「あのっ‥あのね、藤くん‥日曜日、空いて、る?」

そんな言葉で予定が入った日曜日。小走りに前を歩く花巻の背中は見れば見るほどに小さく狭い。しげしげと眺め、そして考えながら、俺は花巻の後をついていく。
こちらを振り返ることなく前へ前へと進み、花巻は何やら先日あった出来事や面白かった話を一人延々と喋り続けていた。
その様子は背中越しであったとしても、何故だかひどく浮ついているように思える。
時々、裏返るようにして上ずる声が耳に届くと、お前は一体何をそんなにそわそわと落ち着きをなくしているんだと言ってやりたくなって仕様がない。
まさか、何かこの俺に悪戯やドッキリでも仕掛けてやろいと企んでいるのだろうか?
ふっと頭に浮かんだ疑惑はしかし、もしそうだとしてもこの有様では今から何かする気満々です、というのがあまりにバレバレで面白みの欠片も無い。
驚かされるならばいっそ、ああ、そうだな、例えば今唐突に立ち止まって俺に向き直り、いつもの頼りなさげな顔じゃなく真面目な顔で、

「っ‥藤、くん」

「‥あ?」

「っ、こ‥これ!!」

「‥‥‥‥‥‥あ‥‥?」

ぼんやりと頭の中でイメージしていたのと、ほとんど同じように立ち止まり、こちらへ向き直って、けれどなんだか花巻は今にも泣き出しそうな顔でポケットから取り出した小振りな箱を俺の目の前に、突き出していた。
そうして耳まで真っ赤にしながら腕を前にピンと伸ばし、謝罪でもしているように頭を下げて固まっている。微かに震えて。
無性に、やたらと目につく女子が好みそうなラッピングが施された小箱と赤耳。
顔を上げない花巻。
この状況は一体なんなんだ、と妙な汗が滲みそうになるがまさか俺がこれを受け取らなければ、花巻はずっとこのままで待っているつもりなのだろうか?
頭を過ったそんな想像はすぐさま興味に変わり、暫らく無言で反応を観察していてやろうかと至極真面目に考えてしまう。
けれど、ふと朱色に染まった耳に目が行ってしまうと、何かがどこかに引っ掛かり、らしくなく早く受け取ってやるべきか、などと奇妙な思考に変換されて俺は自分の片眉が上がるのを感じた。

「‥花巻、なんだ?それ」

「‥‥っちょ、」

「‥ちょ‥?」

「‥‥‥‥‥チョ、コレート、です‥‥」

今にも消え入りそうな声で呟かれた単語は、それでも俺の耳にはしっかりと届いたため頭の中で復唱する。
チョコレート。
花巻が。
俺に。
チョコレート。
はて?一体なにゆえコイツは唐突に俺にチョコレートを‥?と考えかけ、今日の日付をはっと思い出した俺はなんとなく合点が行き、脱力した。

「‥ああ。もしかして、バレンタインの」

「‥‥うっ、うん‥バレンタイン、だから‥‥」

依然顔を上げぬまま言う花巻に、俺は呆れて小さく息を吐く。

「花巻。顔上げろって」

「‥っ、う、ん、」

のろのろと体を起こし、目を泳がせながら俺に顔を向けた花巻に俺は小さく首を傾ける。
バレンタイン、と言っても今日は13日で、明日がバレンタインデーである14日だ。
もしかして花巻は、今日を14日だと勘違いしているのだろうか?
いや、というかその前に、チョコを渡すくらいでコイツは何をそんなに動揺してるんだろうか。
そんなに大したことでもないだろうに。
じっと見つめながら考えていると、彷徨っていた花巻の瞳と視線がふいに絡まり、瞬間的に花巻はなんともいえないくしゃりとした顔になってしまった。
それを見た途端、今までに味わったことのないような気まずさに見舞われて、俺はひくりと顔を引きつらせる。

「、花、巻」

「っ、」

「‥あー‥、なんだ、その‥」

「、‥ふっ、藤、くんっ」

「‥あ?」

「‥‥チョコレート、嫌い、だっ、た‥?」

じわり、じわ、じわ、何かが滲み出しそうな雲行きの怪しげな花巻の眼差し。
それに押されて、俺はゆっくり口を開く。

「‥き、らいでは、ない」

片言になりながら、しかしどうにかそう言うと、花巻はくしゃくしゃになっていた表情を少しだけ和らげた。
そのことに、俺は内心安堵する。
それと同時に、本当はチョコレートは余り好きではないと言ってしまってもよかったのに、思いがけず誤魔化すような台詞を口にしていた自分に驚いていた。

「‥よっ、よかった‥」

小さく嬉しそうにそう言って、花巻がふわふわと微かに笑う。
なんだか、ひどくむず痒い。
顔がほんのりと赤い花巻につられて、自分の顔まで妙に熱くなってきたような気がしてしまう。

(くそ、気持ち悪い、)

それを早くどうにかしてしまいたくて、無言で花巻に手を差し出すと、驚いた顔をした後に震える手で小箱をてのひらの上に乗せられる。

「‥あっ、ありがとう、藤くん、」

「‥‥それって、俺が言う台詞なんじゃねーの?」

伏し目がちに言う花巻に俺が聞くと、花巻は微笑みながら首を横に振った。

「ううん、私の、台詞だよ」

きっと、明日だったら渡せなかっただろうけど、今日、会ってくれたし、受け取ってくれたから。
続けて花巻がそう言った台詞に、俺は渋い顔で頭を掻く。

「‥でも、俺にもありがとうくらい言わせろよ」

「えっ!?あ、う、ご、ごめんなさいっ‥!」

「‥‥まあ、別に、いいけどさ」

手の中の小箱に視線を落として呟くと、仄かにチョコレートの香りが鼻を掠めた気がして、俺は胸焼けのする思いで顔を背けた。

「‥‥‥‥‥サンキュ、」

「う、うん‥!」

視界の端に映る、花巻の顔が真っすぐに見られない。
すっかり調子を狂わされてしまった俺は、せめてそれを悟られないようにと顔を背けたまま再び歩きだす。
後ろからは、藤くん、と慌てたように俺を呼びながら後を追い掛けてくる花巻の足音。
そういえば、俺よりも靴底を鳴らす回数が花巻は多い――歩幅や歩くスピードの違いに、そこではっとした俺は足を止めて振り返る。
すると、ぱたぱたと近づいてきた花巻は困ったようなはにかみ笑いを浮かべて口を開いた。

「‥あ、ありがとう、藤くん」

「、‥何が?」

「だって、待って、くれたから、」

なんて。
ああ、そんな、言葉を。
声にならない何かが喉元までせりあがり、けれど吐き出せぬまま俺は口を開きかけてすぐに閉じる。
(だって、)
(なんでもかんでもありがとうだとか)
(本当はそれを俺が、)
(俺、が、)

「ふじくん、」

花巻の俺を呼ぶ声が、ゆっくりと身体中に染み渡るように、やけに甘やかに広がっていく。
(気持ち、悪い、)
未体験な感覚に混乱する頭は、そんな言葉を思い浮かべているくせに何故だかふわふわとしていてはっきりしない。
本当の意味での気持ち悪さとは何かが違うような、気持ち悪さ。
居心地が悪くて、息苦しい。
なのに、

「‥ふじ、くん?」

この声を、振り払えなくて。
どうしてだか、言葉に詰まって突き放してしまえない。

「‥なに?」

「えっ、ううん、なんでも、ない」

俯く横顔を眺めて、俺はため息を吐く。
いつも通りを装おうとしてもなんだか上手く行かない。
苛々してしまう。
だけれど、こちらの様子を伺うように不安そうな顔をしている花巻と目が合ってしまえば、罪悪感に似たものが胸に広がっていくから身動きが取れなくなる。
そのまま苛立ちを吐き出してしまえれば楽なのに、無意識に抑えようとしている自分は一体どうしたと言うのだろうか。
考えたところで、その答えは今すぐには出ないような気がして頭が痛い。
手の中ではチョコ入りの小箱がいやに存在を主張しているように思えて、それを俺はポケットに突っ込んだ。
何も言わないまま、言えないまま、そして再び前を向いて歩きだす。
ゆっくりと、ゆったりと。
無意識に今度は花巻の歩数に合わせて、歩幅に合わせて。
そんなふうに、気付かぬ内にいつもより少し遅いスピードで歩いていたことなどを知らない俺は、いつもより花巻と距離が近い気がすると、ひたすらそんなことばかりを頭の中で考えていた。












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