08
羊は今日も定刻に目が覚めた。
室内はまだ、アロマキャンドルの良い香りが漂っていて、本当にこれじゃないのかなとぼんやりした頭で考える。
・・・朝・・・。
夢の中でも会話などをしていたせいかあまり寝た気はしないが、身体に疲れはない。
ただ、ミカエルに抱きしめられた感触がなんとなく身体に残っており、羊は少し顔が熱くなった。
…それにしても、あの事故がミカエル様の仕組まれたものとなると、大雨も彼が起こしたことなんだろうか。
巻き込んでしまったあの青年に申し訳ない。
今日、傘の御礼をしにいきたいけれど、タイミングあうかな…。
ベッドから起き上がり、いつものようにお祈りをしたあと、今日のことを考える。
そもそも高校って何時に終わるんだっけ?
昨日あそこで出会ったのは夕方の16時頃だった。ってことは、部活とかはやってない?学校の校門で出待ちするってのは、さすがに気持ち悪いかな。不審者か…。
羊は【気になることはさっさと終わらす】を行動の基本としていたために、この件も早く消化させてしまいたかった。
そのおかげで、今日の大学の講義の間もいつもよりやや上の空状態になりながら、傘を借りた御礼に何を渡すか考えていた羊。講義室の窓から時折空を眺めてはアイディアを巡らす。
今どきの男子高校生って何あげたらいいんだろう…。食べ物、をあげようにも好き嫌いあるだろうしなぁ。難しい。
悩みながらも、講義が終わったタイミングでとりあえず連絡。
さすがに初手電話は気が引けるので、ショートメッセージを送ることにした羊は何度か打ち直しをしながら画面をタップしていく。
『昨日はありがとうございました、佐沼羊です。突然のメッセージすみません。可能でしたら本日傘をお返ししたいのですが、何時ごろご都合があいますか…?勿論別日でも大丈夫です!』
送信済みになった画面を眺めた後、すぐポケットにしまった。
もしスルーされたら、彼は会いたくないってことだ。その時はその時。
それにしても我ながら堅苦しい文章だな、と羊は思った。相手が高校生であっても、命の恩人ともなると敬語を抜く事は羊の性格上出来ない。
こういったことをするのが初めての羊は若干、緊張でそわそわしていた。
何回も画面を見てはポケットにしまい、を繰り返していたとき、しばらくしたらメッセージが帰って来た。
『別に捨ててもらっても大丈夫なのに。今日であれば、16時以降なら』
そのメッセージを見たとき、羊はじんわりと身体が温かくなるのを感じた。
安心からなのか返事をもらえたということに思わず顔が緩む。
…となると、本格的に御礼の品探しを考えなきゃいけない。
好き嫌い関係なく、貰ってありがたいものってなんだ?
何種類か用意して相手に選らばせる形式とかがいいかな…。
『返信ありがとうございます!16時に学校にお伺いしますね!』
メッセージを戻しながら、勝手に学校指定しちゃったけど、大丈夫かな、と不安を覚える羊。
アルバイト先の近くにある高校だから、どんな高校なのかはわかっている。ただ、相手が通っている私立高校はかなり立派な高校。不審者に間違われないか不安だ。
…校門付近で待ってればいいか。
****
待ち合わせの時間まであと10分ほど。
羊はすでに校門の前に立っており、そこから出てくる高校生たちに好奇な視線を受けながらも相手が来るのを待っていた。
いや、そうだよね…。そりゃ部外者が立ってたら見ちゃうよね。
居たたまれなさを感じながら、指を何度も絡ませたりしながら時間をつぶす羊。
羊自身は気づいていないが、羊を見ながら視線を寄せてくるほとんどが女子高生であり、その見た目の良さが余計に注目を浴びせていた。一体待ち人は誰なのかと、彼の隣を通り過ぎた女の子たちが想像を膨らませる。
あまりにも羊を見てくる高校生には、怪しいものではないですよ、という意味を込めてぎこちなく笑顔を浮かべて愛想を振りまいたものの、その瞬間すごい勢いで走り去ってしまうので、どうしたものかと視線を落としていたら、誰かが目の前に立っていた。
・・・?
「人気者だね」
その声に、誰だかすぐにわかった。
一度しか聞いたことがないけれど、心地の良い低い声にパッと視線をあげる羊。
「あ…。不審者扱いされてるみたいで…。」
目の前にはやはりとてつもない美貌の高校生がいた。
スタイルまでも良いためか、制服をすらっと着こなしている相手。
今日は天気がいいせいか、余計に際立っている気がする。
羊は、相手のその美貌にやはり少し緊張してしまうが、どうにかして言葉をつづけた。
「改めて、昨日はありがとうございました。これ、傘とあと、粗品ですけど…。」
手元にかけていた紙袋を相手に差し出す。
黎はその紙袋に僅かに首を傾げた。
「別にいいのに。」
「いや、これは貰ってください。あ、ちなみにハーブティーとコーヒー、どっちが好きですか?好みわからないので、どっちも用意したんですけど…」
紙袋は2つあった。
どっちも安物ではないが、相手の好みがわからない羊は二つ種類を用意して、相手が好む方をプレゼントしようと決めていた。
その準備の良さに黎は思わず、小さく笑ってしまう。どこまでも羊は相手に気を遣う人物だった。
「あなたは?どっちが好きなの」
「えっ、お、俺ですか?俺は…。しいて言うなら、ハーブティーかな」
「じゃあコーヒーを。ありがとう。」
その言葉に羊は驚いた。こちらが渡す側だというのに、それをされてしまったら御礼にならない気がして、慌てる。
「コーヒーで本当に良いんですか?」
「どちらかといえば俺はコーヒー派だから。丁度良かった」
コーヒーの方の紙袋を受け取りながら、黎は視線を紙袋の中に落とした。
羊はどこか腑に落ちない表情を浮かべたが、そのことについては追及せず再度御礼を述べる。
「昨日は本当に助かりました。命だけじゃなくて、傘まで…。」
結局あれらは上司が介入したことによって発生した事故だったから、色々申し訳ない思いが重なる。
「大げさだね」
「いえ、本当の事ですから。…もし、他に何か俺で手伝えることがあったら、連絡してください。といっても、大したことは出来ませんが…。」
羊がふと顔をあげると、黎の綺麗な目と視線が合わさった。昨日もそうだったが、彼の瞳は何を考えているか捉えづらい。まるで深淵のような瞳に、やはり羊はパッと視線を逸らした。
「それじゃ、俺はこれで…。高校まで押しかけちゃってすみません。」
再度頭を下げて、その場を立ち去ろうとした羊だったがパッと手首を掴まれた。
ひんやりとした手。
その感覚に、体がビクリと跳ねる。
えっ…、なに。
「俺も御礼がしたいな。」
相手がニコッと笑顔を浮かべた。
その言葉の意味がわからず、羊は困惑した表情を浮かべる。黎の笑顔にも動揺を隠せないが、その言葉の意味と、手首をつかむ相手の手にも意識が混乱した。
どういうことだろう。
「俺何もしてないですよ?」
「こんな素敵なプレゼント貰いすぎてる。カフェで飲み物でも、近くに良いお店があるから。」
羊が何か言葉にするよりも早く、黎は足を進めた。
手首を離したと思いきや、背中に手を回し羊を誘導する。
同時に、彼のコロンの匂いなのか、ふわりと身体を包み込むザクロのような僅かに甘い香り。
まるでエスコートされているような感覚に、羊はさらにかき乱された。
この手は一体…っ
というか、これじゃ、御礼の意味がないじゃないか!
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bkm