春のすなはまは白くてしおからい。
貞淑な妻を気取って三歩うしろをあるいてみたけれど、
どうにも足をとられるしそこにのこる足跡はいびつで不恰好だ。

「ねえ、きょうこ」

あたしは波以外の音が聞こえない沈黙に嫌気がさしてだだをこねるみたいな調子で前をゆくきょうこに声をかけた。 
ざざあん。
返事の代わりに打ち上げられた波しぶきがあたしの頬に飛翔して、
ひやりと春のつめたさを知らされる。 
とまらない歩みはおごそかに、どこか儀式めいた一定のスピードでただただ前をゆき、足跡をつくっていくばかりだった。

(きょうこ、)
(ねえ、なにもゆってくれなくちゃあ、悔しいけれどあたしだってわからないんだよ、)

意外につよい風をうけて、肩の上までで切りそろえた髪がまるで生きているみたいにゆらゆらとうねった。
前をゆくきょうこの長い髪は、あたしなんかのよりもうつくしく世界の光を掻き集めながら風に舞ってきらめいて。 

「ねえ、とまって。こんなのなんにもわかんないよ。きょうこ、」 

泣いていたのだとしたってこんなにも距離が埋まらなければ、涙だってぬぐえない。
くるしい。
きょうこが、すき。
だから、こんなのは、いつだってどうしようもなく辛かった。
だって、あたしじゃきょうこの傷はすくえない。
あたしでは、何ひとつだって、

「はな、」
「‥うん?」
「わたしね」
「うん、」
「わたし、は。はなが、いてくれたら、それでいいの」
「‥‥、うん」

ふるえた声が、あたしを呪う。
まるで朽ちて腐る花弁のような、甘く臭い誘惑はそれでも結局、最後にはあたしを一人取り残すための罠でしかないくせに。

「‥きょうこ、もう戻ろう。体にさわるよ」

ひた、と。
止まった足がほそくしろい。
風が出てきた、
あたしはきょうこの手を取って歩きだす。
顔は見ない。
見てはいけないと、思った。

「帰ったら、ココア作ったげるよ。すきでしょ」
「うん」
「ほら、あたしの上着でいいから着ときな。冷えてるだろうから」
「‥うん」
「お腹の子が、凍えちゃうと大変だしね」
「う、ん」

笑わない、ベビーフェイス。
なんにも変わっていない顔が浮かべるのは、あたしがずっと願い夢見ていた幸せなんかじゃなかった。
とんだ裏切り。
だけどそれすら打ち砕いて全てをさらってゆくには、ちょっとどうにも、あたしもあんたも大人になりすぎてしまっていたから、もう、戻れないね。

「きょうこ、今日の晩ご飯は、何つくろっか」

努めて明るくゆったあたしの声は白々と車内にひびいたけれど、それがあたしの精一杯だった。
やせた横顔が小さくかたむいて、かすかに微笑む。
あたしにあたたかく笑いかけていた頃の記憶を思い出させるその仕草は、あたしに少しの切なさをもたらしてなんだか胸をいたくさせた。

「じゃあ、オムライス、」
「りょーかい。じゃ、ついでに買い物もすませて帰るわね」

笑って、車を走らせた。
閉めきった車内に風はない。
けれど、ひゅうひゆう、あたしの体のどこかにはあいたままの穴があった。
きっと、きょうこにもそれはあいていて、けれど未だ塞がらない。
そしてあたしの穴もそれに呼応している。
埋まらない、埋められない、その穴は、あたしがあけたわけじゃない。
だけどあたしは、身代わりだ。
しかも穴をふさぎきれていないつぎはぎの急ごしらえ、正しくない、だけどそんなの分かってる。
隙に、穴に、つけ込むわけではないけれどあたしは求められているのだ、体よく、と言っては非難がましく聞こえるけれど。
あたしは、ここにいる。
本当は、埋まらないのは穴でもなんでもなく、あたしたちのこの距離なんじゃないかって、考えたりもするけど、だってあたしはきょうこを守りたかった。
そうして未だあの頃と同じように、悲しいくらいにすきで、ああ、これは叶うことのない醜い恋だ。
相手が死人なんて勝ち目はない、ましてや、あたしが女では。
堂々、巡る。
そして幾度となく繰り返した思考を嗤うのだ、汚い自分、それでもあたしはきょうこがすき。
だから、あたしはここにいる。

「きょうこ、寝てていいよ」
「‥ん、」
「おやすみ、」

ゆっくりと、落ちる瞼。
青白さを残した頬が痛々しくて憎かった。
あ、あ。
今日は、スーパーに寄って、オムライスの材料を買ったらすぐに帰ろう。
きょうこが寝てしまったのを確認してから、あたしは少しだけ窓を開けた。
流れた風に、間を置いて紫煙が乗って外へ出てゆく。
善者面をして、胎児への悪影響、隠したがるあたしの汚さ。
ねえ、だけどそんなことさえも
きれいなあんただけはどうかずっとずっと、知らないままでいておいてほしいとおもう。
(ねえ、お願いよ、)
マイスウィート、マイディア。
あたしの唯一無二、ただひとつだけの愛しい子。
遠のく、潮騒。

「‥あ、ガソリン入れなきゃもたないな」

呟きは、一人で消えていく。
それに混ざるきょうこの柔らかな寝息。
あたしは、微笑んだ。
まるでこの世の終わりみたいに、夕暮れの空に残された色のやさしさはとめどない。
遠くはなれてもしおからい風は煙草の煙を連れて、あたしの肺をぶすぶすと溶かすように苦く混ざり合っていた。
きょうこの頬の泣いた跡が、ちらりと横目に映る。
膿んだものがじくり、じくじく、と這い出すのを感じて、ああ、安らかな、呼吸。
ただ、それをひたすらにいとおしく、そして静かに悲しいとおもう。
あたしは、きょうこが、すき。

(ごめんね)

不変、
叶わない。
だから、あたしの初恋は息も絶え絶え。
ばかみたくあんたをおもいながら、心臓のど真ん中にあいた穴をあたしは今日も自分の手で広げている、































































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