第九話
私は身支度を整い終えると、姉さん達に続いて屋敷の裏手から出た。
外に出てみると、はらりと降る雪が視界に入った。
市女笠の縁を少し持ち上げ、片方の手を差し伸べてみると、掌に雪が少し積もったが、呆気なく水滴となり、溶けてしまった。今日は手が悴む程に寒く、息を吐いてみると、白い露が舞う。
私は屋敷から見える、うちはの集落を一望した。昨日見た風景とは異なり、白銀の世界が広がっている。深く雪が積もっており、雪道を下るとぎゅっぎゅっと鳴る。草履を履いていたので、足元がとても冷たかった。

行きに使った小舟に乗る為、暫く間雪道を歩いていると、番頭が私達の所に駆け寄り、迎えに来てくれた。
その時、ふいに私は後ろを振り向き、うちは一族の集落の中でも一際目立つように聳え立つ、マダラ様の御屋敷を見つめた。


――マダラ様、私は一生あなた様のことを忘れません。


私は市女笠を目深に被り、楼主の息子に導かれ、小舟に乗った。
舟の縁に手を置くと、雪が凍っていた。木が軋むような音を出しながら、舟はゆっくりと動き出す。徐々に遠ざかっていくマダラ様の屋敷を見つめながら、マダラ様との美しい思い出から、離れていってしまう気がした。

もう二度とお会いする事はないのだろうか。
この恋は実る事ができずに終えてしまうのだろうか。

川を見ると、悲しいことしか考えられない。

私は芸妓で、マダラ様は忍一族の長だ。決して結ばれることはないだろう。

そう思うと自分が余計に惨めに思えてならなかった。必死にマダラ様を忘れようと思い直すが、これ程までお慕いしている方を容易に忘れる事などできない。その位に、私の頭の中はマダラ様の事で一杯になっていた。

どうする事もできない苦しさに、勝手に涙が溢れる。姉さん達に分からぬよう、再び市女笠を目深に被った。


***



私達は無事に梅川屋に着くと、玄関では後輩達が整列をして出迎えてくれた。

「お帰りなさい!」
「ただいま。」

私はいつも世話をしてくれる子と共に、自室へと戻った。その後輩も、私と同じように貧しい所から身売りされて此所に来たのだ。

「姉さん、お疲れ様です。御披露目はどうでしたか?」

後輩は、私の着替えと化粧落としを手伝い、結っていた髪を櫛でときながら、私に話題をふった。

「誉めていただいたわ。」
「良かったです!姉さん、あんなに頑張っていらしたから。本当に私達の憧れですよ!」

確かに、本当は五年を経て一人前の芸妓になる筈が、私は楼主に認められ、三年の歳月で芸妓なってしまった。後輩から見てみれば、私は憧れの対象として見えるのだろうが、姉さん達を見ると、まだまだ実力不足だった。だから、「私に憧れなんて抱くものではない」と後輩に言った。

「姉さんったら、謙遜なさらなくてもいいんですよ!あっ、そう言えば…うちはマダラ様はどのような方でした?噂では、とても顔立ちが整っていて、しかも、お強い方だとか!今の若い娘達は、マダラ様に夢中ですから、ふふ!」

後輩は声を大きくし、かなり興奮していた。

「…マダラ様は…とても素晴らしい方だったわ……」

私は昨晩の出来事を思い出してしまい、言葉が詰まってしまった。

「姉さん……もしかして?」

後輩は察しが良く、上目遣いにして私に詰めよるものだから、私は顔を背けてしまった。その動作で勘が働いたのか、後輩は目を輝かせながら私を見た。

「さすがですね、姉さん!わぁ、いいなぁ。マダラ様のような方に気に入っていただけるなんて……」

その子は手を握って、まるで夢見る子どものような仕草をした。私は恥ずかしくなって、話題を変えた。

「……そういえば、何か変わった事とかなかった?」
「あっ…そういえば…最近この町ではないんですけど、隣町の妓楼が忍の残党なのかは知りませんけど山賊に襲われていると聞きまして……」
「……怖いわね」
「まぁ、この辺りでは起きていないので、大丈夫かと思いますよ!」
「……そうね。」

後輩は私の髪をとかし終えると着物をたたみ、一礼をして部屋から去って行った。

私は立ち上がり、布団と棚、鏡台のみの酷く殺風景な自室を一望していた。
いつもなら、この部屋にいても寂しさなど感じられない筈だが、今日はとても悲しく、一人でいる事が辛かった。
私は両膝に顔を埋めながら、座った。
どうしてもマダラ様の事が頭から離れず、胸が苦しかった。
いただいた簪を胸元から取り出し、手の中に収め、じっと見つめていた。
簪に散りばめられた桜の花弁に触れ、指でそっとなぞる。触れる度に金箔がきらきらと光り、悲しい気持ちを埋めてくれるような気がした。
私は鏡台の前に座り、鏡を見ながら、ゆっくりと自身の髪に挿した。マダラ様が大切にしていた物を頂いたのだと思うと、この上なく嬉しい気持ちになり、自然と表情が柔らかくなった。
この簪を持っているだけで、マダラ様と繋がっているような感覚になった。

マダラ様のお側にいれたら、どんなに幸せだろうか。
私が「普通」の娘であったなら、私とマダラ様はどのような関係になっていたのだろうか。

私は鏡に映る簪に触れた。

これ程想っていたとしても、今の私には会う術はない。
この店に売られたが故に、私は自由に外に出る事が許されない籠の鳥だ。

その時、一生この仕事と向き合わなくてはならないのだろうかと思うと、私は深い絶望感に襲われていた。
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