「ほたる!!」


クダリさんが私に会いにくるのは珍しい事ではない。むしろ毎日どころか一日に数回姿を現すなんて事はザラだったので、今ではもう特に気にしてすらいなかった。だがしかし、朝一でバトルサブウェイの正面入口に立っていて、私を視界に入れた瞬間猛スピードで走ってこられたのは今日が初めてで、私の名前を大きな声で叫んだクダリさんのその剣幕に思わず出かけていた欠伸が途中で止まってしまった。いや、その顔で自分に向かって全力疾走されたら普通に怖いです。…ていうか、あれ。何で止まる気配がないの。


「ちょ、ちょっとクダリさん、減速し、っうぶ」
「ほたるのばか!うわきもの!」
「っ…!」


もし今の衝撃を音にしたなら、ドーンだとかバーンだとかがぴったりだったと思う。力加減なんて知らないクダリさんが助走までつけて飛びついてきたせいで、私はその硬い胸板に思いきり鼻をぶつけた。(ただでさえ気にしてるのに、これ以上低くなったらどうしてくれるんだ)…何考えてるんだこの人、ふざけてんのか。めちゃくちゃ痛い。正直そのふざけたにたにた顔を殴ってやりたかったが、それよりも何か嫌な単語が耳に入ってそれどころではなかった。…何だって、浮気者?何を言ってるんだ。


「浮気者ってどういう意味ですか?思いきりタックルされた事にはとりあえず目瞑りますから離れて説明してください今すぐに」
「ばかばかばか!うわきもの!ばかー!」
「大きな声で誤解されそうな事叫ぶの止めてもらえませんかね!」


ああ、どうしてこの人はこうなんだ。クダリさんに飛び付かれて動けない私の横を、駅員の人や清掃員のおばさん達は生温かい目を向けたりにやにやした顔をしたりしながら通り過ぎて行く。今日のバトルサブウェイの世間話の話題は決定だな、なんてまるで他人事のように思った。…うん、もういいや。もう今更言ったところで何人にも目撃されてしまったわけだし。私は喚き散らすクダリさんの腕の中で、言葉を発するタイミングをしばらくじっとしながら待った。


「ばかばか、ほたるのばか」
「…」
「ばかばかばかばか」
「何回馬鹿馬鹿言えば気が済むんですか。いい加減怒りますよ」
「やだ!だってぼく悪くない!」
「…はあ。少しは落ち着いたみたいなんで改めて聞きますけど、浮気者ってなんですか?人聞き悪いにもほどがあるんですけど」
「だってほたる、うわきしたでしょ。クラウドが見たって言ってた」
「浮気の意味分かって言ってます?大前提として私とクダリさんは恋人でもなんでもないんですけど」


クダリさんがほんの少し潤んでいるように見える目で私を真正面からじっと見つめてくる。ものすごく居心地悪いしこんな至近距離でほんとに止めて欲しい。ていうかクラウドって誰?何勝手な事クダリさんに報告してくれてしまってるんだ。まあ、十中八九駅員の誰かだろうけど。何故私が彼の顔を知らなくて彼が私を知っているのかといえば、間違いなくクダリさんのせいだった。あの人がやたら騒ぎ立てるせいで、バトルサブウェイで働いている従業員で私を知らない人は少ない。私は目立ちたくなんてないのに、全くもって不本意である。


「で、そのクラウドさんが何を見たっていうんですか?」
「…クラウドが、ほたるがぼくじゃないやつといっしょにいて、仲よく話してるの見たって」
「いや私だって普通にクダリさん以外の男の人とだって話しますよ。仲良くではないですけどトレインの場所とか乗り換えの仕方とかよく聞かれますし」
「ちがう!仕事中じゃなくて、ゆうえんちで見たって言ってた」
「遊園地?…………ああ」


遊園地で会ってたって事はトウヤさんの事か。…あ、トウヤくんて呼ばないといけないんだっけ。なんだ、トウヤくんならクダリさんとも知り合いらしいし、別に話してたって怒るような要素全くないじゃないか。クダリさんと世間話するくらいの仲って事はバトルサブウェイの常連で顔馴染みなんだろうに、そのクラウドさんとやらはなんでクダリさんにその事言ってないんだ。


「…え、心当たりあるの」
「まあ」
「う、うそ!ほんとにうわきしてるの!?」
「さっきも言いましたけど私とクダリさんの間柄で浮気という言葉はおかしいです」
「なんでなんでー!ぼくがいくら誘っても出かけてくれないのに!」
「いやたまたま会っただけで、って痛い!離してくださいって言ってるのになんで締め付けてくるんですか!」


本当はトウヤくんがゾロアを見るために私の事待ってたみたいだからたまたま会ったっていうのは嘘だけど、これ以上なんか余計な事言うとクダリさんますます面倒になりそうだしまあいいだろう。絞め殺されるよりましである。


「…ほんとに?たまたま?うわきじゃない?」
「何度も言いますが浮気ではないです」
「ほんとにほんと?」
「しつこいです」
「…なあんだ、やっぱりそうだよね!まあぼくははじめからほたるがうわきなんてするはずないって分かってたけどね!」
「さっきめちゃくちゃ疑ってましたよね。浮気の概要についてはもう指摘するの諦めます」


なんかよく分からないけど、ようやく納得してくれたらしいクダリさんはウジウジジメジメした空気から一転、いつものあの無駄に明るい空気を纏いけたけた笑い始めた。……疲れる。この人本当に疲れる。


「ねえ、でもゆうえんちでだれかに会ってたんだよね?ぼくの知らない人?仲いいの?」
「いや、別に…クダリさんも知ってる人ですよ」
「えっ!だれ、」


クダリさんの台詞を遮るようにして、ガガッ、という放送のスイッチが入る音がした。まだ朝の放送の時間には早くて、私はなんとなく放送の主が分かってしまった。お疲れ様です。


『サブウェイマスタークダリ!職務をほったらかして何処をほっつき歩いているのですか!今すぐ戻ってきなさい、朝礼までに顔を出さなければ今日トレインには乗せません!!』

「げ、ノボリだ」
「…なんかノボリさんめちゃくちゃ怒ってますけど、まさかクダリさん出勤してからずっとここにいたんですか?」
「えへへ」
「えへへじゃないですよ」


私が遊園地で誰かに会ってたってだけで仕事を放棄するクダリさんは本当によく分からない人だと思う。まあ、元々サボり癖はあったみたいだけど。


「だってほたるがぼく以外の男とデートしてたかもしれないなんて聞いたらそりゃあ確かめなきゃいけないでしょ」
「そんな理由で仕事サボらないでください。ノボリさんあれ相当きてますよ」
「うん、だから今はもうもどるね。またあとで会いにいくから!」


来ないでください、そう言う前にクダリさんは腰に付けていたボールからバトルサブウェイの移動用ポケモンランクルスを出し、テレポートであっという間に姿を消してしまった。…びっくりするくらいマイペースで勝手な人だな。ていうか私もそろそろ行かないと時間的にまずいんだけど、行けば清掃員のおばさん達に質問攻めに合うのは目に見えていて、なんていうか、うん、もう、帰りたい…。



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