legend


ロー。


私は自分の足で、歩けないけど。

陸では不自由な私だけど。


海でなら、自由になれるかなーーーー







legend






ごぽり

口端から、空気が小さな白い粒になって登って行く。



ごぽり

一面に広がる青色の深く深く、身体が沈んで行く。



ごぽり

だんだん、頭上に泳ぐ白い粒が遠くなって。



ごぽり

どんどん、息が苦しくなった。




遥か上、淡く明るい水空を見上げても、
泳げない自分にそこへ行く術はない。

ただ暗い水底へ、やがて引き込まれるように辿り着くのだろう。

ゆっくり、ゆっくりと。

水空の白い粒を吐き出して、
水底の青い粒を飲み込んで。

この身体が青色で満たされた時。
この存在はきっと海へ還るのだ。



ーーーーーーーーそれでいい



微かに口角が上がった。



ーーーーーーーーなぁ、シオ



青色に嫌われたこの身が向かうのが、その奥深くだなんて。

お前が聞いたなら笑うだろうか。
それとも、怒るだろうか。



ーーーーーーいや、



鮮やかな髪を溢して、泣くだろう。
顔を覆った手の隙間から止めど無く流れるものを隠しながら。


お前の消えた孤独な青の奥へ、
自分が“望んで”沈むのだと知れば。











『ローっ!!』



『いつか、いつかローの夢が叶ったら、』



『ーーーーー、!』









泣きそうな顔で笑い、青の世界へ消えていく。
最後の言葉も共に沈み、届かない。


ーーーーーーシオ、ッ!


必死に手を伸ばしても、泳ぐ事は疎か触れる事さえできないおれは無力だった。


ーーーーーーくそっ!!


荒れた天候はいとも簡単に、浮上した船と溺れ行くシオとの距離を離していく。



『シオ!!』


船は流され続けた、華奢なあの手を掴む事なく。

嵐が去ったのは数日経った後だった。


それから幾度も、幾年も、その姿を捜し、広い青原を漂って。
声が枯れても尚、名を叫んだ。



ーーーーーー何処かで、生きている



根拠のない希望を縁に、所在を尋ね回って。



世界中を巡っても何処にもいない。



あの時、何を伝えようとしたのか。


“助け”を拒んだのか

“再会”を誓ったのか

“願い”を、託したのか


何処にも、答えを知ってる奴はいない。
問に応えれる奴は、いない。

言葉の断片を残して、おれの許を去ったまま。
遂に戻ってこなかったのだから。


荒れ狂う青に呑まれた、あの時の笑顔はもう思い出せない。

どんな声だったのか、どんな目をしていたのか。



ーーーーーーそれでも



その全てを忘れることはできないらしい。



『……みんなごめん、寝坊しちゃって』

朝食が前日のおやつのクッキーしかなくて、ひたすら謝っていたことも。


『きゃあぁぁぁ!ベポごめん!』

甲板のペンキをひっくり返してベポを茶色く染めて怒られていたことも。


『見て、ローっ!流れ星拾ったの!』

夜に降ってきた流星を拾って無邪気に喜んでいたことも。


そんな日々が当たり前になって。
手放せなくなって、愛おしくて。

素朴で小さな幸福を知った。
涙の際限ない理由を知った。

世界は色鮮やかで、眩しかった。












ーーーーーーシオ







夢なら、叶えた。














「キャプテン、キャプテン!」

着いたよ、ここだ!

「…そうか」


あの日の、別れの地。


「船長……!」
「船長ーーッ、」
「せん、ちょぉッッ!!」


「ベポ」


「ッ、アイアイキャプテン!」


刀と帽子を預けた。
だが、もうそいつを受け取ることはない。


「………」


おれの旅は、ここで終わる。


「じゃあな、」


泣きじゃくるクルーに、黄色い船に背を向け、
眼前に雲一つない空を映して。

迷い無く、甲板を蹴った。


「「「「船長ーーーーッッ!!!」」」」


広がる空は、どこまでも青い。
いつもは色褪せて映る青が、やけに色付いて見えた。



世界の何処にもいないなら。





掬いに、会いに、伝えに行けばいい。



夢の、最果てを土産に。




ーーーーーーーーーー


ごぽり、


ごぽ、り


ごぼ、っ


一際大きな白い気体の粒を吐き出して、
肺臓が完全に青く透明な液体で満たされた。


視界一面の青が、藍に、紺に、黒に。
グラデーションを残し、世界はフェードバックしていく。







ーーーーーー、

青一色の狭まった世界に、
遠く、淡いオレンジが揺らいだ。




ーーーー何、だ


途切れかける意識を保ち薄く目を凝らせば、
太陽みたいなそれが髪だと、わかった。


揺蕩う髪と同じ色の、淡い紅色の縞の入った鰭を自在にはためかせて。



ーーーーーー人魚……?



まるで太陽のような姿だった。

仄暗い中に一際輝く生命はどこか懐かしく、温かで。





ーーーーーーシオ……?



声にはならない名を小さく紡げば、
人魚は歪んだ表情でおれを見つめていた。



ーーーーーーロー、



水中で聞こえるはずはない。
だがおれを呼ぶ声が確かに聞こえた。


す、と伸ばされる白い影が腕だと、
朧な意識で捉えて誘われ伸ばした手は、
ゆらゆらと力無い。



ーーーーーーッ、



あの日届かなかったそれは、
今確かに触れられる距離。


ふわり。

指先が薄橙を掠めた。


ずき、ん。

同時に胸腔に生じる痛み。


ぎり、と歯を噛み締めて、苦痛に耐えて尚伸ばす。

遠くなり行く太陽ではなく。
近くにある、太陽を求めて。



ーーーーーーシオ……ッ



夢は掴んだ。


数多いる敵を蹴散らし、幾多の障壁を打ち壊し。
這々の体になりながらも彼の地を踏みしめた。

追い続け、憧れ、渇望したもの。

俺が、何よりも求めたもの。














ーーーー違う



本当に求めるものは、望むものは、
















届きそうになった途端、堕ちていく。

届かぬ手も、言葉も、想いも。

全てが後悔の澱みとなって、水底へ。










ーーーーーーまた、



掴めないのか

最期の最後まで、俺は……




ゆらり、脱力した腕は感覚すら失くした。
何も映さなくなった目は閉ざされた。



ーーーーーーなあ、シオ



陸では得られないお前の自由と、
海では得られないおれの自由と。

交わることのなかった二つの自由は、
一体何処でなら交わるのだろうか。






ーーーーーーもしあると言うなら、



お前と捜しに行くのも、悪くねェかもな



ーーーーーー、



冷たい手が、指先に、触れた。
感覚など疾うに無いのに。





ーーーーーーだめだよ、ロー





優しい日溜まりの温かさを持った、声が。
泣きそうな声音で、言った。



たといこの目が光を灯さなくとも。
重い瞼を押し上げ、暗い虚空を見上げる。
口端を上げて。




ーーーーーーお互い、さまだろ?






『みんな!!』


ローの夢が叶ったら、もう一度旅に出よう!
みんなでずっとずっと、
笑って楽しく、幸せに生きるの!





昔明々と宣言された願いは、
ささやかで、純粋な、幸せな自由そのものだ。

そんなものはまやかしだと、甘い幻想だと、嗤笑する奴なんていない。

誰もが、シオを見て微笑んでいた。






ーーーーシオ。


あいつらはあのまま、航海するだろう。
絶対に。お前の願いと俺の誇りを守り続けるために。



俺ももう一度、旅に出よう。
欠けた“一人”を連れて。









ーーーーーーおれと来い、シオ







お前の願い、叶えてやるよ。








やっと触れた手を、掴んだ。








泡になったのは、僕だった



(自由を得たお前の手で、永遠へ導いてくれ)






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『legend』を、脳内エンドレスリピート真っ最中

2013.0822 noro


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