誤算、伝染中 | ナノ
5(真澄視点)


!真澄視点!



ふと、意識が浮上して目をゆっくり開けた。
薄ら暗い天井。
どうやら俺は死んだように眠り込んでいて、あっという間に日の落ちる時間になってしまったらしい。


熱は…。
引いたのかな。
涼はどうしてるんだろう。


意識を失う前までのあの地獄みたいな寒気と気怠さからは解放されている。
その代わり時間が対価として失われた。夕方まで寝てるって、どういうことなの。


「痛…」


身体を動かそうとしたら左腕に痛みが走った。

しかも、なんだか重い。
左腕はもちろん、左胸、肩まで痛い。



それらに疑問を持ちつつ、左側に頭を向けたら息が止まるような光景が広がっていた。



「り、…、」



思わず口から洩れた声。


涼が、いつの間にか俺の隣で寝ている。
俺の腕と胸を枕がわりにして、涼の髪が頬にあたる近さで。



・・・。

風邪、移ったらどうするつもりなの。



微かに寝息を立てながら眠る涼を見て、まずそう思った。
マスクも、なんとなく付けているだけみたいで顎までズレてしまっている。たぶん、俺に怒られると思ったからつけているだけなんだろう。


こんな、呼吸があたるような場所で眠るなんて。


「涼、」


涼を小さな声で起こしながら、マスクを正しい位置につけ直す。
俺の声に、かすかに長いまつ毛を揺らすだけの涼。

どうしてこんなに爆睡してるんだろう。
というか、いつからこの子はここで寝てた?
全然気づかなかった。


天井に向いていた身体を、涼に向け直す。
筋肉が固まってるのか、関節がおかしくなってるのか、痛む左腕。
それに少し声をあげてしまいながら涼の顔を真正面に捉えた。


少し広めのおでこ。
女の子みたいな白い肌。
あどけない寝顔。

その顔を、手で包み込みながら親指で撫でていく。

下から上に、パーツを確認していくように。



「…また泣いてたの?」



閉じられた瞼が、少し腫れているようだった。
それが昨日のものか、今日のものかはわからないけれどいつもより若干腫れぼったい。

俺の質問に、もちろん涼は答えない。
ただ、俺の指先がくすぐったいのか、眉間に皺が寄った。

その様子に小さく笑ってしまいながら、手を髪に移動する。
サラサラしていて、指心地の良い髪。
いつも触れているけれど、何度も触れたくなる。


…涼が泣いた原因はなんだろう。
朝会った時の記憶すら曖昧な俺は、朝から目が腫れていたのかわからない。

でも、もし昨日泣いたのなら、原因は少なからず俺にもあるんだろう。
それか会長が涼に何かを言ったのか。


涼は、結局、何かあった時は会長を頼る。
親友の俺より、幼馴染の彼を。
俺よりもずっと、一緒に居た時間が長い相手だから。


・・・涼にはきっとわからない。


俺が彼をどこか羨望の眼差しで見てるのは、本当は彼の才能が羨ましいからだとか、そういうことじゃないことを。

俺が彼を羨ましいと思ってるのは、その才能じゃない。
涼との時間、関係性。


だからこそ、
昨日、涼に、あんなことをしたのは俺の大きな失態。
例えそれが、熱のせいとかであってもどうにか理性を保つべきだった。


親友という肩書を失くしかけたどころか、
あそこで、会長の元に行かせるなんて。


俺は馬鹿だ。
昨日の時こそ、怒らずに、涼をひたすら慰めてやるべきだったのかもしれない。


無防備で、強がりで、自分をどうでもいいと思っている涼。
あんな態度をとっていても、怖かったものは怖かったに違いない。

だからこそ、『怖かったよね。』と優しく抱きしめてやるべきだった。…のに、俺は。

俺は・・・。


「・・・。」


気づいたら、はあ、と重たいため息をついてしまっていた。
止まる指先。
何となく、涼の顔を見つめる。


昨日、あんなことをしておいて、こんなに献身的に俺を診てくれるなんて。
親友だと思ってる相手にキスをされて、この子はどうして俺の所から離れなかったんだろう。


あと、今日も、
セクハラまがいなことした気がするし。

あれ…どうなんだろう、あれって夢かな。
また俺、涼にキスしちゃった気がするんだけど。


自分の記憶があいまいで、もやもやする。
また俺が何かやらかして、涼を泣かせてしまっていたら。


二度と、風邪なんか引きたくない。
俺の脳が理性を保てなくて、こんなことになるから。



「・・・ごめん」



涼の髪をゆっくり梳きながら、謝る。

涼は俺を親友だと思ってくれてる。
その期待を裏切ってはいけない。
この関係を壊してはいけない。


そう強く思うのに、
どこかでそれが、酷くつらいと思う自分もいる。


ごめんね、涼。
俺、お前とは、親友だけど、そうじゃない関係になりたいって望んでる


涼がそんな関係望んでないってこと、重々承知だけれど。
この間違った望みは、消えてくれるどころかどんどん大きくなってしまっている。


自分でもコントロール出来ない。
人間の身体で、唯一思い通りにいかない部分。


この、汚い感情が、
自分で制御出来たらお前のこと好きじゃなくいられるのに。

どうして、一番思いのままに動いてほしいところは、コントロールできないんだろう。



「・・・・ますみ・・・・?」



その小さな声に、ハッとした。
俺の腕の中で、かすかに瞼を開けた涼。

俺が劣情を抱いてることなど、これっぽっちも知らない無垢な表情。


わからないでいて欲しいけど、気づいてほしい。


ほら、また、心が意味のわからない方向に分裂してる。



「涼、おはよう」



いつも通りの微笑みを浮かべるよう、努力しながら涼の前髪を横に流した。
俺はこの子の、親友。
間違ってはいけない。


まだ半分夢の中にいるのか、俺をとろんとした目で見つめる涼。
そうやって、無意識に俺を虐める。


「あれ、俺…ねてた?」

「うん、俺もさっき起きたところ」

「熱は?」

「下がったよ」


ありがとう、と言うと「んーよかったあ」と寝惚けながらも満足そうな声が返ってきた。
そして、もぞもぞと俺の胸の中に顔を埋めていく。


・・・、勘弁してよ。



「涼。こんな近くにいて、風邪移ったらどうするの」

「真澄に看病してもらうからいい。むしろ俺に移せば早く治るかなってもおもった」


そんなことになったら、俺は自分を恨むよ。



「真澄が熱下がって良かった。俺苦しんでるお前見るの嫌だよ。」

「…そんなに俺、苦しんでた?」

「別人だった。…まじで同情するレベル。」


そんなに?
確かに色々限界だったけど…。

涼と距離を置こうと肩を押してみたけれどだめだった。
頑なに俺の胸に張り付いて離れようとしない。

その様子にまた、ため息が漏れる。



「涼、離れないと。俺ウイルス持ってるんだから」

「やだ。」

「やだってそんな…子供じゃないんだから。」

「さっきね。真澄にいくら話しかけても、返事なかったんだ。寝てたから。」

「・・・は?」


涼が、突然わけのわからない事を言い始めた。
俺の胸にしがみついたままの涼。

そりゃあ、寝てるんだから、返事は来ないだろう。


けれど、涼の声色がまるで寂しがってる子供のようだったから、否定はせずにその先を促す。



「もう、風邪引かないで。俺、お前いないとだめだよ」



涼が、泣きそうな声でそう言った。
その声色と言葉に、驚く。

何が、涼をそうさせたんだろう。俺の意識がなかったのなんて、たったの数時間なのに。

泣き虫ではあるけれど、こんな弱音、初めてだ。



「…どうしたの、涼。」



俺の質問に、涼は黙ってしまった。
無言のまま、俺の服をギュッと掴んでいる。

でも、涼がこうやって脆く縋ってくるときは大抵、



「侑介となにかあったの?」



涼の最愛の弟関係だ。

涼が愛を口にし、悲しみ、喜ぶ相手。
唯一無二の弟。



俺がどうこうできる立場じゃないから、俺が出来るのは話を聞くことだけ。


涼が瞼を腫らしていたのは、また、侑介関係だったのかな。



「何も、何もないんだけど。そうであってほしいんだけど、俺、わかんなくて…」

「うん…。」



涼もまた、感情をコントロールできていないようだった。
言おうとしてることがまとまっていないどころか、たぶん、自分でも今の状況をよく理解していない。


何もないままであってほしい


そう、言ってるんだろうか。


侑介は涼に、何をしたんだろう。



「・・・・・ごめん。」



突然、涼が謝ってきた。
俺の胸から顔を離し、人一人分、隙間をあける。

急に、温もりが無くなった。


「お前、具合悪いのに…俺のことばっかりで、ごめん」

「治ったから平気だけど」

「・・・・真澄は本当に、優しいね。」


自嘲気味に、涼が笑った。

この顔。
俺ごときに優しくするなんて、と自分を卑下してる時の顔だ。


なんと答えればいいかわからなくて、涼を無言で見つめる。

俺の視線に気づいてるのか、気まずそうに俯く涼。



「涼、」と名前を呼ぼうとした瞬間、

涼がパッと笑顔を浮かべた。



「何食べたい?ご飯、食べれそう?」

「え?」

「夕飯だよ。まだ何も食べてないから食べないと。どう?」



その笑顔に、呆気にとられた。
先ほどまでの浮かない表情など思い出せなくなるくらいの笑顔。

ベッドから立ち上がりながら、俺を見下ろしている。



「食べれるけど…ねえ、涼。話そらさないでよ」


どうして泣きそうになってたのか。
それを話してくれないと、涼の悲しみは拭えない。


「んー、もういいんだ。そんなことより、真澄の方が大事」


俺から逃げるようにして、部屋を出て行ってしまった涼。
にこ、という心からの笑顔に俺はどうしても何も言えなくなってしまう。


涼は、自分が思っているよりもずっとずっと弱くて脆い存在なのに。
どうしていつも大事なところを隠していってしまうんだろう。



俺じゃ、やっぱり、
頼りないのかな。





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bkm