頭に一発、心臓を一突き。
そんな大層なことをしなくても、人というのを存外に容易く消し去ってしまえる。
それをあたしは知っていた。
けれど、そうはしない。

「ねえ、どうしてか分かる?」

ろくに返事に期待もしないで聞いたのは、暗くて無口で無愛想な眼鏡、さもどうでもよさげに見えるのはきっと、あたし以上にこの質問に対してどうでもいいと思っているから。
スカートに飛んだ血を見て新しいのを買わなくちゃと顔をしかめて、無反応をいいことにあたしの中で先程の台詞はデリートされる。
この男は、掘り返して聞くような性質ではないからこんな時にはとても都合がいい。
別に、それに感謝なんてするわけじゃないけどあたしは、乾燥のひどい日本の冬のせいでかさつく唇に嫌気がさし始めていたところだったから、何事もなかった顔で少し離れた場所に放置してあった鞄からポーチを取り出しリップクリームの捜索を開始した。

「‥それにしても、骸ちゃんてば失礼よね。同伴つけるなんてサイアク」

毒々しいピンク色のそれを無事に発見して、唇を尖らせて拗ねるなんて可愛い真似のできないあたしは少しばかりイライラしながらクリームを唇へ塗りたくった。
赤く、色づくそれは血色の悪さもカバーできて保湿成分もばっちり、街角でよく見かける安っぽい薬用クリームなんて塗るような馬鹿とあたしは違うのだ。
(あ、ついでに化粧も直しとかなきゃ、)
装飾の凝った丸いデザインのコンパクトもすぐさま捜し出して鏡をチェックする。
目、眉、鼻、口、おでこ、それに頬と笑顔も確認。
どうやら、乾燥に侵されかけていたのは唇だけのようで、それ以外はしっとりと潤いを保っていて化粧崩れも思っていたほどではなかった。
けれど念のため、ファンデーションをパフに乗せて肌の上をパタつかせる。
ほっと息を吐いて、安心、そう感じるのはあたしという人間が様々なものに塗り固められて構成されているから。
そんなことを考えながら、あたしは肌を整え終えると静かな同伴者へ向き直り腰に手を当てた。

「はーあ、疲れた。今日の仕事も高くつくわよって骸ちゃんに言っといてよね。あ、あと、あたしも早く会えるのが楽しみよ、って」

そう、ポーチに道具を仕舞って鞄を片手に持ち直しながらあたしは言う。
そうしてそのままさっさと立ち去るつもりだったんだけれど、背を向けて歩き出せば何故か後ろからは足音が一人分。
あたしが止まれば、その音も止まる。

「‥ちょっと、何よ。監視ってわけ?あたし、仕事はきちんとこなしたと思うんだけど」

あたしが訝しげに後ろを振り返っても、変わらず無表情な彼はしかし、止めていた足を動かして珍しく一定の距離をゆっくり詰めて来ると、ぼそぼそと聞き取りにくい声音で呟いた。 

「‥送る」
「‥‥は、何それ、骸ちゃんの命令?ミルフィオーレの奴らにバレるようなヘマしないわ」

意表を突く発言に一瞬反応が遅れたけれど、すぐさま鼻で笑って嫌味ったらしく言ってやる。

「‥骸様は、別に関係ない」
「じゃあ、何よ。あんたがそんなこと言いだすなんて明日は雨?雪?ああもう、ホンット最高にサイテーね」

構ってられない、と再び歩き出しても同調する足音。
カツン、コツン。
速度を上げても下げても、あたしに合わせた歩調のせいで近づくこともなければ遠ざかることもない。
(一体全体これは何のつもりなのだ、)
意図するものがまるで分からなくて、あたしは苛々しながらもその不気味さに無視を決め込むことにする。
面倒事は嫌いなのだ。
しかし、影のようにあたしのテンポを真似て、後をつける足音が消える気配など欠片もない。
内心を蝕む、苛々とした衝動を抑えて歩き続けたあたしは、その後も延々と無言の追い駆けっこを続けていた。その内に、片方のヒールがボキリと音を立てて折れ、有無を言わさず彼に背負われる羽目になるなど知りもしないで。
ああ。
バカなことをした、
なんて、思ってからではもう遅い。
しかも人形のような無表情男はいけしゃあしゃあとこう言うのだ。

「だから、送るって言ったんだけど」

そんな、そんな、ふざけた一言をぼそりと、その、呆れるくらいに平坦な声で。
だから、あたしは彼の背中におぶられながら確信した。
こいつは、あたしのことを馬鹿にしてる。
多分、いや、確実に。
本人にそのつもりなどないのかもしれないが、そんなのは問題じゃあなかった。

「‥あたし、あんたを殺すとしたら、絶対沸騰なんかしてやらない」
「‥‥興味ないよ」

ぼそり、一言告げる声。
頭に一発、心臓を一突き。
そんな大層なことをしなくても、人というのを存外に容易く消し去ってしまえるということをあたしは知っていて、だけどあたしはそうしない。
どうでもいいような下らない理由、その理由をきっと彼は知っているのだろうけど、呟いた彼の声はどこまでも透明で、それがひどく腹立たしかったあたしは彼の頭を容赦なく殴り付けてやった。

「、‥痛いんだけど、」

そんな非難を含んだ台詞だって、結局、抑揚のない調子で吐き出すくせをして。
知っていたって何も言わない、まるであたしの思考などお見通しだとでも言いたげなこの男のスタンスが、あたしはどうしようもなく嫌いだ、嫌い、心底嫌いでだいっきらい。

「は、うっさいわね。さっさと歩きなさいよこの愚図」

苛々とあたしが言うまでもなく、男の足は一定のスピードで前へ前へと動き続けていた。
けれど、その速度が少し遅くなった気がしてあたしは忌々しげに顔を歪める。
(だいっきらい、)
口に出すのも嫌なくらいに気分を損ねたあたしは内心で悪態を吐いたのに、何故か彼は呟いた。

「‥うん、知ってる」

やっぱり、平らで感情の色なんか見えない声で。
どこか、胸に沈めたものをゆっくりと噛み締めるように。










今日もエゴは舌のうえ





title:深爪



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