―――小夜視点
私はただ泣くことしか出来ずに、イズナさんの手を握っていた。そんな事をしている間にも、イズナさんの顔色は次第に悪くなり、咳を何度も繰り返す。
「……イズナさん…!しっかりして!やっぱり、お医者様を呼んでこなくては…!」
「姉さん……もう、いいんです………それより、最後に…姉さんに話したいことが…あるんです…」
イズナさんは私の手を握りしめては、必死に体を起こそうとしていた。
「姉さん……どうか、兄さんをこれからも支えて下さい……兄さんには…姉さんが必要なんです…」
「……私には…マダラを支えることなんて…出来ないわ…」
すると、イズナさんは首を振って優しく私に微笑んでいた。
「姉さんなら…大丈夫です。……姉さんは兄さんを愛していますから…」
……えっ…?
私がマダラを……?
そんな事はないわ…だって、私はイズナさんの事をずっと想っていた筈よ…。絶対に有り得ないわ…
「…私はイズナさんが好きなのよ…?あんな人を好きになった覚えはないわ…」
何故か私はイズナさんの顔を見て、話すことが出来なかった。
「姉さんは……もっと素直になって下さい…そうすれば…いつかきっと……ゴホッ…ゴホッ」
イズナさんはそう言うと、体勢を崩して私にもたれかけて何度も咳を繰り返しては本当に苦しそうだった。
私はイズナさんの背中をさすり、近くにあった薬を飲ませようとしていると、お医者様が慌てた様子で襖を開けて、部屋に入って来る。
「イズナ様!」
「爺か……もう、無理みたい…この体…ゴホッ!ゴホッ!」
「イズナさん!しっかりして!!」
すると、お医者様は沢山の器具を取り出して治療を始めていた。その傍らで私は何もすることが出来ずにただ、イズナさんの手を握っているだけだった。
何人かの女中さんがイズナさんの容態に気付いたのか、皆を呼び掛けて医療品を持っては部屋を行き来していた。
……嗚呼…イズナさん…どうか無事で…
私はイズナさんの手を握りしめながら無事を祈った。
貴方が…もし、いなくなったら…
……貴方を慕っている加代や…マダラはどうなるの?
だから、絶対に回復して…!
すると、いきなり襖が激しく開いて私は顔を見上げて見ると、マダラが慌てた様子でイズナさんの元に向かった。
本当に心配ていて、あのマダラが今にも泣きそうだった…。
「イズナ!しっかりしろ!」
イズナさんはマダラに返事をすることが困難な程に弱っていた。
すると、お医者様は治療に専念するために私とマダラを部屋から出るように促し、私達はイズナさんの隣の部屋で二人きりになった。
“……姉さんは兄さんを愛していますから…”
先程のイズナさんの言葉をふと、思い出して私はマダラをまともに見ることが出来ない…。
今、イズナさんが大変な時だというのに…こんな事を考えてしまうだなんて…
マダラを見るたびに勝手に胸の鼓動が高まって、胸が苦しい…
私は……どうすればいいの…?
マダラに話し掛けてみようかと、おそるおそるマダラの服を掴もうとすると…
「オレに気安く触るな!」
いきなりマダラは怒鳴ったから、私は驚いて手を引いてしまった。
……何故なの?
……なんで怒っているのよ…?
「……お前のような女を嫁にしたことが間違いだった」
「……どうしたの…?なんで怒っているの?さっきまで私は貴方と…」
…はっ…あぶなかった…
私は今、口から出かけた言葉を呑んだ。
マダラとの交わりを言葉にするだなんて…恥ずかしい。
私は次第に染まっていく頬をマダラに見られないように着物で隠すと、マダラは私に背を向けて距離を置いた。
「……離縁しないか?」
……えっ?
……今、マダラは何と言ったの?
私はマダラから発っせられた驚きの言葉に息を呑む。
「嫌よ…離縁だなんて…!」
「…意外にも体裁を考える女だったのか?下らんな」
「そうじゃないわ!私は…貴方を……」
……好き……?
……いいえ、違うわ。
私はマダラが大嫌いな筈よ…!嗚呼、嫌だ…!こんな訳の分からない気持ちに振り回されたくない!
「……そうだな…お前の父との関係もあるからな、いいだろう…お前の思うままにしろ。」
「……」
「その代わり、二度とオレに話しかけるな」
マダラは私の元から去ると、お医者様に呼ばれてイズナさんの部屋へと入って行った。
…マダラの言葉が胸に刺さった。
先程まで、マダラは私に優しかった。愛していると私に何度も言ってくれた…。
……なのに、何故なの…?
すると、イズナさんの部屋からお医者様が出られて、私はイズナさんの容態を聞くと、首を振って静かに部屋を去って行かれた。
私は嫌な予感がして、部屋の内部に入るとイズナさんは僅かに息をしているだけで、顔色も今まで以上に悪くなっていた。イズナさんの傍らにいるマダラはイズナさんの様子を見ては、顔を俯かせて、涙を溢していた。
「イズナさん……!」
私がイズナさんの近くに寄り添うと、イズナさんは小さな声で何かを言おうとしていた。
「…姉…さん……加代を…加代を…」
イズナさんは必死で加代を呼んでいた。
そんな姿に私は勝手に涙が溢れて、加代を呼びに行こうと決意した。
「待ってて…!今、呼びに行くから…!」
私は素早く襖を開けて、廊下に出ると加代が廊下の隅で、うずくまりながら押し花を持ってすすり泣いていた。
「加代……加代…!」
「小夜……様……」
加代は涙で顔を腫らし、体を震わせている。
「加代…早くイズナさんの元に行きなさい。イズナさんはもう…」
「えっ……!?」
加代は一目散にイズナさんの部屋に入り、彼の元に寄り添った。二人の様子で察したのか、マダラは静かに部屋を去って行く。一方の私は二人の様子を部屋の隅から見つめていた。
「加代……ごめんね……オレは…君との約束を…守れそうにない…」
「イズナ様…私は十分幸せです……イズナ様から…身に余る程の愛情をいただき…本当に幸せです…」
加代とイズナさんは互いに手を握りしめ、押し花をその手の中におさめながら、言葉を交わしていた。
「加代…幸せになるんだよ……君の行く末を見届けることは出来ないけど…オレは…君のことをずっと…見守っているから…」
「イズナ様っ……」
加代は泣き崩れて、体を小刻みに震わせていた。イズナさんはそんな加代 を強く抱き締めては、口付けを落とした。
……嗚呼…
……何故、私は二人の小さな恋を見守ることが出来なかったのだろうか…?
いつも、自分の事ばかりで…加代に嫉妬をしては二人の間を引き裂くような事も何度かしてしまった。
私は最低な人間ね…。
私は二人の様子を見ていると、今まで自分が行った全ての行為を思い出し、ふと、マダラの顔が浮かんだ。
……マダラに対しても、散々酷い事を言ってしまった。
彼から寄せられる愛の言葉や行動は…私にとって全てが初めてで、何と言えば良かったのか分からなかった。
彼は私に沢山の愛情を注いでくれた…
だけど、私は頑固だし、優しく話し掛けてくれるイズナさんの方が…私は素直になれた。
イズナさんはマダラと違って優しいし、私の話を沢山聞いてくれた…。
私は確かに、イズナさんに恋をしていた。
彼を見るたびに胸が高鳴り、ときめきを感じていた。
だけど、イズナさんは私ではなく、加代に本当の愛情を注いでいたから…自分は一生イズナさんの愛情を得ることは出来ないと思うと、辛かった。
そんな時に…マダラは私を愛していると何度も伝えてくれた。
余りにも強引な行動が多くて、最初は大嫌いだったけど、あの花束を貰った時から…
……私の気持ちは少し変わった気がした。
そうよ…あの花よ…
……わすれなぐさの花束を貰った時、私は嬉しかった。彼は本当の愛情を私に与えてくれたのだ。
いつか、好きな人から花束を貰いたいと思っていたから、尚更だったのかもしれない…。
だけど、私は自分の気持ちに気付かずにイズナさんを想っていると思い続け、マダラを散々傷付てしまった…。
私は…徐々に彼を愛していたにも関わらずに、そこでマダラを好きだと思ってしまうと…今までの自分を否定してしまうようで…イズナさんを想っていると、頑なに思い込んでしまった。
やっと…自分の気持ちに素直になることが出来た…。イズナさんが私に諭してくれなかったら…今ごろ…取り返しがきかなくなってしまう所だった…。
「加代…愛しているよ……」
「イズナ様……私もです…愛しております…」
加代とイズナさんの美しい恋を見ていると…いつか、自分も素敵な恋をしてみたいと思ってしまう。
今なら…マダラに愛していると素直に伝えられる…。
私はマダラと愛し合いたい。
夫婦として…いつまでも愛し合いたい…
すると、イズナさんは急に容態が悪化して何度も口から血の混じった痰を溢していた。どんなに苦しくても、イズナさんは加代を抱き締めて離さなかった。
その時だった…
イズナさんは最後の力を振り絞ったかのように、加代の腕の中で永遠の人となった。
加代は必死にイズナさんを抱き締めては何度も名前を呼んで、意識をつなぎ止めようとしていた。
そして、加代はイズナさんが永遠の人となったことに気付くと、イズナさんを布団にゆっくりとねかせ、その場を動かずにじっと、イズナさんを見つめていた。
何故か、加代と私は涙が出てこなかった。
悲しいというのに、涙が一滴も出てこない…。
私はゆっくりとイズナさんの近くに座ると、加代と同じように…時を忘れて、ずっとイズナさんを見つめていた。