ただしあわせになりたかっただけなのに、と泣くあたしに、山本はばかだなあ、と言った。ばかにばかなんて言われたくないわ。口に出さなくても思っていたことが顔に出ていたのか山本は、相変わらずなのな、と小さく苦笑った。
くつくつ、山本は何がおかしいのか喉を鳴らして目を細めている。ああ、やっぱりばかね、あんたは。普通ならおんなのこが泣いていたら慰めるものでしょう、あたしはあったかい飲み物がほしいわけでも、あんたのわらう顔が見たかったわけでもないんだから(でも、もちろんのこと、慰めのことばがほしかったわけでもないということは忘れないでちょうだいよ、)。だなんて心のなかでくだらないそんなことをごちるのさえ、山本はわかっているふうにくつくつくつと喉を鳴らす。
それをよそに、左手の薬指から抜き取ったシルバーリングが外灯の明かりをつかまえて煌めくのが腹立たしくて、あたしはずっと鼻をぐすぐすいわせていた。まだ口をつけていない、山本が気をきかせてすぐそこの自販機で買ってきてくれたホットミルクティーの缶が少し重い。山本は隣でかたりかたり肩を軽そうにゆらしている。まるでやっていることが正反対のあたしと山本の動きに、あたしは軽い苛立ちを覚えた。
ばかみたい。なにやってるんだろ、ほんと。
思いながら、飲む気になれないミルクティーが缶のなかでとぷ、と音をさせるのをあたしはぼんやり聞いた。
そして涙がとまらないでいるあたしの隣で、山本はやっと壊れたおもちゃみたいな音を止めて、それで、と問う。
話の続きをうながしているのだろうことはすぐに察しがついたけれど、あんまりにも山本が長くわらっていたのが腹立たしいから、あたしはぐすぐすと鼻をこすって返事をしなかった。
けれどだいたい、そんなことをしても仕方がないのもわかっているのだ。
人に見られるのなんかかまわないで泣きながら歩いていたところを偶然見つけて、どうしたんだよ黒川、と山本が最後まで言う前にがまんしていた分の情けなさだとか悔しさだとかが一気に流れだしてしまって、開口一番しあわせになりたかっただけなのに、なんてバカな台詞を吐いたのだったから。
シルバーリングをてのひらの上でころころ転がしてあたしは鼻を鳴らす。ぐすぐす、ぐすぐす。ぼんやり明かりが照らすだけの道端にやけに大きくひびく。

「‥‥あたしさっき、フラれたのよ、」

「、そっか」

「けっこんしよう、とか、言ってたのに」

「‥うん」

「なのに‥‥フラれた。プロポーズは、むこうからしたくせに」

「何だよそれ、ひでーやつだな、そいつ」

「ほんっと、ばかにしてるっつーの」


わらって言ったのに、目の奥がきゅうと痛くなる。なんで、こんなに涙がでてくるの。ずうっと前だったならきっとあたしはこんなふうに山本の前で泣いてなんか居られなかっただろうに。なんで、よけい泣けてくるの。
両手があったかいくせに邪魔するみたくシルバーリングがきらっとひかる。
山本は頭をかいて、ふ、と息をついた。


「んじゃあ黒川はさー‥あれなの、」

「は、あれって、なによ」

「なんてゆうか、そいつと、けっこんしたかったんだ?」

「‥そうだったら、どうだってゆうのよ」

「じゃ、もひとつ聞くけど、さ。そいつのこと、好きだった?」

「‥‥そんなの、決まってるじゃない」

「ほんと?」

「、なんなのよあんた、そんなこと確認して」

「や、別に」

「‥わけわかんないんだけど」


その短い物言いが不思議なくらい数年前と変わっていなかったのがおかしくて、あたしは口元をゆるめて呟いた。こすりすぎた目の淵や鼻の辺りが痛い。
少しずつ引きはじめた目尻の水滴を指の腹で拭って、それからやっと、随分前から泣いたせいでぐちゃぐちゃになっているであろう自分の顔を想像して、ああ、と眩暈を覚えた。真っ赤だ、ぜったい。目も鼻も頬も。すごく汚くて不細工な顔だ。でももう今更なんだから。そう、とても今更なのだから、あきらめなさいよ。自分に言い聞かせて気にしないように努め、座り込んでいたあたしはすっくと立ち上がりシルバーリングを思い切り投げ捨てた。
ひゅっ、うう、ん。
薄闇にすぐ消えてしまったぴかぴかなシルバーリングは、最後にかさ、と音を残してもうどこへいったのかわからなくなった。


「おっ、いいフォーム」

「‥‥‥、あのさ。なんかあんたって、全然変わんないわよね。腹立つわ」

「うははは、」

「いや、わらうとこじゃないから」

「は、わりーわりー」

「‥思ってないくせによく言う」

「はは、腹立たせたのは悪いと思ってるって。‥まあ、つーか、よかったよかった。やっと泣き止んだ。な、黒川」

「‥」

「あ、怒った顔」

「‥うるさい、山本武」

「うはは、わりーわりー」

「だから。思ってないのに言うなばか」

「うーん、これ言うのクセみたいになってるからなあ‥」

「じゃあ、直しな」

「ええー‥」

「はいだめ。台詞と顔があってない」


半笑いで渋った声を出した山本にあたしはツンとした態度で顔を背け、手のなかの缶のプルタブに指をかけて、開いた口から温くなったミルクティーを喉奥へと流し込んだ。甘い。意外に乾いていたらしい口内で、やけに甘いのが染みていく。


「‥黒川はさー、しあわせになりたかっただけ、なんだよなー」

「‥」

「けどけっこんするのが、しあわせって、もんなのかなあ」

「‥あたしだって、そうゆうのに憧れたりするのよ」

「ふぅん‥そっ、か」

「‥‥なによ、悪い?」

「いんや、悪かねーって。ただ、なんか、おんなのこだなーと思って」

「あんたねえ、あたしをなんだと思ってたわけ」

「え、なんだろ‥黒川花?」

「‥まんまじゃん」

「で、意地っ張り」

「は?」

「強がりで泣き虫で口が悪くって、」

「っ」

「おれのことすぐにばかにする」

「ばかにしてんのは!」

「そんで笑うとかわいい、おんなのこ」

「どっち‥よ?‥え、ちょっ、と、今なんて、」

「‥っぶ!はは、黒川、変な顔になってんの」

「っ茶化すなばか!」

「そっちこそ茶化させるなよー、うははっ」

「‥あああもう!!腹立つ!!なんであんたと居たらこんなに腹が立ってしかたないの、もう!」

「はははっ、うん、そうなのなー‥なんでなんだろ。でも、おれ。どんだけ黒川を怒らせたって、泣かしたり、しない」

「‥山、本」

「黒川はあんな泣いてたけど、」

「‥」

「けっこんしてしあわせになれるってんなら、それなら。おれとけっこんしよ、黒川」

「‥なにばかなこと言って、」

「すぐは無理だろ、だから、お付き合いから」

「‥‥あんた、本気?」

「冗談でおれこんなこと言えねーよ」


まだほとんど飲んでいないミルクティーの缶が、いつの間にか地面に転がっていた。中身がこぼれだしてどんどん水溜まりが広がっていっていたけど、気付かないままじいっと、夜の暗さで黒を増した瞳が見つめてくる。


「‥‥‥‥ああ、もう。ばかね、ばか。ほんっとばか」

「ばかばか言いすぎだろ黒川ー‥」

「ばーか。‥ぶっ、変な顔!」


吹き出すと、情けない表情だった彼も苦笑い、それからあたしとおんなじに笑いだした。まだほとんど飲んでいないミルクティーの缶が地面に転がっていて、中身がこぼれだしてどんどん水溜まりが広がっていっているのだけど、気付かないまま笑っていた。甘い味がすこうし口の中に残っている。

(あたし、しあわせになりたかっただけよ)
(ただひたすらに)
(あたしらしくもないしあわせが、欲しかった)

(ああ、でも、)

(しあわせってもしかして)

(こうゆうものでも、あったのだわ)

































































わ た し の

し あ わ せ



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