その声に、その目に、溺れる
会社の先輩×後輩



朝起きたら隣で裸の男が寝てた。

このフレーズは何度か少女漫画あたりで目にしたことがあるものだ。いわゆる朝チュンってやつ。朝目を覚ますと、主人公は何故か裸で目の前にも裸の男。眩しい朝日がカーテンの隙間から僅かに差し込み、小鳥がチュンチュン鳴いてるというお決まりのシーン。

俺はそんなことを横たわったまま考えていた。
というのも、俺が今その状況にいたから。

目の前には俺以外にもう一人静かに眠っている人がいた。
眠っていてもわかる美形具合。真っすぐな睫毛、スッと整った眉に、綺麗な輪郭。この閉じられている目も唇も、完璧に配置されている。つまり、どこをとっても非の打ち所がないご尊顔。

普通だったらヨッシャ美女とワンナイトラブできてラッキ〜とでも思うかもしれない。
でもラッキーなんて思えない理由が二つあった。

まず一つ目はこの相手が男であるということ。

そしてもう一つは俺の会社の先輩だということ。

まったくもってラッキーではない。
何をやってるんだ、俺は。


それから。


俺は逃げるようにしてホテルを出た。
先輩が起きる前に、先輩が起きないようにコソコソとシャワーを浴びコソコソとホテルを出た。二日酔いのせいで頭痛がするし、気持ち悪いし、何もかも最悪な朝だ。寝坊しなかっただけ、幸いか。もし、先輩に起こされていたら俺は死んでいた。どんな顔すればいいかわからん。

でも、もしかしたら先輩は昨日のことを覚えていないかもしれない。
お互いベロベロに酔っていたし、俺もだいたいあやふやだし。ヤっちゃったってことは覚えてるけど。

いつもクソみたいな記憶力な癖にどうしてこういうことは忘れてくれないんだろうか。

先輩が忘れていることを願いながら俺はいつも通り出社。
いうても、昨日と同じシャツと同じネクタイだけどね。あはは〜、ツッコまれたら死ぬ〜。あれ、これもし先輩もホテルから直出社ってなったら、俺と同じ状況になるのでは?あははは、こりゃまずい。

そもそもなんで先輩とヤる流れになったのかまじで不明。俺酔うとちょっと甘えたになるけれどそんなんで先輩が欲情するとも思えんし。相当溜まってたんかな。先輩だったらそんなの女捕まえれば済むことなのに…。女捕まえる暇ないくらい忙しかったんだろうか…。哀れだ。そして掘られちゃった俺はもっと哀れ。誰でもいいから俺を思いきり殴って都合の悪いこと全部忘れさせてください。

俺はずっとそんなことを考えながら朝礼前のメールチェックに勤しんでいた。時々無意識のうちにメール返信欄に「神様たすけて」とか「殺してくれ」とか打ってたし。俺相当やばいやつじゃん。自殺志願者に思われちゃう。

しかし、俺の現実逃避タイム終了のお知らせは、すぐにやってきた。
先輩は遅刻することなく、相変わらずのイケメンオーラを纏わせながら出社。気のせいか社内の雰囲気も変わる。女性社員が色気を纏い始めるからだ、やれやれだぜ。

とかなんとか言ってられないんだよこっちはよおおおお!
先輩来ちゃったよ、てっきり午前休使うかなあとか思ってたのに普通に出社してきちゃったよおおお、いや、俺がモーニングコール頼んどいたお陰ってのもあるかもしれないけどね、ほら、一応こんなんで先輩が寝坊して怒られたらかわいそうだし…あっしかもネクタイ昨日と一緒やん、やば


「あっおはようございます、宮野さん」

「おはようございます」


すぐ後ろで美女とイケメンの挨拶が聞こえる。何故声だけで美女かわかるかというと、この声は社内で男受けナンバーワンの鈴木さんの声だからだ。そして男の方は先輩。宮野さん。

俺はぶるぶると腕が震えるのを感じた。恐怖から来てる震え。キーボードがカチャカチャうるさいし。


「里中、腕痙攣してるぞ」


その様子を隣で見ていた同僚が俺に指摘してくれた。そんなん言われなくてもわかってるわ、あと痙攣じゃなくて震えねこれ。


「ちょっと武者震いが…」

「これから戦でもあんの?」

「ああ…ちょっとな…」


ある意味戦いだよな。先輩をどう切り抜けて生き延びるかという戦い。すでにこの戦いは始まってる。そしてこの会社は戦場と化した。先輩が同じ空間にいるのだから。

同僚は「そっか、頑張れ〜」と適当なことを抜かしつつ「とりあえずちゃんと寝ろよお前」と言ってきた。ソッと机の上に置かれる冷えピタ。すでにやばい奴扱いをされてる。頭冷やせってこと?

まあでも正直寝不足も相まって頭がパニックを起こしてるのかもしれない。
同僚にもらった冷えピタをさっそくおでこに貼りながら、コーヒーでも飲もうと決意。

しかし、これは失敗だったと後悔することになる。

自動販売機へと向かい、コーヒーを選択したところで背後に人間の気配。さっさと退けようとコーヒーを拾って踵を返そうとしたところで腕を掴まれた。

んぎぇっ


「な、なんす・・・・・か・・・」


突然掴まれた腕のせいで身体がグンッと引っ張られながら顔を上げる。
と、そこには、昨日の夜散々顔を合わせた相手が目の前にいて。

広がるイケメン顔。
こんなイケメンは社内に一人しかいない。


みっ、

宮野さんッッッ


「おはよう里中」


先輩はニッコリ笑いながら俺に挨拶してくれた。どうしてそんな完璧な笑顔を浮かべられるのか。たぶん俺は絶望に染まりきった顔をしてるぞきっと。掌が汗でビッチャビチャになる。

いやいや、いつもの朝の挨拶かもしれないし
俺も平静を装わなければ。


「おっ、おはようございます先輩〜っ!今日もお洒落なネクタイしてますねっ!」

「ああ、ありがとう。昨日と同じだけどな。」


やべ。墓穴った。

適当に話題を作らなければと思ってネクタイを指で突いてみたが考えてみれば昨日も同じネクタイやんけ。自分から何積極的にお墓に入ろうとしてんだよ俺は。死に急ぎすぎだろ。

先輩は相変わらず笑顔を張り付けたまま俺にそう返してくれた。よく、女性社員に向けている笑みだ。にこ、と一見優しそうに見えるが内心うぜえと思ってる時の顔。

こわ。


「あっ、え〜と…そろそろ朝礼始まるんで、戻りませ…ンッ!?」

「まだ10分あるよな?ちょっと秘密のお話しようか、二人で。」


最後のワードを強調させながら、先輩は俺のネクタイを引っ張って歩き始めた。
明らかに嫌な予感しかしない。いつもの先輩はもう少し紳士的だし、ここまで強引ではない。…いや、強引な人ではあるけれど、ネクタイを引っ張って後輩を歩かせるよな人ではないはず。

俺は引き摺られながらもどうにか拒否ろうと奮闘した。「ちょっとトイレに行きたいです」とか「二日酔いで具合が悪いんです」とかそんなことを言ったが先輩はガン無視。

そして、普段あまり人が出入りしない物置部屋にぶち込まれ、先輩は俺を壁に押し付けた。


「俺に何か言うことは?」


鼻先がつきそうな距離。俺より10cmくらい背が高い先輩はわずかに高い視線に位置してる。
女の人が一発で虜になる綺麗な琥珀色の瞳が俺を見下ろしていた。


「な、何かって…。特に、何も…」


本当に、俺は先輩に言いたいことなんてなかったし。言わなければいけないことも。
俺は視線を先輩の首元にずらす。男らしい喉仏。シャツの襟から僅かに見える首筋がうっすらと赤紫色に染まっていて俺はゾッとした。

俺、そういや先輩の首に昨日…色々やってしまった気が。
この状況で嫌なことを思い出してしまった。
平静を保とうと思っていたのに、顔が熱くなる。


「お前、昨日のこと覚えてるだろ」


その様子を見た先輩は俺にそういってきた。
俺はギクウッ!と心臓が縮むが、そこはポーカーフェイスだ。

え、つか、この話題持ち込んでくるってことは先輩覚えてる感じ?


「き、昨日って…何の話、」

「じゃあなんで赤くなってんの。」

「か、風邪、風邪を、ひいたんです」


冷えピタ貼っててラッキーと思った。
しかし、俺の嘘に先輩は舌打ちを一つ。俺は一瞬で口を閉ざす羽目に。
やりくちがヤクザだよ。こんな怖い人だっけか?

俺はビクビクとしながら、次は一体何にキレられるんだろうかとおびえる。
が、先輩は途端に優しい口調になった。


「…実際、身体は大丈夫か?」

「へっ」


先輩の顔を見上げると、ちょっと申し訳なさそうにしている。先輩は俺の腰を優しく撫でてくれた。少し、触れるのに戸惑ったような触り方。恐る恐る、とが正しいだろうか。

先輩の指先が、スーツ越しではなくシャツ越しに変わったとき息が詰まった。
嫌でも思い出してしまう、行為中の先輩の熱い指先を。


「別に…仕事に支障きたすほどではないですよ、どちらかっていったら別のところに違和感あるくらいで…先輩、優しかったですし」


腰なんかより尻のほうが圧倒的違和感。
先輩の手を咄嗟に抑えながら、心配しなくていい旨を伝える。

が、この変なまじめさが自爆の元に。


「…やっぱ覚えてんじゃん」

「あっ」

「尻痛ぇの?クッション、買ってこようか」


先輩が心配そうに俺の顔を覗いてきた。もちろん、俺は羞恥で爆発しそうになる。
う、うわあああっ何やってんだよ俺、なんで普通に正直に受け答えちゃったんだろう。先輩が、申し訳なさそうな顔するから、だから、俺。くそっ!


「冗談はやめてください…!」


クッションなんて、そんなの、あからさますぎるだろ。
さすがに誰もセックスで尻痛めたなんて思わないだろうけど、プライドの問題だ。恥ずかしい。


「別に冗談じゃねえよ、本気で心配してんだけど」

「いやいや、そんな…」

「有給取ろうと思ってたのに、朝起きたらお前いねえから仕方なく会社来たけど」


先輩はどこまで本気で言ってるんだろうか。
だいたい有給も、そんな直前にとれるわけがないのに。先輩だったら出来るかもしれないけど、俺はまだそんな勇気はない。

すると、先輩はため息をつきながら俺の肩に顔を埋めてきた。


「まじで焦ったんだからな、俺」


俺がいなかったことがそんなショックだったんだろうか、先輩の力ない声。
なんか、ちょっと期待しちゃうじゃん。先輩、俺に気でもあるのかな、とかさ。

まあ、そんなわけないのわかってるんだけどさあ〜!!
どうせあれだろ、口封じしとかなきゃいけないからこうやって俺に親切にしてるのかもしれないし!男とヤっちゃったなんて、先輩からしたら人生の汚点だろうからね!

先輩が俺に凭れ掛かってることにドキドキしちゃいながらも、浮かれまいと頭を振る。


「あの、昨日の夜のことですけど…」


先輩が俺を呼んだのはきっと、俺に忘れてほしかったからだ。
そのことを察せないほど、俺は馬鹿ではない。


「お互い忘れましょ、あれが先輩の気の迷いってわかってますから…俺、誰にも言わないですよ」


誰にも言えるわけがねえけどな。正直、まあ、ケツ処女?捧げちゃったのは色んな意味でショックだけど、先輩だったらいいかって思っちゃうし…痛い思いも悲しい思いもしてないし。

なるべく暗い雰囲気にさせまいと、笑いながら先輩にそう告げた。

だというのに、みるみるうちに怖い顔になっていく先輩。

え…なにっ
なんでそんな怖い顔になってんの。


「俺の気の迷い?」

「え…は、はい」

「気の迷いで、男抱けると思ってんの?俺が?女に困ってねえのに」


自分で言っちゃうんだ…と、思うが事実だから俺はツッコみをやめる。そして、何故先輩がこんな怖い顔をしてるのかわからなくなった。マジで怖い。

俺は身の危険を感じ、ソッと先輩の前から逃げようとするが先輩が俺の逃げ道をふさいだ。
頭の横に手を置かれ、足の間に先輩の長い足が割りこむ。


「せ、せんぱい、朝礼、時間…」

「昨日人生で一番頑張ったんだけど、里中に伝わってないんだ」


とっくに朝礼の時間になってるというのに、先輩はそれを無視した。
そしてよくわかんないことを言う。人生で一番頑張ったって、何を頑張ったというんだ。

おろおろしながら先輩を見上げる。
先輩は薄っすら笑ってて、すげえ怖かった。


「なあ、里中」

「ひ、は、はひ」

「俺、女相手でもあんな優しくしねえんだけど。あんな緊張することも、顔色窺うことも絶対に。」


先輩は、俺のスーツの中に手の平を滑らせた。お腹のあたりから流れるように胸の上をゆっくりと這う先輩の手。淫猥さを感じる手つきに、身体がヒクリと反応する

な、なに、
俺が問いかけるよりも早く、先輩は俺の耳に顔を近づけた。

そして、


「あんなに好きって言ったのにまだ足りない?」


吐息交じりの低い声。
そんな色っぽい声で俺に囁くもんだから、背筋がビリビリと震える。唇をつけられてるから余計に。


「ぅっ、」

「お前、俺が好きっていう度に可愛い反応くれたのに」

「…や、やめ、」


先輩は俺の胸の上で親指をこすり付けた。昨日、散々いじられたそこは数時間じゃ快感を忘れられない。先輩の甘い囁きも相まって、足がカクカク震え始めた。

嫌でも思い出す、昨日の情事。
先輩は確かに、俺に好きと何回も言った。まるで恋人に言うかのような甘い声に勘違いしそうになるくらい。でも、だからこそ、そんなの本気にするわけないじゃないか。


「せ、せんぱ…、手、やめ…」


俺はもう、立ってるのが限界で。
胸を弄られて反応してしまうのもどうかと思うけど、身体が敏感になっているせい。吐息が荒くなってるのも恥ずかしいし、気づけば先輩のシャツにしがみついてる状態だった。


「かいしゃ、朝礼、が」

「お前いつの間にそんな真面目くんになってんの」

「ですけど…んぅっ」


これ以上俺に喋らせる気はないらしい。黙らせるようにして先輩が俺の唇をふさいできた。
煙草味のする柔らかい舌。唾液を絡ませるような深いキスにまんまと言葉を失う。

昨日先輩と何回キスをしたかわからない。それでも夢中になってしまうほど、先輩のキスはうまい。会社のことなんて一瞬で忘れてしまう。


「んっ、ン、は、」


濡れた唇から漏れる自分の甘ったるい声が恥ずかしい。制御できればいいと思うのに、出来ない。先輩がさせてくれない。耳をふさぎたいけれど、今手を離したら俺は崩れ落ちるのが目に見えている。

そんな時に先輩の電話が鳴った。
俺にとっては救いの音。


「…っはぁっ」


ようやく先輩のキスが終わった。先輩の唇が離れても身体の疼きが止まらなくて、息があがる。もう、なんてことしてくれたんだ。こんな状態で、今から仕事なんて、最悪だよ。

先輩は電話に出る気がないらしく、画面をチラリとだけ見て俺の頬を撫でてくれた。たぶん、呼び出しの電話だろう。俺は携帯を置いてきちゃってるからわからないけど、戻ったら同僚に何か言われるんだろうなあ。

息が整わないまま、先輩の手に頬を擦りつける。
熱い。足も、もう、だめ。

そんな俺にもう一度軽くキスをしたあと、先輩は困ったように笑った


「里中、お前後から来い」

「えっ、」


俺だけお説教を受けろってことか。
先輩、俺を犠牲にする気なのか!と目を見開く。

この状態の俺を置いてくの。


「いや違くて…、それじゃさすがに顔出せねえだろ。」


先輩は俺の下半身を指さしながらそう言った。何かと思って自分も視線を下げるが、先輩の言っている意味を理解し恥ずかしくなる。

たっ…勃っ…


「先輩のせいじゃないですか…っ」


堪らなくてその場でしゃがんだ。
どうすんだよこれ、最悪だよ


「そうだな、責任取るから」

「せ、…責任?」

「とりあえずトイレ行ってろ。お前のことも上手く言い訳しとく」


責任取るの意味がわからず首を傾げる。けど、この状況で戻るわけにはいかないので、先輩にお願いするしかない。

俺はコクコク頷いて先輩に託した。トイレ行くまでに人に会わないといいけど…。

不安げな俺を見たからか、先輩はふっと笑った。俺の頭を一撫でして立ち上がる先輩。
そして、去り際に恥ずかしいことを言ってきた。


「好きだよ、里中」


ウインクをしながら部屋を出た先輩に、俺は茫然とする。
そして、その言葉を吸収したと同時に恥ずかしさが襲った。

おっ、おれ、
俺は

どうすればいいんだよ…!