「お待ちなさいクダリ!」
「たすけてほたる!」
「へぶっ」
なんだ、なにが起こった。ものすごい圧迫感に一瞬思考がショートした。ちなみに上の台詞は順にノボリさん、クダリさん、私で、つまり最後のオタマロが潰れたような声は私のものある。顔が何か暖かく固いものに押し付けられ、身体は絞め殺されんとばかりにぎゅうぎゅう拘束されている。
……ふ、何が起こったかだって?分かってる癖に、現実を見ろよ、私。
「クダリさん苦しいです離してください」
「やだほたるたすけて!ノボリこわい!」
「クダリ、ほたる様から手を離しなさい!」
「やだー!」
クダリさんは先日私にお仕置きという名のセクハラをして以来、何故か味を占めたらしく時たまこうして普通に私を抱き込むようになった。拘束された身体が痛い。いやそれより顔を胸板に押し付けられているせいで呼吸が苦しい。顔を背けようとしたけどより強い力で後頭部を押さえ付けられた。ファック。クダリさんファック。
「ああもう、ファンデーションついても知りませんよ」
「へいき。ほたるからのマーキング」
「その発想はありませんでした」
「クダリ、ふざけた事を言っていないで戻りますよ!」
「っ痛い!ノボリが殴った!」
ノボリさんの鉄拳を喰らいぴいぴいうるさいクダリさんに溜め息をつきながら、横目で電光掲示板を確認した。…あれ、トレイン動いてる?
「あの、ところでお二人は何で鬼ごっこしてるんですか?見たとこ今マルチトレイン動いてるみたいですけど…」
しかもモニターの19の番号が点滅して消え、今度は20の番号に光りが点った。挑戦者は十九戦目に勝って、二十戦目に挑むところだろう。そろそろ持ち場につかなくてはまずいんじゃないだろうか。
「…それが、困ったことにクダリが今日はバトルしないと言ってきかないのです」
「え!あのバトル大好きなクダリさんが!」
驚いてクダリさんを見ると、彼にしては珍しく自分から目線を反らした。いつもは見るなって言っても見るくせに。どうやらノボリさんの言っている事は本当らしい。バトルサブウェイのトレーナーは皆バトル狂だけど、中でもノボリさんやクダリさんはトップクラスである。だからこそのサブウェイマスターなんだろうけど、そのクダリさんがバトルをしたくないだなんて。ここの清掃員になってから初めての出来事だ。
いつもなら面倒だからあまり関わりたくないけど、クダリさんがバトルしたくない理由がなんとなく気になった。野次馬心で失礼だけど、もしかしたら解決するかもしれないし。私は思い切って聞いてみる事にした。
「クダリさん、何かあったんですか?」
「……」
「あ、言えない感じですか」
「…デンチュラ」
「え?」
「ぼくのデンチュラ、今体調良くないからポケモンセンターにいる。今までずっといっしょにバトルしてきたのに…」
なるほどデンチュラが。確かにクダリさんはマルチトレインの先発にデンチュラを出していた気がする。彼は手持ちをとても大切にしているみたいだから、一緒にバトルできないのが嫌なんだろう。それなら仕方がない………となるはずはない。私もゾロアがとても大切だから気持ちは分からないでもないが、クダリさんは子供じゃないし、ましてバトルサブウェイのマスターなのにそんな我が儘が通るはずがない。心配なのは分かるけど、ポケモンセンターにいるのならジョーイさんとタブンネがお世話をしてくれているはずだから大丈夫だろう。
「クダリさん、マルチトレインに行ってください」
「やだ」
「…じゃあ、とりあえず離してください」
「やだ」
「(いらっ)」
ああもうなんでこの人こんな子供なんだろう。多分今何を言ってもこのまま動かないだろう。仕方がないから張り付いたままのクダリさんの背中をちょっと撫でた。ぴくり、とクダリさんの身体が跳ねる。
「クダリさん、このままここにいたら挑戦者の方とノボリさんが困ります。サブウェイマスターなんだからちゃんと仕事しなきゃだめです。それにデンチュラだってクダリさんにバトルして欲しいと思ってると思います」
「ほたる様の言う通りですね。貴方はデンチュラの分まで仕事を全うすべきです」
私とノボリさんの言葉にクダリさんはおずおずと顔を上げた。なんだか叱られた後の子供みたいな顔をしていてちょっと笑ってしまったら、無言で背中に回されたクダリさんの腕の力が強くなった。痛い。
「……わかった、ぼく、マルチにいく」
ようやくぼそぼそとそう言ったクダリさんに、ノボリさんはほっとしたように「よく決心しましたね。偉いですよクダリ」とか言っていた。おいおいほんとに子供扱いだな…というか褒めて伸ばす作戦?なんでもいいけど。
「では急ぎますよ。お客様は既に二十戦目真っ最中です」
「でもぼく元気ないから動けない。ほたるがちゅうしてくれたらがんばれる」
「無理です」
再び頭に鉄拳を受けたクダリさんはノボリさんと共にマルチトレインに、バトルサブウェイの移動用ポケモンであるランクルスのテレポートで向かった。その数十秒後に21の番号に光りが点ったが、多分間にあっただろう。まあ私には関係ないけど。
静かになった途端、何をしたわけでもないのにどっと疲れた気がする。ふと時計を見れば、まだほとんど掃除してないのに大分時間が進んでいた。私は定時きっかりに上がる為、急いでモップを掴み掃除を始めた。取りあえずクダリさんには次に会った時、困った時私の所にくるのは止めるよう言っておこう。
04.嵐のような人