「清正、紹介しておきたい人がいるの」

おねね様からそう告げられて、とある部屋の前へと連れていかれた時のことを覚えている。まだ清正が出た戦の数が指で数えられる程度だった時だ。その紹介しておきたい人、と言うのはどうやらおねね様の親戚か何かで(詳しいことは教えてくれなかった)、時々会いに行ったときに自分たちの話を聞かせると彼女が興味を持ち、是非会いたいと言ったらしい。おねね様は部屋の前で座り、彼女の名前を呼んだ。すると、部屋の中から布が擦れるような音がした。清正は慌てて隣に同じように正座した。すると、少しだけ開けられた襖から白い小さな手が現れた。おねね様はその手を握りながら話した。

「ずっと前から話してた人、連れてきたよ」
「清正様ですか…?」
「そう、ほら清正、挨拶して」
「えっ、あ、あの、」
「この子は恥ずかしがりだから、握手するだけで良いんだよ、ほら」

ねねは清正の腕を掴んで、その手まで持っていった。清正はその手を恐る恐る握った。彼女の手はひんやりしていた。

「よろしくお願いいたします、清正様」

すると、彼女の手がぎゅっと握ってきたのが分かった。清正はその手を優しく握り返した。それは確か、桜が咲いている季節のことだった。


...



嫌な予感はしていた。彼女の声は日に日に弱くかすれていっていたようになっていた。清正はずかずかと廊下を歩いて行った。彼女の部屋まであと少し。冬の寒さが足の先からぴりぴりと伝わってくる。そして、清正は部屋の前まで来た。

「開けて良いか?」
「はい、どうぞ」

初めて会った時からその後も彼女は一度も顔を見せたことが無かった。ただ分かるのは手の感触と声と、たまにちらと見える黒髪ぐらいだった。それで理由を尋ねると、他人に顔を見せるのが何故だかとても怖い、ということだった。こうして、襖越しに話すことは当たり前になった。その内に清正が開けた襖から手が出てきた。清正はその手を握りしめた。

「あとどのくらいだ」
「もう3日も持たないでしょう、と」
「そうか…」
「私にはもったいない人生だった思います」

そうは思っていないくせに、と清正は思った。顔の表情は分からないが、彼女の声色でどんな感情を持っているのかぐらいは理解出来るようになったからだ。清正は、彼女の手の甲を指先でなぞった。言葉にできぬ気持ちが、身体中を巡る。

「もう、こうやって会うことも最後になってしまうか」
「そんな、冗談言わないでくださいよ」
「…嫁にいくとか言う話はどうなった」
「お断りさせていただきました」
「そうか、それで…」
「最後に」

突然、彼女がはっきりとした声を出した。そして、襖の奥からもうひとつの手が伸びてきて、清正の手を包んだ。

「最初で最後に、清正様と目を合わせてお話がしたいのです」

彼女はそう言うと、手を離して襖を開いた。それから顔に掛けていた布を取った。そして伏せていた顔を上げて、清正へと向き直った。
彼女の顔は白く、人形のような顔をしていた。ふと、彼女の手がぎゅっと清正の手を握った。それは弱々しく、以前の彼女の手とはかけ離れてしまっていた。

「清正様はとても素敵な目をしているのですね」
「涙で前が見えてないだろ、馬鹿」

清正は涙を拭ってやろうと手を伸ばしたが、すぐに引っ込めた。代わりに彼女の手をぎゅっと握り返した。


...


清正はずかずかと廊下を歩いて行った。彼女の部屋まであと少し。冬の寒さが、先日と変わらず足の先からぴりぴりと伝わってくる。そして、清正は部屋の前まで来た。

ぴしゃりと襖を開けると、そこには眠ったままの彼女がいた。布団の外から覗く白い手がくたりと倒れている。それは彼女の魂がそこに存在しないことを証明していた。もう少し早ければ、襖を開けてお前の名を呼んでやったのに。清正は手に持っていた赤い花を握りつぶした。そしてそれは嫌な音を立てて、地面に散った。

ひとつの花びらは彼女の白い手の上に落ち、くしゃりと握りつぶされて、力尽きた。
扉を開けても叫べはしない
111229 『終焉』様に提出