誤算、伝染中 | ナノ
16



好きだ、という侑くんの余裕のない声を聞いた時、俺は、確かにこの世界の時間が止まるのを感じた。

つらそうに寄せられた眉間の皺
悲しみと、戸惑いと、熱情を感じられるまっすぐなダークブラウンの目

無意識に溢していた「は、」という吐息が鼓膜を揺らし、意識が戻った俺はカラカラになった喉を潤そうと唾を飲みこむ

一秒が永遠に感じた。


「いま、なんて」


ドクドクと心臓が嫌な音を立てる中、それに比例して体の芯が冷えていった。

たったの一言が一瞬で、
夢から俺を引き戻す。


俺の問いかけに、侑くんは重たい吐息を吐きだした
揺らがない言葉と共に。


「好きなんだ、涼が。・・・お前をもう、兄として見れない」


侑くんの吐いた言葉に、俺は、なんというか、
感情が自分でもよくわからない状態になった。

オマエヲモウアニトシテミレナイ

この言葉がまるで、知らない外国語のように聞こえてすんなり頭に入ってこない。


「待ってよ」


俺は笑うことも泣くことも、怒ることもできた。ようやくその言葉を理解した時には全部の感情がごちゃまぜになって、結局変な表情を浮かべることに。

俺の表情を見て、侑君は曖昧な微笑みを向けた。微笑みといえるものではないけれど、憐みが籠った目が微かに歪む。


「待っても、何も変わらないだろ。俺はもうお前の可愛い弟でいられない」


・・・なにそれ。
もう、全部、遅いって事?
何もかも手遅れって事なの


「ねえ、何かの間違いだよね?お、俺がキスを求めたから?嫌だよ、そんな、俺の弟でいて」


泣きそうになる俺に侑くんはやっぱり悲しそうに笑った。
きっとごめん、と言うつもりだろう。俺はそんなの聞きたくなくて「やだ」と首を横に振る


「キスしたぐらいで何かが変わるわけじゃないよ、キスなんて、誰とでもするし、そんなの前みたいに無かったことにしちゃえば…」

「そんなことできねえしこれは気持ちの問題なんだよ。俺がもう無理だ。」

「無理って、なに」

「このままじゃ、本当に、お前を傷つける」


・・・傷つけるだなんて。
この状況より、心が痛むことなんてあるわけない。


「冗談だよね」


泣くな、泣くな、と必死に自分に言い聞かせながら侑くんに縋りつく。
冗談だよ、という言葉を望む。
けれどそれが聞けることはなかった。


「…お前にとったら冗談の方が良いんだろうけど。」


侑君は困ったように笑った。
無理して笑ってる侑くん。
俺は今、失言をしたのだろうか。


「だからこそ、知って。俺はお前を傷つけたくないし、お前に怖がられたくない」

「なんのはなし?俺が侑くんをこわがる?そんなわけ、」

「されてないから、言えるだけ」


お前を強姦しようとした男と同じになりたくない、と侑くんは続けた。


「歯止めが利かなくなってからじゃ遅いんだよ」


思い出すのは、あのトイレでの一件。
考えてみれば、あの瞬間がきっかけになってすべてが変わっていったのかもしれない。

侑君が俺に熱の籠った目を向けていたあの瞬間から、
全てが。

侑君は、あの男と違うのはわかっている。
わかっているけれど、侑くんも、あの男と同じように俺に劣情を抱いていたという事なのだろうか。


いつから?


「お前の匂い、小さな手、丸い頭、笑顔、声、過保護なとこ、泣き虫なとこ、全部に俺は惚れてんだよ。お前が俺に、無邪気な笑顔を浮かべながら抱き付いてくるたび、胸が痛んだ。」


涙を流す俺の頬に、侑君は指を這わしてくれた。
丁寧に一粒ずつ掬い取ってくれる。

侑君の言葉は、心の底から嬉しいものだった。
俺を愛してくれている。

でもこれは、間違ってるよ
だって俺らは兄弟だもの。
たとえ、半分しか血は繋がっていなくても。

俺は侑くんの兄で、
侑くんは俺の弟

俺はやっぱりそれが悲しくて涙が零れた。


「おれも、すきだよ、侑くんのこと。だいじな、だいじなおとうとだもの、」

「うん」

「でも、・・・だからこそ、こんなの、」

「・・・ああ。」


そうだな、と俺が何も言わなくても侑くんは頷いてくれた。
そうだな、間違ってる。と。

侑君は俺よりずっとずっと大人だった。
侑くんはとっくに受け入れていたんだ。
受け入れていたうえで、俺にこの事を。


「・・・最大の裏切りだな。」

「え?」

「俺が弟ってだけで、無償に愛してくれてたのに。」

「そんなことない」


裏切りだなんて、
侑君の手に自分の手を重ねながら頭を振って否定する。


「でも気持ち悪いだろ」

「っ、そんなわけ…!」

「どこまでも俺に甘いな。涼は」


侑君は笑った。
俺に呆れているのかもしれない。
でも、仕方ないじゃないか。


「侑くんは侑くんだよ。俺の大事な弟、ずっと、永遠に、だから絶対離れない」

「実の兄に性的な目を向けてても?」

「…っう、…うん」


侑君が俺を挑発するかのように、俺の顔に顔を近づけてきた。
咄嗟に顎を引くけれど、負けじと侑くんの質問に答える。

侑くんは俺を遠ざけたいみたいだけど、そんなの、嫌だった。俺を1人にしないで。俺を兄でいさせて。

もしかして、今まで俺をずっと拒否していたのはそういう理由だったのだろうか、…なんて、自意識過剰か。


うん、と返事をした俺に驚いたらしく目を丸くしている侑くん。
けれどすぐにフッ、と笑う


「そういうところにも、惚れてる」


そう言って侑君は俺に柔らかい表情を向けた。
何年ぶりに見たのか、優しい笑顔。

その表情に、俺は釘付けになって何も言えなくなる。
というか、ほ、惚れ、・・・?


「俺ソファで寝るわ」


固まった俺を置いて侑君は突然起き上がった。
えっ、


「え、あ、なんで、」

「お前に下心がある男と一緒になんて寝れねーだろ。もう一回この下りやる気か?」


た、確かに、
そうか・・・。


「っ、そ、そう、か、そうだよね、あはは、」


なんか恥ずかしい
下心がある男って、なんか…。

顔が真っ赤になるのがわかった
俺は俯いて、「俺が自分の部屋で寝る」、と答える

侑くんは小さく笑って「そうして」と言いながら俺の頭を撫でた

頭の中がごちゃごちゃしてる俺と違って、侑くんは憑き物が落ちたかのようにすっきりした顔をしてる

おれを恋愛的に見てるということを隠していたのが、そこまで重荷だったんだろうか


「お、お、おやすみなさい」


俺は侑くんの顔が見れず、俯いたまま侑くんに挨拶をした。顔どころか全身があつい。倒れそう。


「おやすみ」


返事をくれた侑くん
俺はその優しい声に恥ずかしくなって小走りで部屋に戻った

侑くんがどんな顔してるのかなんて見ることもできずに。


侑くんが俺を好きだったなんて
知らなかった

それとも無意識のうちに気づかない振りをしていたんだろうか

ああ
明日から、どうしよう。

明日もこの家に残るのに。




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bkm