短編 | ナノ


あなたのとなりで


異変ともまだ言えない、小さな小さな違和感。朝起きたらベッドに血が付いていた。あれ、これは誰の血?怪我してたっけ。落ちるかなぁ。白いシーツに数滴、ぽたりと落ちた赤は、なんだか彼を連想させて、そわそわとしてしまう。早く洗ってしまおう。綺麗に洗って無かったことにすれば、この違和感も拭えるはず。

赤を連想させる彼はもう既にいない。深夜遅くに帰ってきて、貪るように私を求めては、ほんの少しだけ眠り、日の出と共に出掛けて行った。こんな生活がかれこれ数週間続いてる。大丈夫なのかと尋ねれば、会社で仮眠取ってるし平気、とさらり答える。それならいいのかな、とあまり深く追求せず見送る。見送るといっても手酷く抱かれた時は起きられず、いつのまにか隣にあったはずの体温が消えて、冷たいシーツの海が広がってる。さみしい。

今日は早く帰れそう、メッセージを受信して嬉しくなった。彼の好きな物を作って待ってよう。少しでも体を休めてほしい。少しでも疲れを癒してほしい。総務部調査課の仕事について、私はあまり知らない。知らない、けれど、気付かないわけではない。遅くに帰ってくる彼は砂埃と血の匂いに塗れている。怪我をしている時には手当てをして。スーツにべったりと血が付いていた時には驚いた。驚いて、怪我の有無を尋ねると、俺のじゃない、と血の通わない青白い顔で返され、何も言えなくなった。

いい子は早く寝んねしな、夜更かしする悪い子の所にはタークスが来るよ。まことしやかに囁かれているミッドガルの都市伝説。俺たちだーれだ。そんな言葉と共に黒い悪魔がやってくる、なんて。そんな事を信じるひと達にお仕事外の彼を見せてやりたい。時にお調子者で、時にちょっと意地悪で。でも心の根っこが綺麗な優しいひと。あ、でも優しいひとって壊れやすいんだっけ。じゃあ少し違うかも。

早く帰れそうといった彼は結局帰って来なかった。きっと悪い子がいたんでしょ。俺たちだーれだ、しなきゃいけないんだもん。おつかれさま、とだけメッセージを残して私は今日の生活をこなす。

その夜、二日ぶりに会えた彼はとても疲れていた。私を求める気力すらないようで、帰宅して早々に眠りについた。ご飯も食べずに。私はというと、なんだか寝付けなくて一人起きてリビングでテレビを見ていた。小さな小さな音量で、彼を起こさないように。しばらくすると、ベッドルームから物音がした。がたん。起きたのかな。私がいなくて寂しかったかな、なんて呑気な事を考えた。きい、リビングのドアが開いて彼がふらふらと歩きながら部屋に入ってくる。どうしたの眠れないの、なんて声を掛けたけど聞こえてないみたい。あれ、何か、おかしい。様子を見ていると彼は部屋をうろうろしてる。まるでゾンビ映画に出てくる顔色の悪いあれ。焦点の定まらない瞳は虚ろで、何がしたいのかわからなくて急に鳥肌が立つ。ねえ、ねえってば、どうしたの。私の声が聞こえたのか、ぎぎぎ、と首だけ動かして振り返る。なぁハサミってあったっけ?ハサミ?ハサミなら道具箱だけど、それがどうかしたの、そっか、道具箱か、ありがと、ねえ、なんか変だよ、こんな時間にハサミなんていらないから寝よう、一緒に寝よう。また聞こえなくなったみたいで、ぎぎぎ、と動いてハサミを取り出した、その時。腕に振り下ろした。右腕に突き立てるように。そして突き刺したハサミを勢いよく抜くと血が、吹き出た。まってまって、ねえ何してるの、やめてやめてやめて。彼からハサミを奪い取り、腕を見る。ぼそっと彼が呟いた。疲れたな、明日も仕事だ、眠たいな、明日も仕事だ、死にたいな、明日も仕事だ、今日も何人死んだかな、明日は何人殺すかな。彼の心はずっと悲鳴をあげていたんだ。もしかしてベッドの血は。小さな小さな違和感が今大きな大きな落とし穴になってどん底まで真っ逆さま。何も映さない瞳には真っ暗闇が広がってる。ねえレノねえしっかりして。渾身の叫びが届いたのか、だんだんと瞳に色が灯る。あれ?俺なにしてんの?てゆうかなに?めっちゃいてーんだけど、俺何があった?なんかした?意識を取り戻した瞬間痛みに襲われたみたいで、顔を顰めてる。私は何も出来ない自分が情けなくて泣いてばかり。どうしたんだよ泣くなよごめんな、そんなこと言わせたい訳じゃない。ひとまず治療してゆっくり寝よう?そう提案すると、そうだな、と笑顔の彼。なんで笑うの、やめて笑わなくていいよ、辛いなら辛いって言ってよ、きっと私じゃ何も出来ないけどそばにいるよ。言葉にできず彼を抱きしめた。

その夜からたびたび彼に異変が起きた。ハサミ、カッター、ナイフ、包丁。ひどく傷つけたがる彼が正気に戻るまで必死だった。正気に戻ると痛い痛い何で痛いと笑う彼が怖かった。回復マテリアで傷を治し、また眠る。この繰り返し。さすがに私も憔悴しきってしまい、何が現実で夢で本当なのか嘘なのかわからなくなっていた。

ある日また深夜に帰宅した彼は初めて同僚さんを連れてきた。その人はルードという寡黙なひとだった。どうしても今日一緒に泊まらせてくれと譲らない。初めて会うひとを泊めたくないと思ったけれど、このひとがいれば彼を止められるかなと思って頷いた。夜になるといつもの彼。いつもと違うのはルードさんがいたこと。いつからこうなっていた、あんたも一緒になって堕ちてるのか、なぜ誰にも言わなかった、なんて。いつからだっけ?シーツに血が付いてた時?誰に言えば良かったの、誰が助けてくれたの、なんでもいいから彼を助けて、救ってあげて、私じゃ駄目なの、何も知らないから。あなたなら知ってるでしょう。助けて彼を助けて。

その日から彼は会社付属の病院に入院した。しばらく面会謝絶と言われ、私もその間にカウンセリングを受けろと言われた。カウンセリングは何を話していいのかわからなかったけど、少しだけ気持ちが晴れた。ルードさんが訪ねてきて経過を教えてくれた。ずっとアイツの様子が気になっていたこと、そして、アイツは大丈夫だ、世話を掛けたな、まだ一緒にいたいと思うか、と問われ頷いたら、ルードさんは優しく笑ってくれた。

約二週間が過ぎて、夕方頃玄関のドアが開いた。ただいま、と。懐かしい声が聞こえた。久しぶり、と抱きつけば受け止めてくれてそのまま離れていた時間を埋めるように互いを求め合った。もう月と太陽が交差するそんな時間。微睡む意識はいつのまにか寝てしまっていたことを示していた。隣にあるはずの体温がない。リビングから音が聞こえる。ゆっくり近づくと手に包丁を持つ彼。ああ、もう大丈夫。やっぱり彼は優しいひと。私にできることは彼を受け止めること。ずっと、あなたのとなりに、いるよ。

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