「や、やっと終わった‥」

一仕事終えた勢いで机に突っ伏すると、途端に眠気が襲ってくる。
徹夜で集中し続けていた意識も、ついにぷつりと音を立てて切れてしまったようだ。
なんだか世界がふわふわする。

「‥ああ、お疲れ」

けれど、予想しえなかった声が唐突に降ってきて、しかも私の頭を軽く撫でたものだから。

「っ、!?な、へっ‥え!?」

とろりとろりと溶けはじめていた私の思考は、急速に元の形を取り戻した。
混乱して、反射的に椅子を後ろに引き倒しながら私が立ち上がると、彼は小さく笑ったようだった。

「今から寝るとこ?」
「と、十和田さん‥いつの間に来てはったん!?」
「うん?さっきからずっと」
「さ‥さっき、から‥‥?」
「そう。声もかけたんやけど、集中してたから全然気づいてへんかった」

しょぼつく目を瞬かせて私が呆けていると、私をしげしげと見つめていた彼は何を思ったか、いきなり私の眼鏡を取り上げた。

「!?なっ、めが、ね‥!!!」
「‥まったく。前は床で寝た思たら君、今日は机で就寝て。しかもまた鍵も閉めんと」
「そ、そやって、眠くて‥」
「‥いくら長屋が音筒抜けやから安心や言うても、やっぱり無用心やろ」
「‥‥う、‥はい‥‥」

なんだか説教をするみたいに彼が少し顔をしかめて言うから、しおしおと私はつい俯いてしまう。
でも、本気で怒っているのではなくて、それはどこかなにか、気遣ってくれているような。

「‥ホンマ、君、俺に襲われたって文句言えんで?そこんとこ、分かってんの?」
「‥‥‥‥へ?‥え、ええ?」

ふいにぐっと顔を近付けて、覗き込むように言われた私はその意味を理解した後、自分の顔がじわじわと熱くなるのを感じた。
眼鏡がなくてぼやけた視界に、それでも彼がはっきりと映っているのはそれだけ近い場所に彼が居るからだ。

「っ、十和田、さ、」
「‥‥ふ、ははは。なぁんて、半分冗談やけど」
「え、えぇぇえ!?」
「まあ、でもホンマ心配やから。もうちょい自分が女なんやってこと、君、意識してもらえる?」
「、‥は、い」

及び腰で答えて、目を逸らすことも出来ずにいると彼は微かに目を細めた。

「‥うん。分かったんなら、ええ。そんなら、今日はちゃんと二階に上がって寝るんやで」
「あ、十和田さん、」
「また、明日来るから。風邪引かんようにな」

そう残して、彼は私に眼鏡を手渡すと、颯爽と店を出ていってしまった。
慌てて追いかけてみてもすでに姿は見当たらなくて、ため息を吐きながら店に戻って時計を見やると、世間一般では仕事に出勤しなくてはならない時間で私は納得する。
きっと早くから訪ねて、仕事が終わるのを彼は待ってくれていたのだろう。
それに思えば、数日前に朝訪ねても大丈夫かと言われていたのだ。
仕事に集中しすぎて、それが今日だったのをすっかり忘れてしまっていた。

「‥あー、うー‥やってしもぉた‥」

ぼさついた髪をくしゃりと混ぜて、私は何とも言えない心地になりながらヘアピンをひとつ外した。
また明日来ると彼は言っていたから、その時に彼にきちんと謝らなくてはならない。
それから、さっきの彼の台詞等々。
言われた言葉をぼんやり反芻して、ひとまず私は玄関の外に休業の貼り出しをすると、彼の言っていた通りに鍵を閉めて二階へ上がることにした。

(アカン、上手く頭が働かへん‥)

布団をどうにか引きずりだして、緊張が解けて再びやってきた私は微睡みに頭をぐらつかせる。
そうして彼の用事は何だったのだろうかと考えながら、私は情けなくも、そのまま糸が切れた人形のようにくたりと眠り込んでしまうのだった。





罪悪感とその他諸々





title:深爪







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