交わり、交わる視線。
きらめいて、
何も知らない哀れな小鳥を姿勢低く狙う猫のような目が柔く歪んで弧を描く。
そんな、笑みともその逆ともとれる不均衡な弱さにふっと言葉を失ってしまうことがあるのは、彼女に対して抱く、生温く時たまひどく熱を持つ感情がこの胸の内でゆらめいているからだ。

「‥むかつく」
「えー、誰がですかー?」
「はあ?決まってんじゃない、あの、小汚い雌豚よ」
「わぁ、すげーひどい言い様ですねー」
「お黙りフラン。あんな女、豚で十分よ」
「ふーん。よくわかんないけど、何かあったんですかー?」
「‥別に。何もないわよ」
「へぇー、何も、なかったんですかー」

気の抜けたような自分の声は垂直落下して、彼女の憂鬱そうな表情が目に鮮やかに映る。
ああ、だけどそれがなんだか笑っているようにも見えるのは一体どうしてなのだろう。
(こまったなあ、)
泣き出す前みたいなその不安定さが、まるで助けてとゆらゆらこちらへ手招きをしているような錯覚を起こしてしまいそうだ、

「えーと、まあ、それじゃあとりあえず、」
「‥は?とりあえず、何よ」
「ああ、はい、とりあえず。ミーの胸で、泣いときます?」
「‥‥何その面白くない冗談」
「えー、冗談じゃないですよー?」
「‥あのね、あたし今、あんたのおふざけに付き合うような気分じゃないの」
「へえ、そうですかあ、」

あ、睨まれた。
(だけど、ほうら、)
また、そんな顔をして。
(本当は、何かに縋りたくってたまらないくせにさあ、?)
ふわり、香る甘すぎない香水が、彼女の匂いとして体に刻み込まれているせいでなんだかひどく気分が浮ついているらしい。
なんだか、その細い肩を引き寄せて抱き潰してしまいたいような感情の裏で、強がりでしかないこの彼女の全てを一つずつ日の下に晒してぐちゃぐちゃにしてしまいたい、ような。
ああ、そうだ。
例えば今彼女が纏っている薄い洋服をするりと脱がして、騒ぐ口を無理矢理に押さえ付け。
そうしてそれに口付ければとても柔らかく、抵抗されれば口が切れてひどく苦いキスになるはずだ。
怒りと不快さに歪む表情を堪能しながら何度も唇を貪れば、離した途端に罵声が飛び出て、けれどそれだってきっとただ熱を煽るだけのスパイスにしかならない。
それに手入れを怠らない彼女の白い肌は、首も肩も腕も足も、噛み付けばそこに容易く赤い跡を残すに違いなく、けれど、彼女は必死に藻掻いて。
そんな反応を少しずつ少しずつ、楽しみながらゆっくりと身体中に触れていく。
なんて。
そんな、妄想を現実の物にすることは多分にそう難しい話ではないはずだ。
彼女は、殺し屋である前に女なのだから。
力で適うわけもなく、組み敷くことなど容易だし抵抗だって大した問題にもなりやしない。
(なのに、なんでなのかなあ、)
頭の中を渦巻く一時の妄想も、結局彼女を見ていればそれも最後には胸の痛いものに形を変えてしまう、

「‥やっぱり、ミーの胸で泣いておきます?」

だから、壊してしまわないように、だとか。
彼女がそんな柔な質ではないということは身を持って知っているのに、どうしてか溶けるほど優しく抱き締めてしまいたくなる。

「‥しつこいわよ、フラン」

そう吐き出す声が弱々しくなることは最初から計算済みだったけれど、そうさせるのが自分ではないという事実に腹が立つ。
強く腕を掴んで引き寄せて、この胸へ傾れ込む体を拘束することはこんなにも簡単だというのに、彼女の思考を自分は支配することは不可能であるということ。

「っな、にすんのよ変態ガエル!」

「えー?ここは素直に甘えておけばいいと思いますよー?」

「はあ?誰が甘えるか‥ってゆうかそんな必要ないし意味分かんない」

「可愛くないですねー」

「あら、ありがとう、あんたに可愛いとか思われたって意味ないからね、あとさっさと離しなさいよ変態。頭沸騰させてやるから」

「うわーそれは勘弁なので離せないですー」

「っ、いいから離しなさいよバカエル!ふざけんのも大概にしときなさいよね!!」

「えー、別にミーはふざけてなんかないんですけどー」

「は?だったら、余計タチ悪いわよあんた!」

「、」

腕の中で暴れる体を抑えて、忌々しげに投げられた言葉に思わず笑いが込み上げた。

「‥はは、確かに。タチ、悪いですよねー‥」

だって、こんな細い肩、折ることも押さえ付けることも容易いのに。
力ずくで屈伏させてしまうことなど一瞬であるのに。
(手には、入らない、)
これだけ近づいても距離を埋めても、鮮やかに輝く彼女の瞳に自分は、映っていない、

「‥‥‥あんた、ホントいつかぎたぎたのぐちゃぐちゃにしてやるからね」

「わーあ、今ミーの腹の肉を鷲掴んでる手からすごい殺意がー」

「は、当たり前でしょ?殺意込めてるんだから」

「や、てかあのー、ちょっと、いたいいたいー、いたいんです、がー」

「なら、今すぐ離しなさいよ」

「、それは、嫌ですー」

「はあ!?あんた、もう‥ホントいい加減にしなさいよ!!」

ぎりぎり、ぎりぎり、ぎいりぎいりぎりぎり軋む、音を立てて軋む、腹部、心臓、細胞、思考?
体の真ん中までもが煩く傾ぐ感覚、
肉を千切られそうなほどの痛みの中で彼女の匂いが肺を満たす。
手に入らない、欲しくて仕方ない、ぐちゃぐちゃにしたい、閉じ込めたい、痛みを堪えるために力を入れて抱き締めると少し抵抗は和らいで、掴まれた部分だけがずきりと痛んだ。
どうせ、
時間が経てば何事も無かったかのようになると分かってはいるけれど、せめてこの与えられた痛みだけでも消えぬまま自分の物になってしまえばいいのにと思う。
それは、どこか、願いにも近い。

「‥やめた。どうせ幻術なんだし無駄な力使う方が馬鹿らしいわ」

「‥はは、さすが分かってますねー」

「お黙り。諦めてもあたし、この状況を認めたわけじゃないんだから」

ヒステリックなトーンを落として、穏やかな口調。
それに油断して腕の力を少し緩めたら、腹いせに殴られてしまった。
痛い。
それを幻にしてしまうことも出来たけれど、そうはしたくなかった、
そんなものにしてしまいたくはなかった。
どれだけ拒絶されても、嫌悪されても、これだけは彼女が向ける唯一の感情。
これだけが、彼女からの唯一の熱量、

「あ、なんか」

「‥何よ」

「いやー、太りましたー?」

「‥‥‥フラン、あんたの気持ちはよく分かったわ」

繰り出されたアッパーに体は後ろへとバランスを崩した。
甘んじて受けたとはいえそれはやはり痛くて、自然腕から抜け出した彼女が遠退くけれど、それでよかった。
いきり立つ彼女はもう、こちらの相手をするのも面倒になったのか背を向けて歩きだす。
一人取り残されて、顎には偽りのない痛みだけが確かに残っていた。
痛い。
いたい。
けれど、密かに滲む涙がそれだけのせいではないということを教えるように、胸の端がきりりと痛んでいた。
ああ、思うが故の傷口は膿み続けて、治し方が分からない。
てにはいらない。
(不毛だ、)
それでも、彼女を追ってしまう。
あの、獲物を狙う猫のような目に射られたくて、

「‥待って、くださいよ」

遠くなりつつある彼女に聞こえるわけもない声が、ぽつりと落ちて地面に消えていく。
あ、あ。
だって結局は、同じなのだ。
叶わない恋など捨ててしまえばいいと言ってしまえない。
彼女も、自分も。
こんなにも不毛な恋に溺れているせいで。
腹に、胸に触れれば確かに痛くて、どうしようもないほどに彼女を感じて言葉にならなかった。
ただただ、彼女が、好きだった。
そうして、彼女は、彼が、
(  、)


(あ、もう、考えるのやめよう)

なんだか馬鹿らしくなってくる。
汚ないものが身体中を駆け巡ることは止められなくて、苛立って、でも、彼女があんな顔になることが出来るだけ少なくあればいいと、寒いことを考えている自分だって確かに、いるのだ。
ちゃんと、それもしんじつ、というやつなのだ。
だからその背を、追い掛ける。
自分のためにも、という下心込みの思いではあるが、今はまだ彼女の憂いを見つめていたい。
たとえ報われなくても、
それが、始まる前から終わっているに等しい恋なのだと、いくら頭で分かっていたとしても、
あ あ。

(かなわない、)

世界が彼女に侵食されていく感覚の渦に呑まれて、鈍い痛みが胸に広がる。
苦しくて、
やはり、ただただ彼女が、好きで。
だから、
それだけはどうしたって、自分のしんじつというやつであればいいのにと思う。
彼女のしんじつというやつが、
きっとそうであるように。
この胸のひびきが、願わくは、せめてもの救いであるように。




























二 つ の 破 片





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