先の尖った不明瞭な三日月がそこまで濃くないオレンジに滲むみたく淡い色。
いつもなら沢田とか獄寺とか京子とか、みんな揃って、それから男と女同士に別れてばいばいをするのに。
今日は用事があるからと言って申し訳なさげに京子は先に帰り、沢田たちも先に帰り、日直だったあたしは一人残された。
なぜか、こいつと。


「山本、なんで帰んないの」

「んー?ひまだし」

「残ってる方がひまでしょ」

「や、そんなことねーって」

「あたしにはひましてるようにしか見えないんだけど」

「ハハハ、んじゃあ見えるだけだなー」


さっきから何度こんな会話をしているんだろうか。
山本が笑うのを聞きながら、あたしは黒板消しで最後の文字の断片を消して、両手と制服についたチョークの粉を払った。
回れ右をすると、山本が「おつかれさん」と日誌を閉じるところ。


「書いといたぜ」

「ありがと。でもそれより、黒板消すの手伝ってくれた方がよかったんだけど」

「ハハ、わりーわりー」


自分の机の上に置いていた鞄を取って、山本から日誌を渡され、教室の窓の鍵を確認して廊下に出る。
吹奏学部の練習する音が不思議なふうにどこからか聞こえてきて、全体的に薄暗くなった廊下は突き当たりの窓から差し込む夕日で、それをぼんやりと蜜柑色に色を塗り変えていた。
と、そういえば、こうやって二人になることって今まで一度もなかったなぁとふいにあたしはぼんやり思う。

「ねえ、なんで残ったの」

「そりゃ、ひまだからだって」

「あいつらと一緒に帰ればよかったじゃん」

「いーんだよ、別に」

「なんで」

「ん?ひまだから。で、黒川と帰りたかったから」

「は。なんで、」

「なんでって、ひまで、黒川と帰りたかったから、だけど」

「‥ふうん」


至極当たり前なことを聞かれたみたいに答えられ、変に勘ぐってしまう自分が馬鹿に思える。
なのに相変わらずの態度で口笛なんか吹きながら山本は人が羨む長い足ですたすた歩いてるってのに、あたしの胸ときたら何故だかおかしなことにどきどきと鳴ってしまっていた。
聞こえるはずはないだろうけれど、あたしは隠すように腕にかかえた日誌を抱きしめ眉根に皺を寄せる。
山本ほどあたしは足が長くなくて、もちろん歩幅が違えば歩くスピードも変わってくるけれど、山本があたしを追い抜くことはないし、逆に遅れることもない。
歩く速度をあたしに合わせてくれているのだろうか、とくらくらする頭で考えるとああ、また胸が、小さくときりときりと鳴ってしまう。

(って、ちがうちがう、こんな子供みたいなやつなんてタイプじゃないし、ありえない)

階段を降りていくと、二人分の足音がかすかにひびいた。あたしも山本も黙ったままだから、その音しか聞こえない。
職員室は階段を降りてすぐ右に曲がったところで、ああ、もうすぐだ、と息が詰まりかけていたあたしはほっとする。
なのに、山本はあと数段で終わる階段の途中でどうしてか急に足を止めた。
それにつられたあたしの足も、どうしたのだろうと止まってしまう。


「‥なぁ、黒川ー」

「、なに」

「俺と帰るの、いや?」


肩越しにちらりと見た山本は、ちょっと、なんでか、情けなさそうな顔をしていた。


「別に‥いやじゃ、ないけど」

「ほんと?」

「うそついてどうすんのよ」

「あーうん、そー、だな」

「‥そーよ。あ、じゃあこれ先生に渡してくるから」


なんとなく気まずくなって、扉に手を掛ける。
後ろで「あいよ、」と返事が聞こえてから逃げるように職員室へ入ったけれど、先生に日誌を渡したらまたすぐご対面だ。
憂鬱になりながら、入るときと同じに開けた扉の向こうには、やっぱり、山本。


「じゃ、帰ろーぜ」


そう言った時の、嬉しそうな顔ったらなかった。
思わず頬が赤くなるのを感じてしまい、あたしは俯くと、蚊の鳴く声で「そうね」とだけ無理矢理に呟いた。

(うう、こんな子供みたいなやつなんてタイプじゃない、ありえない、はずなんだけど)

(そうだった、はずなんだけど)

夕日のあったかい色と、窓から見える三日月が淡いのが切なく思えて、あたしの胸はときりときり、小さく鳴って、ときりときり、小さく鳴り続ける。
歩きだした山本は、ぼんやり立ち尽くしてしまったあたしに気付いてふいに振り向くと、帰ろうぜと照れたように笑った。
途端、煩く鳴り始める胸を抱えてあたしはどうにか頷くと、ぎゅっと、苦しいような気のする心臓の辺りを押さえながら、山本を追って歩き出す。
何ようるさいわね、分かってるわよ。
なんて、いつもみたいに言えていたらよかったのに。
そう思えど、胸の奥がどうにも騒がしくって過剰な心音。

(、あたし)
(これってやっぱり、?)

そう、頭を過りかけた言葉をあたしは慌てて掻き消した。
何をばかな!
だってあたしのタイプは真逆だ真逆。
必死に頭の中で繰り返すのに、頬が熱くて仕方ない。
だから、今が夕方でよかったとあたしは心底思った。
だってそうでなければきっと今頃、「あれ、なんか顔赤いのな」なんて山本に笑われていたはずだから。


















恋は原因不明につき



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