期待したって何一つ良いことなんて起きやしない。
物心ついたときからの私の持論。実際私にはサンタクロースなんてものは来た試しがなかったし、商店街でやった抽選会だってポケットティッシュしか当たった事がない。私のことが好きだと噂された男の子だって他の子と付き合い始めたし少し自信があったテストの結果だってまずまずで、今まで経験してきた出来事の中で私の期待通りに物事が運んだことはほとんど無かった。そのお陰で私は人並みに期待するのをやめた。期待しなければ落胆することもない、それでイイじゃないか。波風のたたない取るに足らないつまらない私の人生。無駄に期待して落ち込むよりよっぽど居心地が良い世界だった。それなのに、私のその平穏でなにも起こらない人生は一人の男によって簡単に崩されることになる。

きっかけは誰にでもあり得そうなことだった。私の進学した高校は海常高校。詳しくは知らないけどバスケ部が頑張ってる高校。そしてそのバスケ部にそこそこ人気なモデルがいる高校。しかし万年帰宅部エースな私には運動部など、ましてやモデルなど雲の上のまた上の存在で、大した興味も湧かず周りの女の子がモデル君を取り囲んで騒ぐのをただボーッと眺める毎日だった。生憎モデル君とは同じクラスな為、毎日毎日五月蝿い女子の黄色い声を聞かされるはめになった。五月蝿い、つまらない、くだらない。浮かぶのはそんな不満ばかりで、喧騒を聞きたくなどない私は教室に出来るだけ居ないようにした。きっとモデル君も騒いでる女子も私の存在自体知らないであろう。だったらその場にいる必要もない。私の居場所はいつの間にか屋上とあまり使われない音楽室になった。一人になってすることと言えば睡眠、春眠暁を覚えずなんてよくいったもので日差しの暖かさが心地好い5月はじめはいくら寝ても寝足り無かった。
しかし今日はどういう風の吹き回しか、少し埃を被ったピアノに触ってみたくなり、年期が入っているであろう黄ばみかけている鍵盤を押してみた。ポーン、とピアノ特有の音が誰もいない音楽室に響き、消えていく。幸い調律はきちんとされているようだ。誰にも存在を知られていない一人ぼっちで寂しい存在、どこか私と合い通ずるものがある気がした。そのまま私は鍵盤に指を滑らせる。音楽室に居座るくらいには小さい頃から音楽は好きだった。教室に寂しく響いていく旋律が授業中であろう廊下に響かないか些か心配ではあったが、まぁ見付かったときはその時だ。説教なんて聞き流せば良い。 とどこか緩くなった思考が回っていたとき、第三者によるドアが開く音で私の旋律は邪魔された。まずい、いくらなんでも見付かるのが早すぎではないだろうか。諦めつつドアを見遣るとそこには綺麗な金髪の男の子がいた。

「…あ、邪魔してごめんなさいッス、余りにも綺麗だったからつい」

金髪がハッとして言葉を紡ぐ。どこか見覚えのあるような彼はドアを閉めてピアノに近付いてきた。何故授業中のはずなのに私以外に生徒がいるのか、何故教室に入ってきてそのまま居座ろうとしているのか、思い出した結論によりそんな考えはまずぶっ飛んだ。あぁ思い出した、彼は私の中では雲の上のまた上の存在であるモデル君じゃないか。何故彼がここにいるのだろうか。女の子に囲まれながら授業を受けているはずでは無いのか。そもそも人気者でイケメンなモデル君が無縁そうなこんな埃っぽい場所に何の用があると言うのか。

「……何か用でも?」

やっとのことで絞り出した言葉は可愛いげのない無愛想でぶっきらぼうな言葉だった。我ながら可愛くない女である。モデル君は慌てて「いや、そういうのじゃ無いッス!」と否定した。だったらこんな場所に何の為に。私の中の疑問は尽きなかった。

「えっと、なまえさんッスよね?俺、同じクラスの黄瀬涼太ッス!なまえさんピアノすっげー上手いんスね!ちょっと仮病で授業サボって校舎内うろうろしてたんスけど、そしたら綺麗なピアノが聴こえて!それで来てみたらなまえっちが弾いてたからもっと聞きたいなーって思って…」

モデル君改め黄瀬は聞く前に私の疑問を全て勝手に喋ってくれた。驚いたことに私は彼に知られていたらしい。周りにあれだけ女の子がいるのによく知っていたと少し感心してしまう。いや、しかしまぁ、黄瀬涼太。よく喋る男である。聞いてもいないことまでペラペラと饒舌に喋る。というかなまえっちってなんだ。勝手にあだ名をつけられている。少ししか話していないのに馴れ馴れしいにも程がある。…けれどどこかそれも悪くない、と思い始めている自分がいて私はハッとして停止しつつあった思考を復活させる。
──期待したって何一つ良いことなんて起きやしない。
自分の信念ともとれる持論を一瞬忘れかけていた。冷静に考えたらここで黄瀬と関係を築いたって何一つ良いことは無いだろう。少なくともファンの女の子に何をされるかわかったもんじゃない。もしかしたら怪我どころじゃ済まないかもしれない、そんなことになったら今まで波風たてずに生きてきたのが無駄になってしまう、そんなの御免だ。私は無言でピアノの椅子から立つと未だに喋り続けている黄瀬の横を通り過ぎて音楽室を出ようとドアに向かった。しかし教室の外に出ることは黄瀬が私の腕を掴んだことでかなわなかった。

「ちょっ、なまえっちどこ行くんスか!?もうピアノ弾かないんスか?」
「……離してくれないかな」

捨てられた仔犬のような視線で訴えてくる黄瀬は卑怯なやつだと思う。そもそも裕に180を越えているであろう長身の男がそんな表情をしたって可愛………………いや、可愛くない。
手を振り払うようにして離してくれと訴えても、黄瀬は離してくれるどころか、あろうことか両手で私の手を包み込んだ。

「ちょっと黄瀬…」
「俺、なまえっちのことずっと気になってたんス!もっとお喋りしたいんスけど、ダメッスか…?」

黄瀬が言い終わると同時に授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り響く。その音と共に私の中で今まで積み上げて大事にしてきた平穏でなにも起こらない生活が大袈裟な音をたてて崩れていくのを確かに聞いた。


あぁ、頼むから私の平穏な生活を奪わないでくれ。



thanks:へそ
2013.10.12



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