ユキが勉強し始めたのは、いつからだっただろう。
万年赤点同盟が崩れた瞬間でもあり、思った以上に焦っていた自分がいた。
まあ宮村は俺以上に焦っていたけれど。
専門か短大に行くからもう勉強しないーなどとへらへら言っていた吉川とは全然違う顔を今はしている。なんというか、さわやかというか、しゃきっとしているというか。
まあ掘は今の吉川以上にしゃきっとしているけれど。
毒物といっても過言ではないケーキを作る回数がだんだん減ってゆき、そのかわりに吉川の目元にはくまが住むようになった。
まあ河野さんが作るクッキーの方がおいしいからいいんだけれど。
ぼーっと歩いていたらユキが後ろから突進してきて、ふたりでぎゃーぎゃー騒ぎながら帰っていたのに。最近はそんなこともなくなった。
今日もぼーっと歩いていたら、深緑色が目に入った。
彼女の手の中には生徒会室まで持っていくのであろう書類が抱えられていた。また廊下に散らばしたりしちゃうかもな。
「河野さん」
「あ、え、石川君」
「重いでしょ、持つよ。転んだりしたら危ないし」
「ごめんね、ありがとう。」
「最近、吉川さんと一緒じゃないね」
「あー忙しいんだって」
「本当にがんばってるんだね。無理させちゃだめよ、石川君。寧ろ石川君も一緒に勉強してあげなよ」
「なんで俺?」
「え、なんでって…吉川さんは石川君のために頑張ってるんじゃない」
石川君は頭のいい女の子がすきだから勉強がんばるって張り切って……あれ、これって言っちゃダメだったのかな、なんて言っている河野さんの言葉がすんなりと頭に入ってきた。
なんだ、そういうことか。
いつもいつも吉川の行動には俺が関係していて、今回のも俺のせいだったのか。うれしくない。今回のもうれしくない。黒焦げのチーズケーキもうれしくない。前回のもうれしくない。
“堀は勉強できていいな”
純粋に堀のことを羨ましがっただけであって、堀のことをいい女だと言ったわけではないのに。そんな日常会話の俺がいつ言ったかどうか忘れてしまっている一言にさえ反応してんのか。
ばかだ。
ばかな女だな、全く。
勉強は出来ないより出来たほうがそりゃいいけれど、出来すぎて宮村みたいに保健体育が満点だったりしたら俺の立場ないじゃないか。
ばかな女を呼び出して、勉強時間が減るからこういう呼び出しをやめろだとかごにょごにょ言いながらいやいやこっちに向かってくる奴をぎゅうっと抱きしめた。
「そのまんまでいい」
「ゆき、戻っといで」
「お前の98点とったテストより黒こげのチーズケーキが欲しいよ、俺は」
「俺はそんなゆきが好きだよ。」
10秒沈黙
「あーもー」
「何よいきなり、とーる、は、言葉が足りないんだよ、言ってくれなくちゃわかんないよ…あたしばかだもん、とーるのばか、ばか、ばかー」
ぽろぽろと大粒の涙とともにアイラインとマスカラがにじみ、目元のくまがいつもより濃くなっていった。
ぽたり、また黒い涙が落ちた。
黒こげ黒こげとばかにされていたチーズケーキをちゃんと作れるようになって、こげめをバーナーでわざとつけたクリームブリュレなんかをどや顔で作ってきて、みんなにおいしいって言われて調子にのったユキが製菓専門学校に行って、それが思いのほか天職で宮村の家に就職する。
そんな未来がいい。
ずっとみんなで一緒に居られる未来がいい。
そう言ったら、ユキはぎゅうっと抱きしめかえしてきて、ただ宮村と一緒に居たいだけじゃんか、と拗ねてから笑った。
ひさしぶりに見た笑顔にドキドキして、ユキに負けないくらいぎゅうっと抱きしめかえした。
「ずっと離してやれそうにないけど、いい?」
「っ、いいよ」
とりあえず家に来てゲームして出されたケーキを食べながらこれからの未来をふたりで妄想しよう。
卒業するまであとちょっとしかないけど、卒業してもずっとずっと一緒に居られる未来を勝手に計画してユキにはなそう。
きっとユキは照れを隠しながら同意してくれるはずだから。
おかえりただいま愛してる
2012.03.18
逆説からポロネーズ午後五時様へ提出