ぎたのです。驚いたのは朝倉さんだけでなく相沢さんも同じで、二人とも声も出せずに再び立ち尽くしました。綾部くんが思いを告げてから今まで、相沢さんの横を素通りした事などなかったのです。唖然とする二人をよそに、綾部くんは奥の棚から二つの大きな箱を手に取ると、相沢さんではなく朝倉さんに向かって口を開きました。


「朝倉、苦無と手裏剣一箱ずつ借りるよ。記録に四ノいって書いておいて」
「、え」
「今日の授業後には返しにくるよ」


そうとだけ言うと、綾部くんは再び用具倉庫を出ていきました。相沢さんに対する綾部くんの態度の急変に慌てふためく朝倉さんをよそに、当の本人である相沢さんは相変わらず言葉も発さず立ちすくんだまま。朝倉さんは戸惑いながらも相沢さんの肩を揺さぶり正気を取り戻させようとしました。


「ほたる、しっかりしなさい!」
「っ」
「今のはあんたが悪いわ。早く追いかけなさい!」
「、え」
「謝りにいくの!早く!」
「っ…う、ん」


相沢さんは定まらない思考のまま、朝倉さんの言葉に弾かれるように走り出しました。


*


「っ綾部……綾部待って!」


用具倉庫を出て少し走ったところで、相沢さんは紫の忍装束に追いつきました。しかし、相沢さんが呼び止めたにもかかわらず、綾部くんは歩みを止めませんでした。まるで相沢さんの声など聞こえていないかのように、黙々と四年生教室へと歩き続けています。


「…、綾部ってばっ!」


袖の裾を掴まれて、綾部くんはようやく動きを止め、無表情のまま後ろを振り向きました。


「…何か用?」
「何か用って…その、」
「用がないならぼくもう行くけど」


自分に向けられる見た事のないような冷たい目に、相沢さんは戸惑いました。今まで何を言っても、どう罵られても平然としていた綾部くんが、相沢さんに対してはっきりと敵意を見せているのです。驚きと戸惑いでうまく声も出ません。どうしてあんな心にもない事を言ってしまったんだろうと、相沢さんは思わずにはいられませんでした。前は確かにそう思っていたけれど、今は確実に綾部くんに対する気持ちが変わっているのです。とにかく謝らなくては、と相沢さんは必死に言葉を紡ぎます。


「っあの、……さっきは、ごめんなさい」
「何で謝る訳?あれが相沢の本心なんだろう」
「、」


射抜くような綾部くんの目に圧倒されて、相沢さんは再び上手く言葉を発する事が出来ません。


「あっ…そうじゃ、なくて…」
「安心して良いよ、ぼくはもう君に話しかけないし関わらない」
「……え…?」
「君が望んでいた事だ」
「あや、」

「……さようなら、相沢さん」


袖を掴んでいた相沢さんの手がするりと解け、綾部くんは一歩後ろに後退しました。そして呆然とする相沢さんを一瞥して一瞬目を伏せると、そのまま踵を返しました。残されたのは、もう本当に放心しきった相沢さんだけ。

翌朝、相沢さんが襖を開けても、部屋の前に文と蒲公英はありませんでした。


15.零れた珈琲と溶けた砂糖菓子






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