短編 | ナノ


悪い女のマーキング術


やっとだ。やっとナマエに会える。連日、早朝から任務に駆り出されたり、アイツはアイツで出張だったり。ここ数週間まともに顔を合わすことすら出来なかった恋人に、ようやく今日は会える。そう思うと苦手な朝もシャキッと起きれたし、会社へ向かう足取りもいつになく軽い。俺って単純だな、と。


「はよーっす」


オフィスに着くともう既にナマエは出勤済だった。俺が来たことを認識すると顔が綻ぶ、可愛いな。そんなに俺に会いたかったのかよ。同じく緩みそうな口元を気合いで抑え込む。


「レノ、おはよう」
「ああ。久しぶりだな、と」
「うん! 元気……だったみたいね…」


あ? 急に機嫌が悪く、なった? ん、どうしたんだ。さっきまで嬉しそう、だったよな。


「どうしたんだよ?」
「別に、レノは私に会えなくても寂しくなかったみたいだね」


原因不明の機嫌の悪さを見せたナマエは、ふんっと顔を背けデスクに戻っていった。
なん、なんだよ。


***


久しぶりにレノに会えたのに! 寂しく思ってたのは私だけだったみたい。いつもと違う移り香。しかも嫌味なほど女っぽいそれは、マーキングでもしてるかのよう。レノはあんな匂いのするもの持ってない。きっと、どこぞの女とよろしくしてたに違いない。私と付き合ってから、そーゆうの無くなったと思ってたんだけどな。

はぁ、仕事しよ。ツォンさんに外周りに行ってくる旨を伝えオフィスを後にする。レノが何か言いたげな顔をしてたけど、知るもんか。

謝ってきたら、どうしよう、私許すのかな。でも他の女を抱いたなんて知ったら、今まで通りではいられないと思う。……わかれ、るの? レノは別れたかったのかな。

気分はどん底。気を抜くと涙が出てきそう。でも、仕事。気持ち、切り替えていかないと。エントランスに出て、受付の横を通ったその時。さっき嗅いだ、嫌味なほど女っぽい香りが鼻を掠める。こ、れは。

香りのする方向を見ると、いかにもレノが好みそうな綺麗なお顔の受付嬢。ぱちり。目が合うと、ふんわり微笑む彼女は、きっと私より彼にお似合いなんだと思う。生傷の絶えない女よりも、甘く柔らかい花香の似合う彼女の方が。

何食わぬ顔で受付を通り過ぎようとした時、受付嬢たちの密やかな囁きが聞こえてしまった。


「ねえ、タークスのレノ。どうだった?」
「うーん、まあまあ、かな」
「へぇ〜〜、上手くいったんだ、すごいじゃん」


これはもう冷静ではいられない。ひとまず仕事に集中するとして、夜はレノの家に行こう。ちゃんと、話さないと、終わらせることも、できない。


***


今日の仕事は散々だった。サクッと見廻りを終わらせてオフィスに戻ろうと思っていたのに、怪しいヤツらを見つけてそこからは鬼ごっこ状態。

ようやく帰路に着いたのは22時30分。レノ、もう家に帰ってるかな。すごく会いたい人なのに、会いたくない。大好きなのに、別れることになるのかな。自然と目頭が熱くなってきて、涙を流さないように頭を振る。電話、してみようかな。


「はいよ、と」


何度目かのコール音が鳴ってから、不機嫌そうな声が聞こえて、少しだけ怯む。な、なんでレノが不機嫌なの。


「もし、もし。今どこ?」
「あ? 家だけど」
「今から、行っていい?話したいことがあるんだよね」
「おー。ん、待ってる」


めっちゃくちゃ機嫌が悪い。あまりにも露骨な感情をぶつけられて息が上手くできない。でも、待ってるって言ってくれたから、フラフラとした足取りで、レノの家へと向かう。

合鍵を使って部屋に入ると、またあの香り。いつものレノの香りがしない。クラクラするほど甘ったるい香りに包まれて、床がぐにゃぐにゃと崩れるような感覚がした。

リビングまで行くと、レノはソファに座っていた。お風呂上がりなのか、ジャージを履いただけの上半身は裸。濡れた髪をガシガシとタオルで拭っているその姿は、久しぶりに見る恋人としてはいささか刺激が強い。細身ではあるものの、がっしりとした筋肉、逞しい胸板につい目がいってしまい、軽く頭を振る。

プシュっと小気味よい音が聞こえ、ハッと我に帰る。


「よォ。……こっち、座れば」


ボーッと突っ立っている私に声を掛けたのはレノ。二人の間にはビールが喉をくだる音だけ。こんなにも会話がしづらいのは初めてだ。

頷きながらレノの横に座ったものの、なんて話を切り出せばいいのか分からなかった。だって、もしかして、このまま別れ話になるのかもしれない。レノを目の前にしたら、急に現実味を帯びてしまい、体はぎしり、と固まってしまった。

別れたく、ない。そう、思えば思うほど苦しくて、込み上げてくるものを必死に抑え込もうとしていた。


「なぁ、なに怒ってるんだよ……って。なんで泣いてんだよ……」


気付かぬうちに涙が流れていた。一度決壊した涙は滝となり、止まることなく頬を流れ落ちる。私、レノのこと、大好きなんだ。


「うぅ……れ、の。レノ、れの、ひっく」


泣き出した私をレノが優しく抱きしめる。なんだよ、とか、ここにいるぞ、とか、とにかく優しくて。でも纏った香りがいつもと違うから、涙とともに、感情までも溢れてしまう。


「ねえ、なん、で……、私、のこと、……もういらな、いの……?」
「は??」


思い切って振り絞った私の言葉に対して、レノは目を丸くした。


「なんで、いらないとかなるんだよ、と。まじでわかんねぇから、教えてくれよ。ナマエが泣いてるのに、理由がわかんねぇの、かなりキツイ」


そう言って体を少し離すと、私の目もとを、涙を掬うようにレノの親指がなぞる。愛しいものに触れるかのような、驚くほど丁寧な動きに胸がきゅうっとなった。


「れ、の、から、知らない匂いが、するの……。もしかしたら、会えなかった間に他の誰かと、仲良くしてるのかなって、思って……」
「知らない匂い? ……そんなんするか?」
「するよ! 今だって、甘い香りさせてるじゃん! 今日も何してたの? 私と会えない間、あの受付嬢と、会ってたんじゃないの!」


これだけの匂いを撒き散らしておいて、逃げようだなんて、許せない。ひと思いにわぁっと話すと、頭にハテナマークが浮かんでいるレノ。なんでそんなポカンとした顔してんのよ。


「受付嬢? またなんで。いや、ちょっと待て。本気でなんの話かわかんねぇぞ、と」
「今朝、外周りに行く時、エントランスの受付嬢たちが話してるの聴いたの。タークスのレノといい感じだって」
「……、あいつか。お前が怒ってる理由、なんとなくわかってきたぞ」


はぁ、と大きなため息をついたレノにビクッと体が揺れてしまう。


「受付嬢って今朝いたあいつだろ。お前と会えてない間、もし良かったらもらって、ってシャンプーセットもらったんだよ。ずっと飯誘われてて、断ってたんだけど、しつこくてな。シャンプーくらいいいかって」


シャンプー。あ、そうか、この甘ったるい香りはシャンプーか。レノの後ろ首まで手を伸ばすと、さらりと触れる尻尾をひとふさ掴む。そっと鼻を寄せると、あの匂い。


「これ、あいつのマーキングだったか。悪ぃ、ちょうどシャンプー切れちまって、そのまま使っちまった」


眉をハの字に寄せ、これでもかと反省している顔を見せる。


「じゃあ、本当になんでもないの?」
「もちろんだぞ、と。まじで焦った。 お前に嫌われたかと思った」


はぁ〜〜〜、と、先ほどよりも安堵を含ませたため息をついて、項垂れるレノに、恥ずかしさと申し訳なさが込み上げる。


「あ、あの、ごめんね、勝手に勘違いして」
「まったくだ、と」


上目遣いで私の顔を覗き込むレノはなんだか悪い顔をしてる。肩にかけていたタオルをバサッと床に落とす。


「お前さ、俺からいつもと違う匂いがするだけで、そんな嫉妬すんの?」


言いながら、とんっと肩を押される。ソファに倒れこむとレノが覆い被さって、


「俺がナマエしか見てないってこと。ちゃーんと思い知らせてやらねぇとな」


くつくつ笑いながら、私の小さな手とレノの大きな手が絡まるように繋がれて。懐かしくさえ感じるその暖かさに頬を擦り付ければ、露わになった首筋にレノの唇が落ちてきた。きっと、この後は、会えなかった時間を取り戻すように、甘く柔らかいものになる。予感めいたそれが確信に変わるのは、唇がやっと触れ合ったその時。

次の日、目もとを赤く腫らした受付嬢の姿を見て、可哀想だけど胸の膨れるような心地よさを感じた私は結構悪い女なんだと思う。その彼女の横を、レノとお揃いの甘ったるい香りをさせながら、歩くんだから。目を見開く彼女に会釈をして。はい、マーキング、完了、と。


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