新発売だとテレビで宣伝されていた気のするマスカラを睫毛に重ねて行きながら、晴れっていやねと漏らすくちびるがやけに艶を帯びて輝いて見えた。
そんなふうに睫毛をぴゅうっと長くなんかしなくたって、充分きれいだと思うのになあ。
おれは何回目かもわからないけれどまたそんなことを頭の中でぐるぐると考える。
でも口に出さないのは、前にそう言ったらなんだかとても嫌そうな顔で、あんたあたしのすっぴん見たことないくせによくゆうわ、と睨まれてしまったからだ。(だけどだけどそれはちょっと少し、いや随分と前の話で、今では両手じゃ足りない回数は見ているのだから問題はないかもしれないけれど、)
それにしても、アイライナーとかゆうやつはなんだか目に刺さりそうでどうにも危ない印象しか残らない。見ていると思わず目をぎゅっと瞑ってしまう。痛そうで。
だけども黒川は上手い具合にするするラインを引いて次の作業に取り掛かる。
女の子はどうしてこうも化粧とゆうものを難なくこなしてしまうのか。きっと永遠の謎、だ。(おれが男の子っていきものだから、ってこともあるんだろうけれど。)
まあしかしそれはもう理解しうる範疇のもんじゃあないってことだろうから、しかたのないことだ。
いつだったか、黒川がひどく泣きだしそうな顔をしていた時におれは泣けばいいのにとゆったことがあって、だけど確かその時に返ってきた台詞は、は?化粧がくずれるでしょ、あんたばかじゃないのなんてそんなものだったけれど、ホントの理由はそうゆうのじゃあなくて、もっと違う理由で泣くのを堪えてたんだろうってことはなんとなくわかってて、そんでおれはそんなところが可愛いと思ってしまうような黒川ばかだから結局のところ、なぞでしかないお化粧タイムが終わるのをぼんやりと待つのも、悪くないなあと思っていたりする。
だってそれはおれが、ナイフで刺されてこれでもかってくらい目の前がちかちかして、もう死んじまうんじゃないかって思った時にしてくれた泣きそうな顔だったし。ね。
「なあ、黒川、準備できたらどこ行こっか」
「‥忘れたの?」
「うは、違う違う。駅前にオープンした、ランチが美味いカフェテリア、だろ?」
「なんだ、覚えてるんじゃない」
「忘れるわけないって、久々のデートなんだし。で、その後どうしよっかなーって思ってさ」
「んー‥んん、ごめんすぐ思いつかない。行きながら考えよ。だからあと一分待って、もう終わるから」
「イエッサ、りょーかい」
「いや、サーじゃないけどね」
「んじゃあレディ?」
「‥まあ、なんでもいいけどさ」
頬杖ついて正面から笑顔で見つめる。
女の子がどうして化粧とゆうものをするのかなんて、永遠の、謎。
「‥化粧してなくてもしてても、やっぱ黒川ってきれいなのな」
「それ聞くの、何十回目かな気がする」
「うはは、そうだっけ?」
呆れた顔してるけど実は結構うれしいくせに、なんて思ったりね。
でっかい鏡と少しの距離を間に挟んで、おれは彦星気分でウェイティング。
愛しの織姫さま、今日もおれの奢りです。久しぶりのデートなので、積極的に攻めるつもりです。
ああ、嬉しくて口元のにやつきが止まらない。(それだからそんな顔で睨むのはやめてください、)(でも好きだよ、どんな顔だったって。)
「黒川、あとでチューしような」
「は?あんた今なんかゆった?」
「ううん、ゆってない」
にこにこにこにこ、音がつくならそんな調子で笑うおれに、黒川はコンパクトを閉じながら「絶、対、しないから」とにっこり笑ってくれた。あれ、聞こえてますよね、てゆうか何がいけなかったんだろう。
(ああ、女の子ってホントに、不思議。)
鏡を片付ける黒川を変わらず笑ったまま見つめていたら、眉間をぴくりとさせた黒川に、目にも止まらぬ右ストレートを顔にお見舞いされた。
鈍い音とおれの呻き声。
倒れるおれ。
「く、ろかわ、愛がちょっと痛すぎる‥嬉しいけど‥痛い‥」
涙目で倒れたまま黒川にゆったら、今度はがすりと踏まれてしまった。
ひどい。
見下げてくる黒川の目はばしばしと、長い睫毛に囲まれて大人っぽい。
きれい、と呟いたおれにばかねと黒川がふいに呆れたみたく笑った。
その顔はやっぱりきれいで、だけどもっと歪んだ顔で泣きそうだったって不細工だったって、黒川だから抱き締めたくなるに違いない。
ずきん、と痛い場所は気にしないで、おれはゆっくり体を起こした。
悪いことをしたかと言ったふうに、自分で殴ったところへそっと触れる黒川の指先が好きだから。
(ね、へいきだよ。)
(化粧してようがそうじゃなかろうが、どんな顔してようが乱暴だろうがなんだろうが、絶対、ぜったいに他の誰かになんか渡してやらないから。)
(触らせないし見せてやらないよ。)
(ああ、ごめんね、)
(ずっと一生、おれだけのマイスウィートだ。)
手放してなんか
あげないよ