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ただ僕を選んで


 特級呪物を口にした話なんて今まで聞いたことがない。何せあれは猛毒そのものだ。口にした瞬間、不帰の客にならざるを得ないだろう。
 校内を駆け巡りながら、ぎゅっと下唇を噛む。
これは一つの可能性としての話だ。絶対にそんなこと嫌だし一番あって欲しくない想像だけど、でも、万が一。万が一虎杖君が両面宿儺を受肉してしまったとしたら私は。

 ーーー彼を殺すことができるだろうか?

「恵君!!!」

 無我夢中で走り恵君のもとまで行く。すると意外な人物が一緒に居て私は目をぱちぱちと瞬かせた。

「え?五条先生?」
「やっほー羽衣。いやあ恵もだけど羽衣も負けず劣らずのボロボロだね。駄目だよ女の子なんだから顔に傷作っちゃ」

 優しい声色を紡いだ五条先生が私の頬を親指そっと撫でる。それが傷に触れて少し痛みを感じたけれど、それよりも前に沸き上がるのは単純な疑問だった。え、何で此処にいるんだろう?今朝になって任務の同行ドタキャンしてきたから嫌々一人で仙台行きの新幹線乗ったのに。

「で、特級呪物見つかった?」
「そうだ!!虎杖君!!」

 一番大事なこと忘れ掛けるなんて私の阿保!

「ごめん。俺、それ食べちゃった」
「………マジ?」
「「マジ」」

 み、見た感じ意識は虎杖君のままみたいだ。でも明らかに虎杖君の呪力は変化しているし、両面宿儺を受肉していることはたぶん間違い無い。
 この場合如何なるんだろう、と首を傾げる。

「宿儺と変われるかい?」
「スクナ?」
「君が喰った呪いだよ」
「あぁ、うん。多分できるけど」
「じゃあ10秒だ。10秒経ったら戻っておいで」
「でも…」
「大丈夫。僕、最強だから」

 白い歯を見せながら笑った五条先生とほぼ同時に虎杖君が両面宿儺と成り代わる。

「生徒の前なんでね。カッコつけさせてもらうよ」

 そう言って特級呪物に指定されている両面宿儺相手でも危なげな様子を一切見せない五条先生。寧ろその表情には余裕が顕著に現れていて最強という言葉がこんなにも当て嵌まる人物はきっとこの先五条先生一人だけなんだろうなと思った。
 ひやあ、凄い。
    
「そろそろかな」

 10を数え切ったたその瞬間、身体の紋章がすっと消え今までの虎杖君に戻る。良かったあ。これで虎杖君を今直ぐにどうこうという話は無くなる筈だ。なんてそんなことを思ったけれど五条先生が虎杖君の額をいきなりトンと突いたので私は「ああっ」と声を上げた。

「ただの気絶だよ。これで目覚めて宿儺に体を奪われていなかったら彼には器の可能性がある」
「器……」
「さてここでクエスチョン。彼を如何するべきかな」
「……仮に器だとしても呪術規定にのっとれば虎杖は処刑対象です。でも死なせたくありません」
「…私情?」
「私情です。なんとかしてください」
「羽衣は?彼を如何したい?」
「わ、私も虎杖君に死んでほしくないです」
「クックックッ。可愛い生徒の頼みだ」

 任せなさいと親指を立てる五条先生の姿に私は今度こそ安堵の息を洩らす。虎杖君とは今日初めて会ったばかりだし特級呪物の受肉が怖くないと言ったら嘘になるけどそれでも死んで欲しくないと思った気持ちに嘘はないから、心の底から良かったとそう思えるのだ。あ、一つ忘れていたことがあった。

「恵君。怪我治すから手貸してくれる?」
「いや、でも羽衣さんも怪我」
「恵君は大事な人だから傷だらけのまま放っておけません」
「………」

 何やら難しい顔をしている恵君の手を半ば強制的に取り、呪力を流す。イメージとしてはただ増やすのではなく足りない部分を補強する感じだ。まあ私の反転術式は家入先生より未熟で精々傷を塞ぐ程度だし、何より自分の傷は治せない欠陥だらけの術式ではあるけれど。
 ある程度の傷を塞ぎ、はいできたと手を離す。これで今日も終わりだ。

「あれえ羽衣赤ちゃんタイム?」
「え、」

 五条先生にそう言われ、初めて自分が泣いていることに気付く。あれ?おかしいなあ。今日はずっと恵君と一緒に居たし途中から五条先生だって居たから一人の任務の時よりずっと心強かった筈なのに。怖い思いなんて大してしなかったのに、どうして。
 気持ちとは裏腹にぽろぽろと落ちていく涙。嗚呼もう感情がめちゃくちゃだ。

「全く、羽衣は何時まで経ってもお子ちゃまだね」
「ぐすっ、すみ、ま……っせん」
「あーあ。目も真っ赤だししょうがないなあ」

 まるで小さな子供の相手をするかのように五条先生は私の目元に溜まった涙を拭う。
 こんなにめそめそと泣くのだからお子様と呼ばれたって反論のはの字も出てこないけど、しょうがないと言ったその声が少しだけ弾んでいたように聞こえたのは私の気のせいなのだろうか。