11
それからしばらくして、侑くんがお風呂からあがったようだったから今度は俺がシャワーを浴びた。今は夜の九時。お風呂からあがると40分経過していた。
濡れた髪をタオルで乾かしながら廊下を歩く。
重たい足。なんか、すごく疲れている気がする。…明日、俺は侑くんとバスケを出来るんだろうか。というか、侑くんはしてくれるのだろうか。
そんなことを思っていたら、階段前の扉がガチャ、と開いた。
階段前の部屋
確か、お母さんの…
「・・・・あら、涼ちゃん」
出てきたのは、ラフなワンピース姿のお母さん。化粧を落としたのか、唇も色も目の周りも鮮やかではない。青白い顔
俺はその顔を見た瞬間、視界が揺れるほど心臓が大きく脈打った
「シャワー浴びてたの貴方だったのね。」
「あっ、えっと…はい…」
目をそらしながらも慌てて返事をする。ああ、タイミングを見誤った。お母さんがシャワーを浴びてから入れば良かったのに。てっきりまだ帰ってこないと思っていたから。
頭に乗っかっているタオルの両端を手でギュッと握りしめながらお母さんの首らへんをみる。やっぱり、目は見れない。
「ちゃんと髪の毛乾かさなきゃだめよ〜?風邪引いちゃうから」
「えっ、」
お母さんはそう言って俺のタオルに触れた。お母さんの顔が近づく。
な、なに…?
「あの………っぃ゛!」
「それと、どうして私より先にお風呂入ってるの?入れ直しじゃない」
「ごっ、ごめんなさい、」
突然、俺の髪を引っ張るようにしてお母さんが俺の顔を覗いてきた
恐ろしいほど暗い目
目は見開いていて、そこから冷酷な怒りを感じる
「すぐそうやって謝って…まるで私が悪いみたいじゃない」
「ごめ、んなさい…俺が悪いんです…」
「そうよね?私は悪くないわよね?」
お母さんの後に入らなきゃいけないのに先に入った俺が悪い。うつむいたまま必死に頭を縦に降る
お母さんの声と目にガクガクと体が震えた。
「あーあ、せっかく家族水入らずの食事があんたのせいで台無し。偶には空気を読んで欠席したらどうなの?あの時も完全に私が悪者だったし。」
おかあさんはそう言って俺の顎に触れた。顔を持ち上げられ、目の前にあの目が広がる。
長い睫毛に大きな切れ長の目。目の端には微かに皺があるお母さんの目。そしてその瞳の中には恐ろしいほどの憎悪と軽蔑が篭っていた
「そ…れは…」
「ねえやめてよ涼ちゃん〜あなたは部外者なのよ?家族面しないで頂戴。」
俺は部外者。
何度も言われた言葉。けれども何度言われても俺の心臓に深い傷を負う。鋭い言葉のナイフが俺の柔らかく脈打つそれにズブリと突き刺さる。そしてじわじわと横にその穴を開いていくのだ。何度も何度も。いつまでたっても慣れない痛み。
慄然としている俺をおかしそうに笑いながら頬に爪を刺した。ギチギチと、皮が切れてしまいそう
「本当醜い顔。」
そして、途端に笑うのをやめて吐き捨てるようにそう言った
「女みたいな顔して。何がダメなのかしら、目?鼻?口?整形でもしたらどう?」
「や、やめてください…」
「身長も中身も良いところ一つもないじゃない。すぐ泣きそうになってボソボソ話して。あんたやっぱり女なんじゃない?」
まるで汚い物を見るかのような目と、声色。
それに俺は少しも動けない。息一つ、彼女の癪に障ってしまうのではないかと恐怖に震える。
「ほんと、あんたみたいなのがこの家の長男だなんて信じられない、侑介の方がずっとー・・・」
「涼!!」
突然、侑くんの俺を呼ぶ声が上から聞こえてきた。
咄嗟に上を見上げると、階段から身を乗り出しながら俺らを見ている侑くん。俺の顔を見て、走りながら階段を下りて来た。
緊張が解けたのか、途端にほろりと何かが俺の頬に伝う。その時自分が泣いているのだと気づいた。
「おい、お前いい加減にしろよ!!!」
「なによ、何のこと。」
侑君がお母さんから俺を剥がして俺の肩を引き寄せてくれた。
ボスッ、と侑くんの胸に顔が埋まる。
侑くんの匂い、侑くんの体温。
ああ、
ああ。
俺はまた、侑君に助けられている。
「その醜い嫉妬を涼にぶつけるな」
侑くんがお母さんに何かを言っているようだった。
俺は涙がぼろぼろ零れて、耳もうまく聞こえなくなる。ガンガンと頭の中がうるさくて、とにかく、頭の中がグチャグチャだった。
「私が嫉妬?この子に?どうして」
「人に聞かねーとわからねえの?勘弁しろよ、お前が母親だってことがさらに恥ずかしくなる」
「そんな奴を庇う方が恥ずかしいわよ、その子、薄汚い女が産んだ他人よ。侑介より歳が上なのにそうやって弟に泣きつくことしか能がないクズ。だから私教えてあげてるの、親切にね。この家にいることが場違いだってこと。生きていることがそもそも間違いなのよ」
途端に、侑くんの身体が激しく動いた。次いで聞こえる「キャアッ!!」というお母さんの悲鳴。ハッとしてお母さんの方をみると、侑君がお母さんの胸倉を掴んでるところだった。
「や、やめて、侑君!!!」
息も絶え絶えになりながら、俺は侑君の右手を掴んだ。
「このクソ女」という侑くんの激しい罵声があまりにも怖くて俺は泣き叫ぶ。やめて、こんな侑くん見たくない、お母さんを傷つけるような人にしたくない。
必死にその腕に抱き付いていたら、侑君が舌打ちをしてお母さんから手を離した。
お母さんが床にへなへなと座り込む。
慌てて駆け寄ろうとしたら、侑君に腕を掴まれた。
侑君の後ろに身体を寄せられ、お母さんをただ見下ろすだけになる。
「どうしてその子なのよ、」
お母さんは泣いていた。
目を開けたまま、虚ろな表情で涙を流している
「私は貴方の母親で、あの人の妻なのに。どうしてその子を選ぶの」
「お前が間違ってるからだよ、憎む相手を」
そう言い残して侑君は俺の腕を引いて階段を上がり始めた。
俺を強く引く侑くんに足をもつれさせながら、侑くんについていく。ついていくしかなかった。俺が残ったところでお母さんをさらに絶望に引き込んでしまうのがわかっていたから。
ああ、まただ。
俺のせいでまた、お母さんを傷つけてしまった。
むしろ、俺という存在が居続ける限り、お母さんを傷つけ続けるのかもしれない。
一段階段を上がるごとにポタポタと顎を伝う涙。
侑君の、痛すぎる手。
後ろでお母さんが泣く声。
ごめんなさい、
ごめんなさい、お母さん。
俺は本当に、この家にいてはいけないんだ。
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bkm