「いたくないなんてうそつくなよ、静雄」

そう、唐突にいわれた。
けれどおれはトムさんの言葉の意味がわからなかった。
首をかしげて考えても、おれはうそなんかついちゃいない。
なのにトムさんはすこしだけ苦そうに笑うと、おれの髪をくしゃりと混ぜた。

「‥あんま、がまんばっかすんな」

じわり、
ふいに腹のあたりで滲んだ感覚は、おれに奇妙な心地を味わわせた。
そうして、ふうわりとはなれていったトムさんの手はポケットから煙草をとりだし火をつける、そんな彼の慣れた仕草をおれは見つめながら、ぼんやりとまたいわれた言葉の意味を考えた。
むずかしい、わからない。
けれど頭の中をトムさんの声がぐるぐるとめぐる、

(いたい)
(うそ、)
(がまん?)

そんなものはおれの中には存在しない。
おれは、普通じゃない。
はっきりしてる。
今だって擦り切れた口元の痛みだってひどくとおいし、
すき、きらい、どうでもいい、ムカつく、ころしたい、ぶっころす、なんてそんな気持ちにうそをつく意味はあんのか?
それにおれはがまんなんかしない。
過去にしようとしたこともあったけれど結局どうしようもなくて、かなわなかったから、がまんしようとするのはとっくの昔にあきらめた、やめたのだ。
出来ていたらよかったと思ったことはあったが、過ぎたことはもどらない。
だから、わからない。
トムさんが、おれをちらりと見て目だけで行くぞとうながしたから、うなずくこともなく、おれは歩きだしたその背中についていく。
わからない。
トムさんの言葉は、何故かどんどんと重みをましておれの思考を占拠していった。
じわり。
滲む熱が、染みをつくるようにからだの真ん中から外へ外へと広がっていく。
わからない。
だって、怪我はいたくないし、うそはつけない、がまんはしない。
眉間にしわを寄せて歩けば、すれ違う通行人がびくびくと顔を逸らして。
けれど目の前には、届く距離の背中がゆれている。
わからない。
じわり。
拡大する熱は飛び火して、なんだか目の奥があつかった。
サングラス越しの眼前の背中は、足を踏み出すごとに上下している。

(なあ)
(トムさん、)
(さっき言ってた意味、おれ、ぜんぜんわかんねぇよ)

珍しく、殴られて切れた口元にふれてみる。
けれどもう乾ききったそこからは何も感じられなかった。
じわり、
まるでいたくなどありやしない。
あるはずがない。
そう、そのはずであるのに、まばたくと、かすかにトムさんの背中が歪んで見えたような気がした。
おかしなことに、唯一怪我をした口の端とはちがう、それ以外のからだのどこかが、いたいような、気が。

(なんて、)
(んなわけねぇか)

息をついて、知らぬ間に胸へてのひらをあてていたおれは、その手を滑らせてポケットから煙草をとりだした。
火をつける。
軋む雑踏。
トムさんの背中は相変わらずおれの前でゆれていて、確かに届く場所にあった。
吸い込んだ煙草のけむりを吐き出しながら、未だ消えない何かをおもう。
眼球のつけ根にまとわりつく温度、いたまない傷口、トムさんの言葉。
迷走する脳内は不透明なもやつきに満たされていた。

「‥あ。なあ静雄、おまえいま腹減ってる?」

「そ、っすね。腹、減ってます」

なんとはなしに歩きながら振り向いたトムさんに答えて、じ、わ。
ああ、また広がった、そう冷静に考えているおれがいた。
なんだか、からだのどこかが熱いような、いたい、ような。

「んじゃあ、事務所もどるまえになんか食ってくかー」

「‥っす」

うなずいて、
けれど、なんなんだこれは。
わからない。
言われた意味も、この感覚も、いまひとつ理解しがたい。
おれが、普通じゃないからなのだろうか。
おもっていると、すれ違いざま肩をぶつけた男と目が合って、ひぃと短く声を上げられた。
にらみつけると、そいつはすぐさま焦ったように人込みの中へと消えていく。
舌打ちをしながらその後ろ姿を見送って、前を向くとやりとりを見ていたらしいトムさんと目が合った。
苦笑される。
そうして、合図もなしにまた歩きだすトムさんの目はおれに行くぞと言っていて、おれの足は勝手に進みだす。
前を行く背中を追って歩いた。
じわり、しくり、と、なんだかいたいような気のするあの不可思議な熱。
ああ。
わからない。
けれど、トムさんの背を見つめていると何故だか、またそれがからだの芯の奥で鈍く滲んだような気が、した。





































無意識自覚の痛覚現象







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