「うわ、雨や」

隣を歩いていた柔造が、唐突に声を上げて進めていた足をピタリと止めた。それに合わせて、蝮もぼんやりと足を止める。空を仰ぐと、頬に、瞼に、ポツリ、ポツリと雨粒が落ちてきた。昼過ぎまでは未だ青さを残していた空の穏やかさはどこへやら。今や空は灰色の雲に覆われて、天気が良いとは言えそうにない雨模様だった。
ため息混じりに蝮は鞄の中を探ると、折り畳み傘を取り出す。そうして雨が激しく降り出す前にと、涼しい顔で組み立てていった。

「‥おーおー、宝生の蛇女は相変わらず準備がよろしいこって」
「‥‥嫌味のつもりか知らへんけど、そう言うアンタはどうせ傘や持ってへんのやろ」
「おん?それがなんや。別に濡れて死ぬわけやないんやし、雨くらい平気や」
「‥ふうん?‥‥まあ、確かに。アンタはほうかもしれへんなぁ?」
「、ちょっと待てぇや蝮。何や?引っ掛かる言い方に聞こえるんは気のせいか?」

皮肉たらしく薄い笑みを浮かべる蝮に、柔造はぴくりと片眉を持ち上げる。蝮はその口元を隠すように手をあてると、わざとらしく声を上げながらころころと笑った。

「ほほ、そやって。自覚があるわけやろ?」
「‥はあ?自覚て‥何の自覚や」

怪訝そうな柔造に、蝮は楽しげにゆったりと蛇のような目を細める。

「何の自覚って、そらぁ決まってるやないの。自分が馬鹿やて自覚やわ」
「、‥‥‥‥あァ?今、何て言うた蝮。お前おれに喧嘩売っとんのか?」

低く、剣呑な、硬い声音で柔造が唸るように言う。
しかしそれとは対照的に、蝮は愉しげに笑うと、至極滑らかな所作で組み立てた傘をばさりと開いた。

「別に、あては喧嘩やアンタに売ってへんえ?」
「嘘吐け。んなわけあるか」
「ほほ。嘘、て」
「何わろてんねん」
「‥単純に感心してるだけやないの」
「ああ?」
「昔から、馬鹿は風邪引かへん言うし。せやからアンタは雨に濡れても平気や言うたんやろ?」
「っ、誰が馬鹿や蛇女!!!!」
「‥いややわぁ、大きい声で急に怒鳴って」

かぶりを振って言う蝮は、けれど言葉とは裏腹に、珍しく穏やかな口調で柔造に楽しげな笑みを向けてくる。
思わず喉元まで出かかった怒り任せの反論は、意表を突く蝮の表情のせいで、魚の骨が引っ掛かってしまった時のように柔造の喉の奥でぐっと音を立てて詰まってしまった。

「‥っ、なんや、お前、変に機嫌よぉて気持ち悪いな、」

どうにか絞りだすようにして言ってみたものの、代わりに出てきたのは歯切れの悪い、その場しのぎの貶し文句。その上、何故だか真っ直ぐ目を見て言うことが上手く出来ず、柔造は苦い気分で顔をしかめた。しとしとと降る雨の中、傘の影から笑う蝮はそれでも機嫌がいいようだ。

「柔造」
「‥あ?」
「はよ入り」

微笑を浮かべたまま投げられた蝮の言葉に、柔造は口をはくり、と一度開きかけてすぐに閉じる。
そうして、しかめた顔のまま目を彷徨わせると、苦いため息を吐きながらゆっくりと蝮に近づいて、細い指先から傘の柄を取り上げた。

「っ、ちょっと、」
「‥うっさい。ええから、お前は黙ってそのまま歩いとけ」

そっぽを向いてぼそりと言う柔造の耳はひどく真っ赤で、蝮はパチパチと目を瞬かせて柔造を見つめ返す。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥おい、蝮。帰らへんのか」

あまりにもじっと見つめ過ぎていたのか、暫らく経ったところで少し低く、焦れたように柔造が声を上げた。
その言葉の意味を理解した蝮は、ああ、と頷くと、柔造を見上げて短く言う。

「なあ、柔造」
「、なんや」
「帰ったら、ちゃんとあったかぁにしときや」
「‥‥‥おん」

柔造に目を細めて柔らかく笑う蝮に、柔造は苦虫を噛んだような顔をしながらも、どこかぎこちなく頷いた。
しとり、しとり。
静かに振り落ちる雨の音は、囁くように傘を撫でていく。
歩き出した二人は時折小さな声で言葉を交わしながら、触れ合うほどに肩を寄せ合って、家までの道のりをいつもよりもゆっくり、ゆっくりと、穏やかな足取りで進んでいった。























傘の下、二足歩行


title:にやり

20120914




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