「…何、それ」

わななくようにふるえる黒川の唇があんまりにも明るい赤色をしていたことに、おれはその時はじめて気が付いた。
そばにいた長い長い月日の中で、おれはいつだって黒川の白くて美しい指先に見とれてしまっていたから、それは仕方がないことであったといえるのかもしれない。だけど、こんなに怯えた声を出す彼女をおれは今までに見たことがあっただろうか。真っ青で、なのに唇だけは不思議と赤々していて、今にもばったりと倒れてしまいそうな顔におれはちょっぴりだけ胸がいたんで、ちょっぴりだけ、嬉しくもなった。

「なぁ黒川、そんなことよかそろそろ寝たほうがいいと思うけど」
「………」
「徹夜続きなんだろ?すげー顔色わりぃしさ」
「…だから、何なのよ、それ。あんたにとって、そんなこと、なの?」
「うん?」
「っ、どうせ、もう帰って来る気なんかないんでしょ」
「ああ、うん。そーだなあ。コンジョーの別れ、とかってやつ?」
「……大して、意味も分かってないくせに」
「…うん。ごめんな」
「っ、あたしが欲しいのは、」
「……」
「そんな、台詞じゃ、ない」

ふらつく体を支えるように差し出したおれの腕につかまって、黒川は唇をぎゅっとぎゅっと、だけどとても弱々しく噛み締めて長い睫毛をふるわせた。うん、ごめんな。わかっててゆってたよ。抱き締めてしまうと決心が鈍ることなんて分かりきっていたから、おれは小さく感じる黒川の肩に手をおいてその壊れやすそうな輪郭をてのひらに記憶させようと強く意識を集中させた。黒川の頭はゆらゆらとぐらつく。だからおれは小さく笑って、もう少しあのコーヒーには多めに睡眠薬を入れておけばよかったかなあと後悔する。もう随分と前からおれがそのうちどこかへ行ってしまうとゆうことに気付いていたはずの彼女は、分かっていながらそれでもその黒い液体を飲んでくれていただろうから。
腕に寄りかかり始める黒川の体の重さが泣きたいような気にさせるせいで、おれが笑いかける相手はもう眠りに落ちてゆくところだとゆうのに、おれはただただ一人静かに笑みを作るしかできなくなっていた。きっと、彼女の意識はもう夢の世界へと強制連行されたに違いない。安堵しておれはほっと息をつく。

「…おやすみ、黒川」

細心の注意を払って抱き抱えた体は悲しくなるくらいに細くて軽くて、ベッドへ運んで寝かせれば痩せた頬が目についた。窓の外は薄暗い。まだ世界は夜の中で微睡んでいる最中なのだ。おれは、思う。やはりおれは彼女を愛していて、どうしようもなく愛されていたいのだと。ずっと、一緒。そんな子供騙しの約束を誰よりも一番信じて願ったのは、おれの方だったはずなのに。ごめんな。黒川の前髪を指先で梳いておれは真白い瞼に唇を寄せる。そうして、それを分かっていながらもおれの計画に騙されてくれたやさしさに、深く深く感謝した。おれが言い出したあの馬鹿な約束を信じようとしてくれた彼女が目を覚ます頃にはもう、おれの姿はないだろう。ばいばい、黒川、すげーすきだよ。まるで最後になるのなんかじゃない、普段どおりの声音で呟けたおれには、さよならの実感が未だわいていないのかもしれない。けれどこれは、もう、今生のさよなら、というやつなのだ。もしも彼女が行き先を聞いてくれていたならば、一緒にゆけたのかもしれない。だけれど、見ている世界はきっと、同じままでは居られないから。だから、そうであったらいいのになあと、下らなくも勝手に願うことだけはせめて、許してほしいと我儘なことを考えてしまう。思えばいつだって、自分勝手にやってきてばかりだった気もするけどね。たぶん、これが本当にきみとの最後です。さいなら、おれの一等すきな人。

(なぁんて、そんなことゆっておきながらまた会いに来るかもしんないけどね、)

(でも、だけど、そん時はどうか大目に見て、どんだけだって怒ってくれてもいいから、最後にはきみが笑ってくれたら嬉しいなって、そう、思うよ)

生温く親しんだ愛しさを胸に、
笑みが生まれる。
もう、君の手は取れない。
だけど、おれは確かに君を愛していたし、ずっと、ずっと、
それはこれからも永久に長く、続いてゆくのだ。








































(さよならマリー、よい夢を)



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