元天使、お休みを頂きました。 | ナノ
05

羊はさすがにここまでされるのは気が引けて全力で遠慮した。


「助けてもらったのに、さらに傘まで貰ったらさすがに申し訳ないです…!」

「気にしないで。…俺自身、よく雨に降られるから傘はたくさん持ってるんです。」


どういう理屈だろう、と思うが彼の親切を無下にできるほど強い心を持ってはいない羊はありがたく受け取ることにした。

相手の手は羊の手よりも大きく、指の長さも爪の形も綺麗に整っている。

よくよく彼を眺めてみると、まるで細部まで完璧に作られているかのように、全てが端整だった。特に、前髪の隙間から僅かに覗く瞳なんて、間違いなく相手を魅了するそれだ。

彼みたいなのを、”神様に愛されし子”とでも言うのだろうか。


「ありがとうございます…。あの、ぜひまたの機会に御礼をさせてください。良ければ、連絡先とか、教えてもらっても…?」


言いながら、まるでナンパをしているみたいだ、と恥ずかしくなる。

勿論羊にとってナンパなんて、されることはあってもすることは生まれて此の方なかった。決して下心はないはずなのに、意識すればするほど恥ずかしくなり、しまいには羊の顔は熱を出したかのように頬が紅潮し、首元までほんのり赤みをさしていた。


違う、これは、本当に御礼をしたいからで。
高校生相手に、しかも男性に、そんな、ありえないだろう…。


羊の必死な否定に気付いたのか、それとも知らずのうちか、美青年は、ふ、と僅かに笑みを浮かべた。相手の黒髪がさらりと揺れる。


「…もしかして、ナンパされてる?」


最も恐れていた事を指摘され、羊は冷静さを保てなくなった。

こんな気持ちになったのは生まれて初めてだったため、頭の整理が出来ず、必死に「違います!」と大声で否定する。

が、否定すればするほど図星と思われる気がして、しまいには小さい声で謝ることにした。


「すみません…、そんなつもりはないのですが、本当に御礼はさせてください。せめてお名前だけでも良いですか?俺は佐沼羊と言います。大学生です。」


制服から、どこの高校に所属しているかは判別できる。
名前さえ把握しておけば、御礼の品物と傘をその高校に預けてしまえばあとはどうにかなるはずだ。

羊はそう考え、恐る恐る相手を見上げると、彼はじっと羊を見下ろしていた。
相手を魅了する桃花型の瞳をこちらに向け、何かを考えてるらしい。

…なんか、緊張する。


「…少し傘を持ってて。」

「え?」


ぽかんとしてるのも束の間、傘を渡され咄嗟に受け取る。
相手が濡れないよう腕を高くあげ、何をするのかと彼を見ているとペンを取り出した。

そして驚いたことに、羊の空いてるほうの手をそっと掴んだ。
ビクッと身体が跳ねた羊だったが、その手を逃がすまいとしっかり掴まれる。

驚くほどひんやりとした指先。
その指先が羊の右手の甲にスルスル滑り、その上に何か数字を書き始めた。

羊は何故かその様子を息を止めて眺めていた。
なんとなく汚してはいけない空間のようで、半ば緊張に近い感覚に陥る。心臓がどきどきして、何故か忙しなかった。

手が…。


「綺麗な手をしてるね、陶器みたい。」


書き終わったらしい相手は、羊の肌をそう評した。
羊からしたら、あなたの手の方が美しいだろうと思うが、うまく声が出せる気がせず、唇を閉じる。


「…水性だから、手は濡らさずに帰って」


お互いの体温が混ざりあい、中間の温度になったところで手がパッと離れた。

一瞬なんのことかと羊は首を傾げたが、ペンのインクのことをさしている事に気付き、頷く。


「わ、わざわざありがとうございます。」


羊は今携帯もなかったため助かった。
傘を相手に戻しながら再度御礼を言うが、相手は特に気にした様子はなく、僅かに微笑むとさっと踵を返してしまった。


「それじゃあ、気を付けて。」


最後まで落ち着いた態度の彼は、羊よりもずっと大人びていた。
一方で羊の心臓は終始落ち着いておらず、ずっとそわそわしていた気がする。

高校生に助けられ、傘まで貰い、気を遣われるなんて…。

今まで羊は20年間こんな目に遭ったことがなく、心臓がパンクしそうになりながら心の中で、自らの主に呟く。


…神様。
今日は信じられないくらい美しく、親切な人に出会ってしまいました。





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bkm