(瓦解していく、)

そんな言葉が頭を過り、
ふと我に返るように気付くまではここは確かなる籠城、閉め出されたはずの世界だった。
しかし自分がそれ以外を閉め出したのか、それ以外が自分を閉め出したのか、
考えたところで今となってはどちらにしてもそう変わりのない事実でしかないけれど、淀みない思考で僕は思う、考える。
何もかもから逃げるように、隠れるように、怯えるように、嫌悪するように、恐れるように、定員一名の空間と意識世界に蹲りながら呼吸と咀嚼と排泄を繰り返し、この身を潜めるようにして僕は生きて来た。
許容範囲内で与えられた物、それらだけで繋ぐ日々には痛みがなくて、どこまでも安穏と静寂に包まれていて、日常は空虚感が募るばかりで、決定的に何かが足りていなかった。
欠けていて、物足りず、何かが欲しい、喉の渇きを感じるような、音もなく追い詰められ、ゆっくりと真綿を締められるような感覚を僕は舐めるように記憶している。
常に体のどこかは飢えていた。
求めていて、欲しかった。
(そうしてそれは時に加速して減速して、僕を暗い場所へ突き落とそうとニヤニヤと厭らしいものを滲ませながら嘲るようにその存在を笑っているのだ、)
カチカチ、
指先で操作するコントローラの音と画面から聞こえるゲーム音。
それに混じって「ああやばい、また負けそうだ」と弱々しい声がして、ぐうるり、満たされない何かを補うための行為を探しながら僕は忙しなく指を動かした。
頭にインプットされたコマンドを入力すればいとも容易く対戦キャラクターはノックアウトされてしまう。
そうして、溜め息を漏らした数秒の後、彼がすぐさま帰る支度を始めるのだろうと容易く予測出来るのは、彼がもうそれを何度もこの場所で繰り返しているからだった。
静かに身動ぎする気配がして、ああ、と唐突に沸いた喪失感にコントローラを持つ手は微かに震えている。

「‥‥、‥‥‥‥‥、‥‥っ、」

怖い。
怖い恐いこわいこわいこわいこわいこわいこわい!
だめだ、声が出ない。
だけど彼が行ってしまう、帰ってしまう。
ここから居なくなってしまう。
(どうしたらいい)
(どうしたら、どうすれば、)
(ああ、僕は今、どんなコマンドを入力すればいい?)
この感覚を内包する部分、例えばこの肉の内側、精神や思考する脳内。
誰に聞かずとも知れたことを考えるだなんて時間の無駄でしかなかったけれど、生憎と無駄にしても構わない時間は十二分に過ごして来たおかげで意識は無意識に、そして瞬間的にトリップする。
(自分以外の人間)
(限定された人類)
同じような姿形をしていても、頭の中に、瞼の裏に浮かぶのはネットゲームや3Dアクションゲームのアバターではなく隣の人物、彼だけだ。
一日に数分間だけ、共にゲームをするという奇妙な関係。
不安を覚えない距離感。
排除したものに再び手を伸ばしてみたくなるような。
こんなにも鮮烈で強い感情が脳髄をジリジリと焦がしているのに、その思いを言葉にしようとすると、何故か途端に不鮮明で不明瞭なものになってしまう。

「っ、や‥まひさ、さん、」

必死に、絞りだすようにして漏れた声。
それはひどくか細くて、その震えに纏わりつく幾つもの暗い感情を察知したのか、それとも単に僕の呼び掛けに反応しただけなのか、彼は何気なくふっと顔を上げた。
そして僕を彼が見つめる。
少しだけ驚いたような顔をして、それからすぐに愛想のいい笑みを浮かべてくれる。

「ああ、どうしたんだい?」

「‥‥‥‥‥‥ま‥‥ま、た、」

「また?」

「‥‥‥あし、た‥‥」

カタ、コト、途切れながら壊れた人形のようにぎこちなく囁いた僕に、彼はそれだけで充分だったのか、満足そうに頷いた。

「もちろんだよ、静河くん」

「‥‥‥‥‥っ、‥‥‥、」


返す言葉を探して、けれどそれ以上何も言えなくて、僕は焦点が定まらない。
それでも視界の端でなんでもないことのように笑うと「じゃあ、また明日ね」と残して彼はいつものように部屋を出ていった。
心地のいい気配は遠退いて、ふわりと辺りに漂っているのは立ち去ったばかりの彼の匂いだ。
(身体中が、ざわめく)
どこか、何かが欠けていて、物足りず、欲しくなる。
それは喉の渇きを感じるような、音もなく追い詰められ、ゆっくりと腹の底から何かがせり上がってくるような感覚。
(僕が、ずっと求めていて欲しかったものとは?)

「‥‥やまひさ、さん‥‥」

縋るようにその名前を呟けば、僕の中の形を持ちつつあるそれが揺れて滲んだ気がした。
彼は、優しい。
その優しさが例え打算を隠したものだったとしても、僕にはたまらなく彼が優しくて、唯一で、だからそれを手に入れたかった。
欲しかった。
(そんな、気持ちになっているだなんて)
なんだか、自分がぼろぼろと崩れていっているような気がした。
今までの自分を保てない。
けれど彼に会いたい、会いたい。
だけどまた明日、明日になれば、彼に会える。
そう、どうにか引きつる喉奥を押さえるようにして手をやると、少しだけ震えはおさまった。
わざとらしいくらいにいつも通りだった彼の声を思い出しながら、
僕はゲーム機とテレビの電源を落とすと、書きかけのネームを置いた机へ静かに移動する。
(会いたい、会いたい)
(怖い)
(会いたい)
(会いたい、貴方に、会いたい)
(怖い)
(会いたい、)

(早く、貴方に会いたい、)

頭を煮やしながら、握ったペンを紙に走らせる。
そうすると、少しだけ逸る気持ちが落ち着くような気がした。
僕は鬱々と作業に没頭し始める。
彼に会いたい。
そんな思いに支配された脳内は、魔法、などというファンタジックで、夢や希望に煌めいているようなものとは程遠い。
生々しくて、強烈で。
じっとしていると涙が滲んでくるような、重くて淡い何かがひたりひたりと体の中を移動していく。
例えるなら、まるで呪いにかけられてしまったような、腹の辺りで憂鬱な熱。
それは怯えるように、恐れるように、その範囲を確実に広げていた。
未知の感覚。
ただただ、彼に会いたい。
その思いから逃れるように、僕はコマを割って、絵を描き込んで、台詞をあてて。
ひたり、ひたり。
(ああ)
(僕は、きっとゆっくりと何かを失っている)
(そしてゆっくりと、壊れていっているに違いない、)
呼吸と、咀嚼と、排泄を繰り返して。
外の世界への干渉を求めたのは僕だったけれど、変化のほとんどをもたらしたのは彼で、そう、彼だけで。
どうしようもないくらいに、彼しか居なくて眩暈がする。
僕は多分に、おかしな暗示にかかってしまっているのだろう。
彼に会いたい、そればかりが滲む頭はもう、どうかしてしまったとしか思えなかった。
破綻した脳内は鈍く音を立てて呻いている。
気付かぬ内にインクは紙面に黒いラインを作り出して、ぽたり、落ちた水滴は僕を縛るように、白い平面を微かに塗り潰していた。























こわいと思うこと

浅ましさの大音量


title:深爪





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