「なに言われたんや、蝮」

校舎裏から屋内へ、早足に戻ろうとしていた蝮は高揚でふわふわする頭を抱えながら、通り過ぎようとした戸口で唐突に声を掛けられ、聞き覚えのあるそれに思わず自分の足をぴたりと止めてしまった。

「っ、じゅう、ぞう?なんで、ここに、」
「‥は。別に、そないビビらんでもええやろ」

ゆったりと笑って首を微かに傾けた柔造は、組んでいた腕を下ろすと、静かに一歩、蝮に近づいた。
それに合わせて、詰められた一歩分の距離を何故か蝮は自分でもよく分からないままにじりり、後退る。

「‥で?」
「‥で、って、なにが」
「さっきの眼鏡に、告白でもされたんやろ?」
「っ、な‥!アンタまさか、盗み聞きでもしてたんか!」
「アホ、誰がするかそんなもん」
「ならなんで、」
「だいたい予想つくわ」

穏やかな笑みのまま、柔造は更に一歩近づいてこようとする。
口調も、表情も、寸分違わずいつもと同じであるはずだというのに、どうしてか違和感が拭えず蝮は不安を覚えた。
なにかが、おかしい。
だけどそう感じてしまうのは何故だろう。
蝮は考えながら、そのまま後ろ、後ろへと足を運んでいく。
しかしふいに背中に壁が当たるのを感じて、蝮はその滑らかな肩を小さく跳ねさせた。
柔造は、難なく開いた距離をたった数歩で埋めてしまうと、浮かべている笑みをじいわりと深くして、蝮の腕を柔らかく掴み取る。

「‥あの眼鏡、さっきここ通る時におれが声かけたらなぁ、罰ゲームや、言うて戻って行ったぞ?」
「‥‥え?」

虚を突かれた顔をする蝮に、柔造は憐れみを含むような眼差しで短く息を吐き出した。

「‥ああ、やっぱり蝮は知らんかったんか」
「なにを、」
「最近、流行ってるんや。仲間内の罰ゲームで、女子に告白するゆうのんが」
「っ、」
「まあ、でも、適当にスルーしといてええんとちゃうか?なぁんもなかった顔しといてやれば、あの眼鏡も気まずくないやろし」
「、なんや、それ」
「‥うん?」
「‥‥‥そんな、罰ゲーム、て」
「‥‥蝮」
「‥は、はは、は、最悪、やな、。人のことなんやと思っとんの、それ、」

乾いた笑い声を零しながら、蝮は顔を歪ませた。
どこか恥じらうように、ずっと前から好きだったと言われて、困惑して、けれど、それと同時に蝮は奇妙なことに嬉しかったのだ。
別段、思いを伝えてくれた彼のことが好きなわけでもなく、というよりも、彼の存在など今日という日までまるで知らぬままに過ごして来たがため、この状況が自分を舞い上がらせているのだろうとはすぐに理解が出来たのだけれど。
自分もそのような対象として誰かに好かれることがあるのだと、そんな思考が頭を巡ればただただ、素直に嬉しかったのに。

「ひどい、」
「‥蝮、アイツと付き合うつもりやったんか?」
「っ、そんなん、ちがう。全然、ちがうけど、」
「‥‥なら、別にええやないか」
「、」
「‥そんな顔、すんな」

つい、と寄せられた柔造のてのひらが蝮の頬を撫でて、いつの間にか影になるほど近づいていたその表情は窺えない。
逃げ出したくなるような恐ろしさが背中を這った気がしたのに、頬に触れる熱は驚くほど優しげで蝮は身動きが取れなかった。

「じゅうぞう、」

幼く舌っ足らずな調子で唇から、蝮は一つ頼りない声音を落とした。
それを笑ったのか、くつりと柔造が喉を鳴らす。

「‥あの眼鏡のことは、狐にでも摘まれた思っといたらええんや」

言いながら、小さく首を傾げた柔造の顔にうっすらと光が射して、生暖かくも鋭利な微笑みが蝮の瞳に映り込む。
見たこともない、その作られたような表情。
思わず蝮がびくりと身をすくめると、柔造は相好を崩すようにして目を細めた。

「そろそろ、チャイム鳴ってしまうなぁ」

顔のラインをなぞって滑り落ちた柔造の指先は、蝮の肌をざわりと粟立たせながら遠退いた。
そうしてゆっくりと後ろに下がって、柔造が顔を上げる。
何事もなかったかのように蝮へ向けた顔には、すでに見慣れた表情が浮かべられていた。

「‥おれらもクラス、戻るか蝮」

いつも通りの大人びた笑み。
けれど、その裏側にはきっと不明瞭な何かが潜んでいる。
返事を待たずに一人先に通路を歩きだした柔造を見つめていた蝮は、けれど、はっと我に返ると慌てその後を追い掛けた。
頭に浮かぶのは、罰ゲームで自分に好きだと言ったらしい、あの少年のしどろもどろだった言葉たちだ。
返事は一週間後に聞かせて欲しいと言われたのも、またここでこの時間に待っていると言われたのも、流行りの罰ゲームの告白文句であるのならば、それを真に受けて一週間後にここへ来たところで誰も現れることはないのだろう。
きっと、これはそういうことになるのだろう。
思うと、なんとも苦々しいものが胸に広がってしまう。
しかしそれを自分の前を歩く柔造に気づかれるのが嫌で、蝮は黙々と歩を進めた。
これは、狐に摘まれたようなものなのだ。
柔造の台詞を反芻しながら言い聞かせれば、ふいにあの作り物めいた柔造の笑みも一緒に思い出されて、蝮はひたり、己でも気づかぬ内に冷たくなっていた細い腕を無意識に強く、握り締めていた。





















隣人の慈しみ




title:舌






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