「獄寺さん、はい!」

「‥は?」

玄関の扉を開けて現われたのはインターフォン越しにすでに誰だか分かっていた三浦ハルという名前のアホ女で、何か用かと言ってもしばらくにこにこと笑みを浮かべることしかしないから、気持ちが悪いと言って閉めようとした矢先に突き出されたのはその物体。
小さくて丸っこい体、ふわふわした薄いライトグレーの毛、それから少し垂れた耳。

「‥‥‥‥猫?」

「そうです!ワンダフォー!よくできましたね獄寺さん!」

「‥‥おまえ‥‥朝からうるさいそしてうざい」

「ひっ、ひどいですね!口の悪いあなたにこんなチャーミングな子をつれて来てあげたハルになんてこと言うんですか!」

きいんと高い声が寝起きの頭によく響く。
獄寺は眉間の皺が増えただろう自分の顔を隠すことなく、目だけで文句を訴えた。
朝方にやっと報告書が出来上がったばかりで、ついさっき寝たも同然なのだ。
まあ、報告書とは言っても形だけのものなので、正直なところ時間を掛ける必要などまるでなかったのだが、それはそれ。
十代目に提出するものなのだから手は抜けない。
それに今日は、ここ数日ゆっくり睡眠を取る時間がなかっただろうから、明日・明後日は特に大変な用事もないしよく休んでおくようにと十代目から勿体ない言葉をいただいて、いやしかし!と首を振り掛けたところをふらついてしまったのは少しまずかったが、苦笑を含んだ声に「ほらね」と言われてしぶしぶ甘えることにして手に入れた、久々の休日なのである。
休んでなどいられないと喚くように言いながらも、どこか安堵しながら帰宅し‥十代目の慈悲深い優しさに胸を打たれつつすぐに取り掛かった報告書作成は滞りなく済ませ、オレは、つい数時間前にベッドへ倒れこみながら痛い目頭を指で押さえて眠りについたはずだった。
な、の、に、こいつときたら!ああ、苛々する!
まだ目のあちこちが痛いのも手伝って、目付きは自然と悪くなる。
何故おまえは午前五時十三分なんて時間にわざわざ猫を見せに来た。これは一体何の嫌がらせだ。
心底うんざりして浮かぶそんな心中の台詞などお構いなしに、鼻先にくっつかんばかりに近付けられた猫――いや、子猫は、ハルの手で持ち上げられてじたばたと藻掻いていた。品が良さそうな顔をしておきながら尻尾が不恰好に短く、早くはなせと言うように暴れる姿はなんとなく愛敬がある。が、しかしこの状況と心境では憎たらしくしか感じられない。

「‥どうせ、中に入れなきゃドア叩いて入れてくださいとなんとか喚くつもりなんだろ」

「そうですよ、よくわかってますね」

「おまえな、こうゆうの何回目だと思ってんだよ」 

「え、何回目なんですか?」

「‥知るか」

きつく感じるシャツの第一ボタンを外しながらきびすを返して奥へ歩き出すと、鼻歌交じりにハルが「こわいお兄さんでちゅねー」なんて言うのが聞こえてげんなりした。相手は猫だぞ?何を言ってるんだこいつは。やっぱりアホに違いない。
思いながら狭すぎないワンルームに置かれたベッドまでのろのろ歩いて腰掛けて息をつくと、迷惑にも靴を脱いで上がり込んできたハルは子猫を床にはなしてやって、白い少女趣味な雰囲気のテーブルの上にがさりと買い物袋を二つ乗せた。
それを獄寺は苦々しい思いで眺めやる。
自身が持ち込んだ荷物は少ないため、本当ならばこの部屋にはベッドと小さい冷蔵庫と煙草、ダイナマイトとそれに関する類のもの程度しか存在しないはずなのだ。飯なんて、床の上だったって食える。
だからテーブルなど使う必要がないからいらないと言ったのに、ハルは怒って出ていったかと思うと、次の日には満足気な笑みで息を切らしながら、このテーブルと共に姿を見せたのである。
もちろんそこは全力で拒否した獄寺だったが、そんな抵抗も虚しく、ハルの泣き落とし作戦に結局まんまとハマってしまい口が出せない。
部屋の中にまで無遠慮にも入ってくるのは今のところハルだけであるため、心配する必要はないが‥もしも今後誰かを招くことがあれば、これは断じて自分の趣味で購入したものではないとまず最初に言っておきたいところだ。
晴れて自由になった子猫はぱたぱたと、短いなりにもどうにか生えている小さな尻尾を揺らしてテーブルの下へ走り出す。
ハルは台所の壁に掛けてある鍋を手に取って水を入れると、コンロの上に置いて火を付けていた。

「何だよその袋」

「何だよって‥お野菜とかお肉とか、いろいろですよ」

「何で」

「何でって‥だって獄寺さん、最近あんまりちゃんと食べてないでしょう」

「‥まあ、そうだけど」

「‥‥ツナさんが、言ってましたよ?頑張ってくれるのはいいけど、頑張りすぎて倒れちゃったら元も子もないからねって」

「十代目、が」

「そうですよ、獄寺さんが大好きなボンゴレ十代目のツナさんが、言ってました」

袋から次々へと顔を出す食材を出すハルはこちらを見ないで小さく笑っている。
むっとする獄寺を分かっていての表情で、きっと自業自得なんですよとでも思っているのだろう。
獄寺は何が楽しいのかひょこひょこと走っては歩き、あちこち見て回る子猫に目をやってからベッドに背中をあずけた。力が抜ける。

「‥そうか」

「ええ、そうなんです」

「‥あーそうかよ」

「獄寺さん」

「あ?」

「朝ご飯、和食でいいですか?」

「‥別に何でも」

「何でもいいなんて言うんだったら油でぎとぎとのエビフライを食べさせますよ?」

「な‥んでもよくねー」

「じゃあ、和食で」

白味噌のパックと豆腐を片手に、ハルはにこりと笑って背を向けた。
包丁に鍋、フライパンと電子レンジ、たま、フライ返しにボール、皿、その他もろもろ。この部屋の、特に台所には、必要ないと言った次の日にハルが笑顔で持ち込んだものばかりが溢れかえっている。何を言っても勝手に増えてゆくのだからもうどうしようもない。このことに関して文句を言うのも面倒になっているというのは、いい傾向なのかそうでないのか。
ふわふわちょこまかと、置物のすくない部屋の景色に飽きたのかこちらに近づいて来る猫を見ていた目を閉じて獄寺は疲れたため息を吐き出した。

「‥つーか、この猫」

「はい?猫ちゃんがどうかしましたか?」

「どうかしたから聞いてんだろうが、アホ。何で猫連れて来てんだ。おまえ飼ってなかっただろ」

「ああ、問題はそこですか。さっきすぐそこで拾っちゃったんですよ。だから相手してあげてくださいね」

「は?拾ったって‥意味わかんねぇ。つかなんで俺がこいつの相手なんかしなきゃいけねえんだよ。俺は眠ぃ」

「それじゃあ一緒に寝ててください」

「誰が、」

「一緒に、寝てあげてくださいね」

「‥‥」

違和感を感じて薄く目を開けると、シーツをよじ登って来る子猫の姿が飛び込んできた。見越したように振り向いたハルは、悪戯が成功したみたいなふうな目の細め方で笑った。
子猫は警戒しているのかそうではないのかよくわからない動きで、頭を高めにしてこちらをじっと見つめる。なんだ、値踏みでもしてやがるのか?睨むように見つめ返してやるが臆することはなく、値踏みが済んで合格したのかなんなのか、拙い動作で前進しつつ首を傾げる様はどうにも、シンク前の憎たらしい女に似ているように思えて嫌な顔になってしまう。こちらの考えに気付きもしないで寄ってくるところなんてそっくりなんじゃないだろうか。

「‥んだよ、見てんじゃねー」

言って分かるはずもなく、しかも自分がある意味先程のハルと同じように猫に話し掛けていると気付いた獄寺は、舌打ちの後に口をつぐんで子猫を睨んだ。野良猫には見えない綺麗な明るいグレーの毛並みが、ブラインドの隙間から差し込む朝日で微かに光る。垂れた耳は立たないままだが、こちらに興味を示しているのは十分に分かった。いわゆる狩りの態勢で、じりじり距離を詰められれば、分からざるを得ないとも言える。そして、こんなに元気なやつが今から寝るとは思えないとも。
飛び掛かられては欝陶しい、と手を伸ばそうとしたらそれを合図と取ったのか、子猫はその手を逃れて飛び上がると、勢いのまま獄寺の顔へと腹で着地した。
うわあと声を上げる気力もなかったためにハルのくすくす笑いは免れたが、代わりに出たのは自分の呻き声だけだった。

「‥う、こいつ、くさい‥」

呟くと、とんとんとんと軽快なリズム刻んでいた包丁の手を止めてハルは思い出したように口を開く。

「やっぱり野良でしたし‥そうすると、お風呂なんて入ってませんもんねぇ」

子猫を手でどかしながら的を射ているような射ていないような言葉を聞いた獄寺は、子猫の首根っ子を掴んで体を起こして、盛大なため息を吐いた。
ハルがずず、と包丁を置いて小皿で味噌汁の味見をする音が聞こえる。

「‥‥‥‥‥‥風呂、行ってくる」

「あ、はい、分かりました。ご飯まだもう少し時間がかかると思いますから、ゆっくりして来てくださいね。バスタオル、出しておきましょうか?」

「‥ん、頼む」

手足を忙しなく動かす子猫を憎々しげに見てまたため息を吐く獄寺が、子猫を掴んだままベッド脇に畳んである着替えを手にして、風呂場へ向かう。
それを見送ったハルは再び包丁を手にしながらひっそりと笑って、パックから豆腐を崩れないように取り出した。






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