※学生設定







本がたくさん詰まれた空間、独特の空気に囲まれて、私は黙々と作業を進めていた。今日に限って同じ図書委員の友人は逃げるように帰ってしまった。後少しで終わるけれど、やり方を詳しく覚えてないおかげで上手く進まない。私は一度シャーペンを置いて頬杖を付いた。それから周りを見渡してみた。うちの学校は体育会系の子が多いせいか、放課後の図書室に訪れる生徒はあまりいない。今日も図書室には人の気配は無く、ただ外から部活動に励む声が入ってくるだけだった。

「あっ、島津先生待たせちゃってるよな…」

私はひとりごとを言った。確か今日は委員の仕事を終えたら職員室の自分のところに来るようにと島津先生から言われたのだった。きっと、再試のテストを受けにこいという意味だろう。そばに置いてあったファイルから再試のプリントを引っ張り出して、眺めた。

「ほう、23点か」
「…えっ…!」

後ろからかけられた声に驚き、すぐさまプリントを伏せた。そして後ろを振り返ろうとすると、その人物は私の隣に座ってしまっていた。

「宗茂先輩…!」
「奇遇だな、名前」

そう言って笑ってみせたのは、同じ図書委員の宗茂先輩だった。女子生徒からとても人気のあるこの先輩は、いつどこでも急に姿を現すので、私は毎回心臓がばくばくと音を鳴らすはめになっている。しかし宗茂先輩はそんなことを全く知らないので、さっきみたいにひょっこり姿を現すと、たわいない話をしてくるのだ。それに、いつも奇遇だな、と言ってくるのが当たり前になっている。

「もしかして、今日は一人で作業していたのか?」
「はい、もう一人の子がお留守なので」
「好都合だな、俺が手伝おう。君は再試の勉強をしていれば良いから」
「えっ、あの、大丈夫ですよ、私やりますから…!」
「名前、」

宗茂先輩の声のトーンが、変わった。まだ私が聞いたことの無い、声のトーン。そして、先輩の手が机の上を渡った。七分袖に折ってあるワイシャツから伸びる腕が、とても綺麗だと思った。そしてそう思ってから、じわりと熱がこもってくるような感覚を覚えた。

「俺がやるから、そのノートを取ってくれないか」
「…は、はい」
「ありがとう」

作業が途中で終わってしまっているノートを受け取って、宗茂先輩はまた笑った。そして自分の前に広げると、胸ポケットに入れてあった眼鏡をかけた。

「あれ、宗茂先輩、眼鏡だったんですか」
「ああ、たまにしか掛けないが、な」

宗茂先輩は視線をノートにやったまま答えた。私は、そんな宗茂先輩の横顔を盗み見た。しんとした中で、先輩が動かしているシャーペンの音だけが響く。そして綺麗な字が書き連ねられていった。ふと、先輩の手が止まった。私は焦って視線をプリントに戻した。

「終わったぞ、名前」
「え、は、早い!ありがとうございます」
「再試は出来そうか?」
「えーっと…分からないところがあって」
「どこだ?」

宗茂先輩はノートを隅に置いて、私の方に近づいた。私は分からない問題をシャーペンで差した。すると、先輩は私が握っていたシャーペンを抜き取ると、プリントに書き込み始めた。

「まず一緒に考えてみるか」

宗茂先輩が私の方を見た。先ほど先輩が近づいたおかげで、瞳に入っている光さえ見ることが出来る。特別何かされた訳ではないのに、何故かどきどきする。先輩の口元が緩んだ気がした。

「その必要は無いな、坊ちゃん」
「あ、島津先生…!」
「まだ委員の仕事は終わりそうに無いか?」
「さっき先輩が片付けて…」
「いえ、まだ残っていますので」
「…そうか、なら仕事は坊ちゃんに任せて、先に再試、仕上げるか?」
「それは困りますね、島津先生。彼女にはまだ教えていない仕事がありますので、再試は後日にしていただけませんか」
( えっ、そんなの初耳だ )
「…だとよ。どうする?お前の好きな方にしてやるぞ」
「えーっと…」

ちらりと宗茂先輩の方を見ると、シャーペンをなんとなしにくるくる回していた。私が小さな声で宗茂先輩、と呼ぶと、先輩は手を止め目線はシャーペンに向けたまま、君の好きな方にすれば良い、と言った。それが心なしか寂しそうに聞こえた。

「じゃあ、後日にお願いします」
「ははは!分かった、そうしておいてやろう」

島津先生はぺしんと宗茂先輩の肩を叩いて、図書室を後にした。島津先生は終始にやにやしたりしていたけれど、何かあったのだろうか。そんなことを考えていると、宗茂先輩に名前を呼ばれた。

「名前、シャーペンありがとう」
「いえいえ、」

差し出されたシャーペンを受け取ろうとして握ったのは良かったが、宗茂先輩はその手を離そうとせず、自分の方に引っ張ってしまった。当然、私は先輩の方へと倒れ込んでしまった。そして、先輩は私の背中に手を回して、引き寄せた。

「あの、えっと」
「悔しいが、妬いたな」

そう言って、先輩はぎゅっと抱き締める力を強めた。強く引き寄せられたせいで、ばくばくと鳴る心音が大きくなる。きっと先輩にも伝わってしまっているだろう。

「ずっとこうしていたいと思うのは、俺の我が儘かな」

耳元で囁かれて、どう答えて良いか分からなくなってしまった。しかし今の私には、先輩はもうただの先輩ではない存在になってしまった気がする。そう考えているうちに、先輩は眼鏡を外して机の上に置いた。

「我が儘なんかじゃないです、よ」
「なら、もう少しこのままでいさせてもらおうか」

宗茂先輩は少しだけ、抱き締めていた力を強めた。私は、先輩の背中にそっと手を回した。今はもう、この空間には時計の針が動く音さえしない。
111015