部屋の窓をなんとなしに開けると、仄かに冷気を含んだ風が舞い込んで肌がぷつぷつと粟立った。
それを見て、鳥肌とは確かによく言ったものだなあとぼんやり考えていると、咎めるような声が後ろから投げられる。

「おい夏目、おまえはそんなことをしとるから風邪を引くんだ」
「はは、心配してくれてるのか?先生、」
「は、そんなわけあるか」

ふてぶてしい顔をぷいと横に向けて、寸胴の猫は「わしが寒いからさっさと窓を閉めろ」と言う。
素直じゃないなあ、と口にすれば、またそれを否定しにかかるのは目に見えていたからそれは控えて、分かったよと夏目はすぐに窓を閉めた。
少しばかり外気を取り込んだ室内は、秋の気配を含んで先ほどよりも幾分かひんやりとしている。
肌を擦りながら暖を求めて、夏目は丸くなった抱きごこちの悪い体に抱きつこうと手を伸ばした。
しかし、それはあっさり躱されてしまう。
おまけに強烈な猫パンチを食らわされてしまった。

「あいたたた、」
「ふん、わしをカイロにしようなんぞ十年早いわ」
「ぷっ、あはははは、先生、それ十年前にも言ってなかった?」
「‥さあ、忘れたな」
「まあ、でも。どっちにしたって、あと十年もしたらそんなことも出来なくなりそうだけどね、」

呟くように夏目が笑うと、不細工な面の猫は何か言おうと開きかけた口をゆっくりと閉ざした。
そうして、数秒を無言で過ごすと、自身の様相を本来の姿へと変える。
その巨体は一気に室内の面積を埋めて、夏目の視界を一杯にした。

「‥いい加減、薬を飲んでさっさと休め。この老いぼれめ」
「老いぼれ、なんて先生に言われるのはなんだかなあ‥」
「あんまり五月蝿いと頭から丸かじりするぞ」
「別にいいけど、もう若くないからあんまり美味しくないかもな」
「、夏目」

唸るように、斑の声が響く。
けれどそれを気に留めるでもなく、夏目は柔和な笑みを浮かべて目元の皺を深くした。

「ごめん、先生。冗談だよ。だけど、本当のことでもあるだろう?」
「‥五月蝿い。そんな話はしておらん」

瞳に何を映してか、それを細めて鼻先を押しつけて来た斑を夏目は優しく撫でてやる。
そうして暖かな毛並みを抱きしめると、親しい匂いに満たされた。

「‥あったかいなあ、」

そんな独り言をこぼした夏目に、斑は渋面を作りたくなる。

(阿呆め、温かいのはお前だろう)

そう言いかけた斑の目に、夏目の手の甲に刻まれた深い皺が映り込む。喉元まで出かかった言葉は失われた。
人間という、矮小な生き物の時の流れはひどく早い。
そんな分かり切っていたことを、斑は忘れてなどいなかった。
今、唐突に思い出したわけではない。
けれどはっとしたように気付いてしまう。
人という、短い生の老いというものに。
それをひしと感じた斑は、自身をひどく苛むものが再び視界に入り込むのを避けたくて、眠るように目を閉じた。
暗転した世界の中で感じたのは、夏目の弱々しい熱と呼吸。
拙く、儚い。
脆弱なそれがいつか失われる日はきっと、そう遠くない未来に違いなかった。
窓から差し込む光は少しずつ減り、室内の明度が落ちていく。
落日が近いのだろう。
薄く開いた瞼の隙間から、憂鬱な思考に浸る斑を慰めるように、温かな夏目の手は柔らかに斑の眉頭をくすぐっていった。









不必要に愛さないで





title:深爪





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