消えない、煩悩


*ハートクルーのみです。










「ペンギン」

「なんだ」

「船長って、悩みとか有るのかな」

「は?」



その突拍子もない話の始まりは、
呆れる程平和なある日の昼下がりだった。





「だってさ、俺は船長のそんなとこ見たことねぇし」


俺達はただ、迷いなんかこれっぽっちも無ぇって船長の背中追っかけてるワケでさ。
そんな船長はカッコいいし、頼り甲斐があるし、ついて行きてぇって、思うよ、思うんだけど。
逆にさ。
立ち止まって、行き詰って、あぁ困ったって姿の船長、見たことあるか?







何の脈絡もなく零される半分冗談、半分本気だと取れるシャチの問を上手く解し、返答するのは案外難しい。不定期に醸される彼の自称「俺の哲学」の話は、俺を至極悩ませてくれる。



ーーシャチ、教えてくれ。
お前のその思考は一体何処から湧くんだ。





「なぁペンギン、」


反応を待っているのだろう。
悪いがまだ現在進行形で思考中だ。
どれだけ考えようと答は出ないのは明白だが。


「そうだな……」


……悩む船長、か。




かれこれ心中で不満を並べつつも、
真面目に取り合っている自分はもしかするとシャチと通じる所があるのではないか。なんだか頭が痛くなってきた。





「……確かに、ないな」

「だろ?」


船長、いっつも余裕かましてるし、何があっても動じねぇし、勘弁してくれってくらい無茶振りするしさ。でも妥協とか、諦めとか、そんなのがないから、だからあんな強いんだよなきっと。

あれで悩みとかあるなら是非伺いてぇよなー


我が意を得たとばかりに言いたい放題饒舌に語るシャチの背後。



ニヤリ、と誰かが不気味に嗤った気がした。




「全くない訳じゃないと思うが……」



先程微量に漂った黒いオーラを気に掛けつつ、
律義なペンギンは語り続けるシャチを尻目に
問の答を未だずるずると探すのだった。




太陽は真上より少し西、天気は快晴、風波良好の航海日和。
特にすることも無くなるこの時間帯、暇を持て余したクルー達は思い思いの時を過ごしていた。武器の手入れをする者、食糧確保に釣り糸を垂れる者、心地良い陽気に微睡む者。

古参の船員・ペンギンとシャチも例に漏れず、
平和な一時を満喫し。磨き上げられた甲板の上では、恒例の雑談が変わらず延々と繰り広げていた。


「人間百八煩悩と言うぐらいだから、
やっぱり船長も人並みにあるんじゃないか?」

「ひゃくはちぼんのう?」

「いや、俺もよくは知らないけど」

人間には悩み恨み辛みといった煩悩が人それぞれにたくさんあって、欲やら執着やらがない人間はいない。云々。

ペンギンの豆知識が披露されるのを聞きながら、ふむふむと熱心に頷いている。
シャチが果たして解したのかは疑問だが。


「……なるほどなー」

でも、とシャチは首を捻る。

「船長の煩悩って、何だろ?」

やっぱり思い当たる節がないや。

一層渋面をつくり口をへの字に曲げるシャチに小さく笑みを洩らし、頭に乗っかるキャスケット帽をぽすっと軽く叩いて、立ち上がった。

「さて、そろそろ休憩も終わりだぞ」

かれこれ小一時間経つ。
終わりを見せない談義に区切りをつけて仕事を再開せねば。
まぁ、別な思惑もなくは無いのだけれど。


「えーー」

早ぇよ、まだいいだろー

ぶつくさ文句を垂れつつ億劫そうに身体を起こすシャチは、どうやら先程のことはもうすっかり頭から消し去ったらしい。今日の夕飯はなんだろなーなどと呟きながら持ち場へ戻っていった。……幸せな奴。


「……で、」


白い欄干の傍、未だぐうぐうと鼾をかいて昼寝する白熊。を、枕に。黒塗の鞘の長刀を伴に。
日当たりの良い甲板の上、長い足を投げ出し珍しく惰眠を貪る男を振り返る。


「……船長。随分、楽しそうですね?」


俯き、帽子を目深く被っている為表情は窺い知れない。けれど、全くの狸寝入りなのは間違いない。その口角が緩く上がっているのも。


「フフッ……」

ほんの少し船長が頭を上向かせ。

やはり、ニヤリとした笑みを見せて。

船長は愉しげに、それは愉しげに嘯いた。



「なァ、」



煩悩が無くなった人間は、どうなると思う?


「………………」


どうやら突拍子もないシャチの問の続きらしい。


「さぁ……」


どうなるのか。なんて。
そんな事、さっぱりわからない。
考えたこともない。


帽子の奥に潜む船長の銀灰の双眸が、自分を射抜く。強く、冷たく光を放つその深奥は、底無し沼のように其処だけ凪いで。
一種の畏怖さえ感じてしまう程の、虚無が在った。


「…………」



途端、ぞわり、と。

何やら得体の知れない感覚が這い、
自らの意思と関係無しに鳥肌が立った。

本能が危険を察知したというかのように。

そんな俺を見定めるように据えられた、
無感情で無機質な瞳と対照的に
只相変わらず愉悦の色を示している口許。



形の良い薄い唇が緩慢に開く。
僅かな隙間に覗いた尖った犬歯は白く、ちらつく艶かしい舌先は赤い。



「…………」








すぅ、と空気を吸い込んで、紡がれる言の葉は。





「死、だ」






一単語。

誰もが恐怖し忌避する此の世の絶対的法則。
恍惚に似た気色で謳われた、物騒なそれ。




「死人は何も持たないし、持てねェだろ?」



くくっ、と嗤う船長は、「死」が彩る手をふかふかとした帽子に添えた。






「船長、」




その姿に煩悩なんて感情は、結び付かない。






問おうとした。
疑問の答を、その口から聞きたいと。


けれど、言いかけて、止めた。





その持論の定義に従うとすれば。
煩悩の有無は生死の違い。


要はそこに、「生」が在るかどうか。
そして定義づけたのは船長。



つまりそういうことなのだ。

わかりきったこと。

それが、「答」だった。






「あ?」
「いえ、何でも」




変な奴、と呟いて。

今、俺の言動や行動に眉目を怪訝に顰めている船長が何よりの証明。





ーーシャチ。













今回はどうやらお前の問に、答えられそうだ。










この答は否定できない。
それは俺達の船長の、
これからの俺たちの船路の生を否定することになるから。













「……せんちょぉーっ!ペンギン!」




開かれた扉の向こう。

シャチの呼ぶ声と、夕飯の匂いがした。








消えない、煩悩





シャチ、お前、つまみ食いしたろ

え、何でわかったんスか?

……煩悩だ。

(今日の献立って、確か船長の好物だったような…)














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