「 名前 」

後ろからかけられた声にも気がついていないふりをして名前はそのまま動かないでいた。出来れば気がついて欲しくなかった。その思いもむなしく、清正は隣に来てしまった。
名前はただ雨水と泥で汚れた池のようなその地を見つめていた。
そこには誰とも分からぬ亡骸たちが横たわっていた。そして、その中に相対して綺麗な髪飾りがあった。

「…私はこの時代が嫌いです」

自分が思ったより落ち着いた声がでた。先さっきまでここで泣いていたのが我ながら嘘みたいだ。
隣にいた清正はすこし頷いた。早くこの場から立ち去りたいのに、体は動かず目はその地の底へ張り付いたまま。そのうちに、自分の体の感覚が足の先から消えてしまうような感覚になった。まるで白い靄のように。しかし、それは水が割れるような音で現実に引き戻された。見ると、隣にいたはずの清正がその中へと入っていくではないか。

「清正…!何をしているのです!」

清正はとある場所で立ち止まると、その大きな体を屈めて何かを拾った。それを大事そうに握り、こちらに帰ってきた。

「誰もこんなことなんて望んでねぇよ」
「……」
「分かるだろ」
「…当たり前です」
「お前は、これからどうする」
「私はもう行く宛が無くなってしまったのです。その内どこかでのたれ死ぬでしょう」
「…お前はそれで良いのか」
「言わずとも、お分かりでしょう」

本当は、はっきり嫌だと言ってやりたかった。でも、言えなかった。だから 名前はきゅっと口をつぐんだ。自分の足元の水は相変わらず血の毒々しい赤が混ざっていた。ふと、髪飾りが目の前に差し出された。清正は 名前の目を見たまま離さない。

「 名前、」

視線がはっきりとぶつかった。 差し出された髪飾りが、いつの間にか自分の手の上に置かれている。清正は少し穏やかな顔だった。

「お前の居場所は俺が作ってやる」

清正の目がゆらりと揺れた気がする。でもそれは、彼の目が揺れた訳ではなくて、自分の目から水が落ちてきたのだった。

「だから、泣くなよ」

水は下の地面に落ちて、二人の重なる影を映した。
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