おねね様の部屋へと入ろうと襖の前に行くと、何やら話し声が聞こえた。耳をそっと近づけてみる。声の主はおねね様と…清正だろうか。

『―…だから名前のこと、頼んだよ』
『分かりました』

私の名前が聞こえた。それに、頼んだって何を?色々と考えている内に、目の前が開けて―…

「名前!?」
「えっ、あっ、ごめんなさい!」

盗み聞きしたことが見つかってしまった。私は一目散に逃げた。清正はすぐさま名前を追いかけたが…ねねは少し心配であった。

「上手くいくと良いんだけどねぇ…」

私は一目散に逃げた訳だけれど、どこに逃げようか全く考えていなかった。すると、後ろからどたばたと走ってくる音がして、振り返ると清正がこちらに向かって走ってきていた。なんで清正が追いかけてくる…!?でも今は特に会いたくない人物である。私は自分の部屋へと行くのをやめて、ある人物の部屋へと向かって走った。

「…という訳でかくまってください三成さん」
「お前は馬鹿か」
「一生のお願いだから、押し入れにでも突っ込んで良いからかくまって!」

私が逃げ込んだところは、三成の部屋だ。ここなら清正もめったに来ないだろうし、何より三成がいるのでなんか安心する。しかし三成は盛大に溜め息をついて、馬鹿か阿呆かだの罵ってくる。そんな暇は無いのに!

「そもそも何故逃げる?盗み聞きして悪かったと詫びれば済むだろう」
「それが出来たら逃げません、だって…怖いもん…」
「怖い?馬鹿か貴様は。それに、清正がお前のことを追ってきている意味が分からんのか?」
「は?」
「好きでも無い奴の
ことなんざ放っておくだろうに、あいつは馬鹿みたいにお前のことしか考えていないのだよ」

「それ、私を追いかけてるってことは」
「…名前!」

襖がバタンと開けて、清正が目の前に立っていた。顔を見ると、じっとこちらを見ている。とても怖くなって背筋がびりびりする。とても逃げられそうにない。そのまま近づいて来て、ひょいと担がれた。三成はまた溜め息をついて、とっとと出ていけと言った。私は口ぱくで三成に助けを求めたが、彼はひらひらと手を振るだけであった。薄情者め…!
清正に担がれたまま、私はどこに行くのだろうとぼんやり考えた。もう捕まってしまったのだから、逃げ切ることは出来なくなってしまった。そんなことより、先ほどの三成の言葉が引っかかる。ずっと私は彼を避けてきたのに、彼はそんな私のことを思うなんてことがあるだろうか。それにしても…私は何故清正のことでこんなに悩んだりしているのか。もしかして、と結論にたどり着いて、かぁあと顔が赤くなった時、担がれていた肩からゆっくり下ろされた。そして前を見ると、小さな川があった。清正は黙って川の方を見ているだけだったので、私は何か話さなければともごもご話すことにした。

「清正、さっきは盗み聞きしてごめんね、あと逃げちゃったり…混乱してたみたい」
「話は聞こえたか?」
「おねね様が、私のこと頼んだよっていうことぐらいかな」
「そうか…実はさっき、おねね様からお前のことを聞いた」
「見えてしまう、こと?」
「ああ。どうして目を見て話してくれない理由を尋ねたんだ」

川の方を見たまま、こちらを向かずに話し続ける清正を見て、私は罪悪感を感じた。私が勝手に避けてしまって、理由を隠し続けてしまったことを後悔する。すると、清正はこっちを向いて、でもな、と続けた。

「俺はお前になら心の声が読まれたって構わない」
「は…?」
「鈍感なお前に、むしろ読んで欲しいくらいだな」

私は背筋がびりびりしてしまったが、清正はまた視線を川の方へと向けてしまった。私はどきどきして清正の方を見ると、清正の耳が赤くなっているのに気が付いた。ふつふつと体の中に熱が溢れてくる。もう外は夕暮れ時で、暑くはないというのに。清正はまた、話し始めた。

「小さい頃に、この川で遊んだことを覚えてるか」
「…うん、覚えてるよ」

小さい頃、子飼いの三人と私でこの川で遊んだことがある。正則が最初に川に飛び込んで遊んで、私も飛び込んだのは良かったのだが、深いところに着いたために溺れてしまった。すぐに動くのも疲れて、息をするのも疲れて、水中へと沈んだ。慌てふためく正則の声と、大人を呼んでくる!という三成の声が途切れ途切れに聞こえた時、体が持ち上がり、清正の声が頭上から聞こえた。
「無茶するな、馬鹿」

それからのことは、清正の心の声が見えてしまうのが怖くて、清正にしがみついていたぐらいのことしか覚えていない。

「助け出した時、名前は必死に俺にしがみついてたよな」
「…あれは忘れてよ、恥ずかしいから」
「あの時から、お前のことは俺が守らなきゃって思った」
「いきなり何を、」
「察しろよ、馬鹿」

清正の目が、じっとこちらを見ている。私も、じっと彼の目を見る。何だか、今日の彼はとても格好良く見える。そして私はそんな彼のことが少なからず好きなんだ。

そろそろ、彼の心の声が見えてしまうだろう、きっと清正もそれを望んでいる。だって、恥ずかしがり屋の彼は、心の声を使って私に伝えようとするはず
だ。そんなの、狡い。

ふわっと文字が浮かんだ瞬間に、私は下を向いた。それから彼の手の上に手を乗せて、言った。

「ちゃんと、清正の声で伝えないとお返事しないから」
「お前っ…!さっきの心の声呼んで…」
「ちゃんと、清正の声で聞きたい」

すると、ぐっと背中に手を回して抱き寄せられた。そして、彼は顔が見えないように耳元で囁いた。それからちょっと見つめ合って、お互いに軽く口づけて「やっとくっついたか」
目の前の清正に夢中になっていて、後ろに正則と三成がいるのに全く気づかなかった。三成はまた溜め息をついているが、正則はニヤニヤしてこちらを見ている。

「みっ、三成!」
「俺も見ちゃったぜ〜!ヒューヒュー!」
「…私死にたい」
「…名前、やり直ししよう」
「は…?えっちょっと待っ」
それから大した抵抗も出来ずに、私は清正の背中を叩くことしか出来なかったのだった。
110731