やだ、と呟いた。 平ちゃんの服を掴んだ右手は、小さく震えていたと思う。 「名前」 「やだ、やだよ、」 困らせていることは分かってる。優しい彼だから、掴んだ手を無理に振り払うなんてことが出来ないことも。でも、それでも、この手を離すわけにはいかなかった。離してしまったらきっと、私はもう、この人の太陽のような笑顔を見ることも、あたたかな手を握ることも、出来なくなるような気がした。 千鶴ちゃんは戦うと言った。私にも、戦える力があればいいのに。鍛練させてもらえばよかった、なんて、そんなもの、今更後悔しても遅いんだろう。 だけど悔やまずにはいられない。もしかしたら平ちゃんの背中を、私が守ることができたかもしれないのに、そう思うのは甘い考えだろうか。 「名前」 普段は不器用な平ちゃんが、優しく、そっと、私に触れる。そのてのひらは、かたくて、何度も豆がつぶれたあとがあった。それは、日々積み重ねた鍛錬の証。 「やだ、きかない」 我儘をいう子供のように、やだ、と繰り返す。頬に触れる大好きな手のひらの感触が、優しくて辛い。 「頼むからきいて」 音を遮断するように耳を覆っていた両手を、平ちゃんにそっと掴まれた。そのまま、くぐもっていた音が綺麗に耳に入ってくるようになる。 「かえって、くるから」 「……。」 「俺の居場所はここだから」 ぼろり、と涙が溢れた。 平ちゃんは、ばかだ。原田さんや、永倉さんにからかわれて、全力で対抗して、いつだって何も考えてないみたいで、それなのに、こういうときだけ、彼は大人になるのだ。やだよ、やめてよ、ひとりで行ってしまわないで。 「平ちゃんはずるい、」 「うん」 「帰ってこなきゃ、許さないから」 「うん、わかってる」 普段と何も変わらない仕草で、平ちゃんは私の頭をぽんぽんと撫でる。そのまま引き寄せられて平ちゃんにすっぽり包まれた。端から見るとそんなに変わらないようにみえる体型も、やっぱり男の子だ。少しだけごつごつしてて、大きい。 「待ってて」 「……いって、らっ、しゃい」 「おう、いってきます」 そう言ってにっと笑った平ちゃんは、私のおでこにひとつ、柔らかなぬくもりを残して部屋を出ていった。 (150926) . |