「ただいまー…」
「遅いでは、ありませんか!」
「ぎゃあ!」


私は一人暮らしだ。家に帰れば習慣で「ただいま」とは口にするけど、それは誰かに対して言っている訳ではない。つまり私の「ただいま」に言葉が返ってくるのはおかしい訳で。しかもそれだけではなく、私は今家に入った瞬間中からタックルをかまされたのだ。つまり一人暮らしの私の家に、今私以外の人間がいる事になる。

ここで中にいた人物の選択肢を上げるなら、普通は合い鍵を渡している家族、もしくは泥棒などの不法侵入者である。しかし私の家に入る事の出来る人物は、実はその他にもう一人いる。…うん、まあ、声で分かってたんだけどさ。私はタックルをかましたままくっついている人物を引き剥がした。


「…ノボリさん、いくら合い鍵渡してあるからって連絡なしに勝手に家上が、…ってお酒くさっ!」
「ほたる、帰ってくるのが遅いですよ。こんな時間まで何をしていたのですか」
「いや仕事ですよ。ていうかお酒くさいです離れてください!」


中にいたのは家族でも不審者でもなく、家族以外で唯一私の家の合鍵を持っている恋人のノボリさんだった。ノボリさんは冷静沈着で温厚、真面目すぎてたまに融通がきかない所はあるがしっかりとした常識人で、決して人の家に勝手に上がり込むような人ではなかった。だがしかし、彼は今素面ではない。見た目からは分からないが、ものすごいアルコール臭を放ち泥酔している。仕事上がりで疲れているのに面倒な事になりそうな予感しかしなくて、私は露骨に顔を歪めた。


「仕事仲間と飲み会だったんですか?お酒強くないんだからあんまり飲み過ぎたらだめって言ってるのに…。それで、こんな時間に何の用で?」
「………ほたる」
「何ですか?」
「二日ぶりですね」
「え…そうですね」


ノボリさんが急に真面目な声を出すものだから少しは落ち着いたのかと思ったけど、顔を見るとやっぱり目が据わっていたのでそれは気のせいだった。いや怖いよ。酔ってるのに何でそんな変に落ち着いてるんですか。


「えーと…とりあえず、お水持ってきますね」
「…わたくしを一人ここに置いていくつもりなのですか。いつからそんなに冷たい女性になってしまったのでしょう」
「いや勝手に人の家上がり込んどいて何言ってるんですか。ここ私の家だから何しようと私の自由ですよ。というか貴方の為に水取りに行くんです」
「そういうのを世間ではツンデレというのですよ。ご存知ですか?」
「ノボリさんツンデレの意味もっかい調べてきてくださいね」


ああ、こりゃ駄目だ。なんだか日本語が通じてない、ていうか会話のキャッチボールが出来てない。このまま酔っ払いの相手をしていても埒が明かないと思ったので、私は強行突破しようとフローリングに座り込んだままのノボリさんの横をすり抜けてキッチンに向かう。が、瞬間、腰に何かが巻き付く力強く感触がした。


「行ってはいけません」
「は?意味分からな…ていうかそんな締め付けたら痛いです!」
「駄目です、今放したら貴女は私から離れていくでしょう。傍にいてくださいまし」
「いや、ちょっとよく意味が…」
「わたくし、寂しかったのです。…ほたるは、わたくしに会えなくて、寂しくはなかったのですか」
「え…なんですかいきなり。ていうかそんなの、」


答えるまでもなく寂しいに決まってるのに。だけどそれを口にしないのは、私とは比べられないくらい仕事が忙しいノボリさんを困らせない為なのに。口に出したら我慢出来なくなってしまいそうだから言わないだけなのに。そんなのはノボリさんだって百も承知のはずだから、普段はそういう話題は出さないのに。…うーん、お酒の力ってすごい。


「ほたるの傍にいたいのです。もっとたくさん、いつも」
「…ノボリさん、ベッドに行きましょう。今日は飲み過ぎたんですよ」
「違う、わたくしは、酔ってなどいません。わたくし、考えたのです。わたくしの仕事は不定期で、その上ほたるも働いていている為滅多に会えません。ならば、どうすれば一緒にいられるのか。簡単な事だったのです、帰った家に、ほたるがいれば良いのです」
「……は、」
「愛しております。わたくしは毎日、ほたるのいる家に帰りたい。ほたるの顔が見たい。…だから、どうかわたくしと、結婚してくださませんか」


ノボリさんの揺れる熱い瞳に見つめられて、まるで時間が止まってしまったかのように、私の全身はぴくりともせず硬直していた。い、いや…だって、嘘みたいで、信じられない。私、ノボリさんにプロポーズされてしまった。


「え、え、え…!ノボリさん、ほ、本気なんですか?急すぎじゃないですか?」
「………」
「私達今まで一度もそんな話した事ないし、そんな答えを急ぐ必要ないんじゃない、ですかね…」
「……」
「ノボリさん、聞いてますか………って、寝てるし!」


嘘だろ。寝たよ。寝たよこの人!!こんな真剣な話、しかも切り出したの自分のくせに!一気に足元が崩れ落ちるかのように力が抜けていく。一人どきどきして、緊張して、強張ってしまった私の立場って…。


「そういう事は、シラフの時に言ってくださいよ…」


これではうっかりときめいてしまった私がただの間抜けではありませんか。



.
.
.


「…ん、……」
「あ、起きました?おはようございます」
「ああ、おはようございま……ってほたる!?何故ここにっ……うっ、」
「何故ここにってここ私の家ですよ」
「え、あ…?わたくし、何を…き、記憶がないのですが…」
「それよりもう六時半ですよ。早く支度したほうがいいんじゃないですか」
「六時半!?」


どうやらお酒のせいで記憶がぶっ飛んでいるノボリさんは色々困惑してるみたいだけど、現在時刻を伝えると、それ所ではないと慌ててベッドから飛び起きた。


「本来なら既に出勤している時間…!何故起こしてくださらなかったのですか!?」
「勝手に人の部屋上がり込んどいてよく言いますよ…」


聞いちゃいなかった。ノボリさんはうちに泊まりに来た時の為に置いてある自分の着替えをクローゼットから引っ張り出し、私の目も気にせず着替え始めた。まあ多分遅刻なんてした事ないからなんだろうけど、相当切羽詰まっているようである。


「事情はよく分かりません、が!本日の業務が終わったらきっちり説明してくださいまし!」


吐き捨てるようにそう言うと、ノボリさんは朝ごはんどころか珈琲の一杯も口にせず、荒々しく扉を開けて出ていった。うん、仕方ない。本人もご所望のようだし、今度はもう一度ちゃんとプロポーズをしてもらおうではありませんか。

私は口角が上がるのを隠しもせず、なみなみととカフェオレの注がれたティーカップにゆっくりと口を付けた。





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