誤算、伝染中 | ナノ
9


夜。
家族で食事の時間がやってきた。

俺はパーカーから、少しフォーマルめなシャツとスキニーチノに着替える。
侑くんは相変わらずの格好でピアスもいくつもつけたまま。
今から行くお店では少し浮くのではないかと心配で、侑くんに声をかけた。


「その格好でいくの?」

「そうだけどなんで。」


な、なんで?
まさかそう聞き返されるとは思ってなくて言葉に詰まる。


「いや、えっと…」

「…俺はお前と違って他の奴らの目とか気にしねーから。あと着替えるの怠い。」


そう言って侑くんは、俺のシャツの襟に手を伸ばした。
第一ボタンまでしっかり留めている俺の襟。
何事かと咄嗟に侑くんを見上げる俺に少し笑いながら、侑君はそれをプチンと外した。


「らしくねえよ。」


一番上のボタンが外されたおかげで、緩くなった首元。
呼吸がしやすくなる。別に、苦しかったわけではないけれど気分的に。

侑くんが言う『らしくない』ってのは学校ではシャツのボタン何個か開けてるから。
少し恥ずかしくなって、外された襟をギュッと握る


「ただ飯食べに行くだけなんだから気張る必要ないだろ」

「う、うん…そうだね。」


侑くんは強い人だから、そう思えるんだ。
自分をしっかり持っている。誰かに影響されて自分を見失うことはない。
芯の強い人。

俺は違う。
特に、お母さんがいるときはもう、自分がどれだけその空気に溶け込むことが出来るかばかりを考えてしまう。

だから、そのお店に行っても恥ずかしくないような服に着替えて髪も整えて。
それらしく見せようと躍起になる。


「二人とも準備は出来ました?」


玄関に行くと、松谷さんが俺らを待ってくれていた。
「よろしくおねがいします」と言うと、「いえいえこちらこそ」と笑う松谷さん。
お父さんとお母さんは先に一緒に出て、二人の時間を楽しんでいるらしい。

朝乗ってきた車とは違う車でそのお店まで向かう。
帰りも、俺らとお母さんたちは別々なんだろうか。

侑くんは、相変わらず窓の外を見ている。朝来た時と同じように。
俺はどうしても居心地が悪くて、iPhoneを眺めて気を紛らわそうとした。真澄。今真澄は何しているんだろう。夜ご飯は、食べたかな。

真澄は正しい人だから、お昼に真澄が言っていたことはその通りの事だった。
いくら兄弟と言えども、完全に理解することなんて不可能だと。

半分しかつながってないのなら、なおさら。

俺の半分は、侑くんも知らない他人の血が流れている。





「あら、来たわね。」


ウエイターに案内された席に行くと、すでにお父さんとお母さんはその場所で何かを飲んでいた。薄黄色で炭酸が入っているもの。シャンパンだろうか。

俺らの姿を見てお母さんはそう呟いた。
待ちくたびれた、とも取れるし来てしまった、ともとれる声色。

俺は小さな声で「遅くなりました」と謝る。
一応時間通りにきたのだけれど、お母さんの反応がよくわからないからそう言っておく。ウエイターに椅子を引かれたから、とりあえずお父さんの横に腰かけた。侑くんはお母さんの隣。


「時間通りだからへーきだよ。…つか侑介なんだその格好。一応ここ結構良い所なんだけど」

「なんで店に俺が合わせなきゃいけねーんだよ」

「おっ、言うねえ。」


侑くんの堂々とした態度にお父さんは笑った。お父さん自体、身なりなんてそんなに気にしていないのだろう。お母さんはきちんとドレスコードをしていて黒のタイトなワンピースを着ている。耳には大きな真珠。本当、綺麗な人。


「いやだ、侑介。その耳についてるのなに?」


侑君の耳にたくさんピアスがついてるのを見て鼻の頭に皺を寄せながら、お母さんは心底嫌そうな顔をした。
朝の時は、気づかなかったんだろうか。
その様子を見て、やっぱりせめてピアスは取ってもらうべきだったと後悔する。俺が注意しておけば、侑くんが怒られずに済んでいたのに。


「ピアス。」

「わかるわよそんなの。いつからそんなジャラジャラつけてるの?不良みたいでみっともない。高校生なのにピアスだなんて。」


侑くんはお母さんの言葉に呆れたようにため息をついて背もたれに背をくっつけた。返事をする気もないらしく、腹立たしげに眉間に皺を寄せている。


「侑介、聞いてるの?」


お母さんが侑君の肩を掴んだ。
途端にさらに怖い顔になる侑くん。今にもその手を叩き落とそうとするのではないかとヒヤヒヤする。

そうなる前に咄嗟に「ごめんなさい」とお母さんに声をかけた


「ごめんなさい、俺が、ちゃんと侑くんを見てなかったから…」


お母さんが、身だしなみが乱れてる事を嫌うのは知っていた。
侑君がピアスを開ける前に俺が注意をしておけば。


「なんでお前が謝んだよ」


侑君は相変わらず不快そうだった。
むしろ、俺が謝ったから余計に、とも取れる。


「でも涼ちゃんが侑介の面倒ちゃんと見ておけばこんなことにならなかったのよね?15なのにピアスだなんて…私がいたら絶対止めさせるのに、どうして涼ちゃん止めなかったの?」

「・・・笑わせんなよ、どう考えても涼関係ねーから。つか面倒ってなんだよ。」


馬鹿らしい、と侑くんはもう呆れかえって笑ってしまっていた。
お母さんは納得いっていないようで「でもぉ、」と続けようとする。

するとお父さんが割って入ってきた。


「まあまあ、確かに涼は関係ない。涼が代わりに怒られる必要もないしそこまで責任を負うこともねーだろ。侑介も赤ん坊じゃあるまいし。」


俺の頭をぽんぽん撫でてくれるお父さん。恐る恐るお父さんの方を見ると、困ったように笑っていた。…俺がでしゃばりすぎたんだろうか。侑君も呆れかえっていたし。


「貴方何とも思わないの?侑介がピアスなんて。」

「…良いとは思わねーけど、開けちゃったもんは仕方ねーだろ。」

「だから止めるべきだったのよ。弟がよくない事をしてたら止めるのは兄の仕事でしょう?私たちが監視できない場所なんだから」


その通りすぎて俺は肩身が狭くなる。
侑君の兄である俺が、しっかりしてなきゃいけなかった。

すると、お母さんが俺を見た。
あの恐ろしく冷たい目が俺に向けられる。


「しっかりしてよね、本当。」


お兄ちゃんなんだから、と目と同じくらい冷めた声。
まっすぐ俺に届いたそれに、俺の目線は徐々に下がっていく。

昔から言われていたこと。
お兄ちゃんだから、弟を優先するのは当たり前。
面倒を見るのは当たり前。
大事にするのは当たり前。

俺はその言葉に縛られ続けている。



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bkm