ハル、ハル、なあ、はる、
聞き取りにくいほどに小さく、そしてやさしくわたしは彼に名前を呼ばれた。

(ああ、彼の声はこんなにも、聞くとわたしを苦しくも愛しい思いにさせるようなものだっただろうか、?)

名前を呼ばれたわたしは、
学校の先生に名指しされたときのように緊張した声で、はい、としか彼に答えられなかった。
彼は薄く瞬いてもう一度だけ小さく、
ハル、
となんだかむずがゆくなってしまうような柔らかな声音でわたしを呼んだ。
はい。
同じようにまたわたしが声をもらすと彼はぷかりぷかりと煙を作り出している煙草を指ではさんで、
わたしたちの間に邪魔するものをなくしてしまってからまた小さく微笑んだ。
それは、とても優しく甘やかな笑み。

(あなたは、一体誰ですか。)

そんな言葉がぽろりと零れてしまいそうなほどに、
その微笑みは別人の浮かべるもののように柔和で、ふわふわと、
それでいてどこかとろりとしていてわたしを不安な気分にさせた。
だけど、
はい、と応えたきり、
わたしはわたしを呼んだ彼の瞳をじっと見つめて、辛抱強く彼が何かしら口にするのだろうと思い唇をきゅうと結んで待っているだけだった。
待っていた。
そう、わたしは、きちんと待っていた、のだけれど、彼はわたしをハル、と呼んだきり、見つめるわたしの瞳をただじっと見つめ返すばかりだった。
なんだか、どこか、怒っているような、泣きたいような、薄く角膜を潤す瞳はビー玉みたいに、わたしを不思議な色でとらえている。
そして、わたしはこれを知っていて、知っていた。

(そう、これは、彼特有のとても卑怯な合図なのである。)

おそるおそる瞼をおろして何も見なかったことにすれば、
安堵したかのように恐恐と骨張った指先が頬に添えられた。
カーテンの隙間から風に紛れて細く入り込んでくる陽光が、
きっと彼の日本人とはまるで違う綺麗な色の髪をきらきらと銀色にしていてとても切ないことだろう。
じんわり、
軽く閉じただけの境目に涙が滲んでしまうけれど、
いっそそのことに彼は気付いて罪悪感でも感じていればいいのである。

(だって、もう、さよならなんだっていうことさえもあなたはわたしに伝えてくれるつもりはないんでしょう?)
(ねえ、それならばこれくらいは許してくださいよ、)

ふっと、柔らかく触れたくちびるの先に温もりが広がる。
すこうしだけ、煙草のけむたさが残るのが彼らしいなと薄く笑いながら瞼を上げると、流れたけむりが目に見えない色に変わりながらわたしの鼻先をくすぐって、どこか遠くへ旅に出た。
彼の指には銀のリング。
そこに刻まれた模様のなんとちかちか眩しいことか。

「、ねえ、ごくでらさん。」

甘えたような声で呼びかけると、珍しく穏やかな眼差しでなんだと聞かれたような気がしたから、わたしは、すきですよ、と言い掛けた口を慌てて閉ざすことにした。
沈黙には沈黙を、である。
なので、伝えたい山ほどの悲しい気持ちや寂しい気持ちをぶつけるように、そしてその中に、今まで控えめに伝えていただけに終えていたわたしの密やかで情熱的な愛に気付いていただけるよう、わたしは、慎重に慎重に彼の唇を奪いにいった。
ちらり、薄目で見えるあなたの驚いた顔。

「ふふ、獄寺さん知ってました?明日は快晴らしいです。朝、天気予報のお姉さんがそう言ってました」

すると彼は一瞬、表情を止めながらもすぐに笑みを浮かばせて「そうか、」とだけ言った。
だけど、
ここにはあなたの居ない明日がやって来ます。

(あ あ、)
(びゅうびゅう、風がうるさくやんでくれない。)

いっそ、夢かと疑いたくなるほどに優しく微笑むあなたの紫煙はくゆって消える。
まるで、幻を見ているようだった。
思うわたしは、あなたにもう一度だけ最後のキスをして、お別れなんか言ってしまわないよう気をつけておく。

(だって、ずるいのはあなたもわたしも同じなんですからね、)

確信的な、わたしの笑みはゆるやかに窒息してゆく。
ふわり。
有害物質もろもろに犯された感覚器官は、そこに明日からあなたの残像を探してしまうに違いない。

(ああ、)

『明日は快晴』

『後に、あなたの消失が確認されることでしょう。』

ぼんやり、天気予報のお姉さんのまねを頭の中で一人芝居。
さみしい、

(でも、もう、あなたにさようならのお時間です。)

染み付いた匂いも温度も、今はまだすべてが鮮やかすぎるから、わたしは容易く嘆きそうになる。

(だけど)
(さよ 、なら、)

口にしない、できない、四文字が口内自殺を図ろうとして、

(ねえ、ごくでらさん、ハルは、ちゃんと上手に笑えていたでしょうか?)

離れてゆくあなたの顔、
(あ、)
それが、ちょっとばかり憂いとゆうやつを帯びた気がするから、わたしは、自然とにっこりしてしまう。

(ふふ、)
(ごくでらさん、ハルは、やさしいので、もう、これでおあいことゆうことにしておいてあげますよ。)

ね、そいだから、いとしいあなた。

(風邪など召さぬよう、)
(どうかどうか、お元気で。)











































さ よ な ら の 人





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