もちろん学生の夏休みというのは精一杯に遊ぶためにあるものであって、わたしは 決して一日中部屋に引きこもって、見たこともないような記号がずらずらと並んだ数学や、難しい単語をわざわざ辞書で引いてまで読まなきゃいけない英語や、朝から晩まで一行も進まないままの読書感想文をやるためにあるものではないと思う。うん 断じて違う。夏休みの本来の目的は、みんなで海に行って、きゃあきゃあ言いながらスイカ割りをしたり、花火大会に行って、買ったばっかりの浴衣を見せあいっこしたり、金魚すくいで競争してわいわいしたり、ついでに好きな人とばったり会っちゃうような、そんな楽しいイベントがたくさん待ってるはずなのに。それなのに 今のわたしの状況はどうだ。目の前に広がるのは真っ白なワークと教科書、それに電子辞書、ご当地キティちゃんのシャーペン、角がなくなって丸くなってきた使いにくい消しゴム、その他諸々。夏を感じさせてくれるようなアイテムはひとつもない。
この空間で夏らしさと言えば、目の前で下敷きをうちわ代わりにしてパタパタとあおぐ一之瀬くんと、弱々しい風を送る今にも壊れそうな扇風機だけだ。袖を肩までまくりあげたライトブルーのTシャツから見える引きしまった二の腕には、この炎天下の部活のせいか、半袖焼けがくっきりと出来ていた。男の子の腕だなあ。これを見てしまえば、たぷたぷのわたしの二の腕なんかはとても彼には見せられるわけがない。よって、もし海に行く時はちゃんとTシャツを持っていこうとこっそり決めた。

「…あついね」
「しょうがないよ。わたしの部屋、クーラーないもん」
「だから俺の家でやろうって言ったのになあ」
「ねえ!それよりプール行った方が絶対涼しいよ!」
「だーめ、課題終わらせてからって決めただろ」

相変わらずパタパタと左手を動かしながら、右手でシャーペンを走らせるという実に器用なことを平然とこなす彼を呆然と見てから、わたしは全く進まない自分のワークを睨んでみた。さっきと変わらず、真っ白だ。ちらりと前のワークを覗き込めば、さすがとでも言うべきか、順調に空白が埋まっているように見える。
わたしは今ごろ夏休みを存分に楽しんでいるであろう友達のことを考えてため息をひとつついた。それに気付いた一之瀬くんは、ワークの上を走らせていたシャーペンをぴたりと止めて顔を上げる。ずっと下敷きでがんがん風を送っていたせいで、そのブラウンの柔らかな前髪は上のほうにぴょんと跳ねあがって、あろうことかおでこが全開の状態になっている。いつもよりも少し幼く見える一之瀬くんに、わたしは勝手に頬が緩むのを抑えきれそうにない。

「先に課題終わらせとけば、後半たっぷり遊べるのに」
「一之瀬くん、おでこ!」
「おでこ?」

一之瀬くんは首を傾げ、シャーペンを持った右手で自分のおでこに触れる。と、前髪が跳ねていることに気付いたのか、頬を少しだけ赤くした。「かわいいよ!」絶対怒られそうだったけど、そうフォローすれば、案の定「あんまりうれしくない」という言葉が返って来る。押さえられた前髪が元通りになった一之瀬くんはいつもわたしが見ている一之瀬くんで、わたしはなんだか少し残念な気分になってしまった。そういう意味も込めてじっとと一之瀬くんを見れば、一之瀬くんは顔を赤くしたまま「早くワークやりなってば!」とわたしに言って、コップに注がれたソーダを飲みほした。その声はなんだかいつもよりも焦っていて、わたしはそれにもまた少し笑ってしまった。

「あーあ、今のせいでまたあつくなった」
「じゃあプール行く?」
「ワークが終わるまでだめ」
「そうか…」

そうか、プールに行くにはやっぱりこれを終わらせなきゃいけないのか。机の上に広げられたままの自分のワークを見てみる。もしかしたらさっきよりちょっとは進んでるかもしれない!と無駄な期待をしたわたしに ばかやろう!と大きな声で言ってやりたい衝動に駆られた。進んでるはずがないじゃないか。「俺、もう終わるよ」そんなわたしに無情にも降ってくる言葉。慌てて一之瀬くんのワークを見れば、もう半分以上の空白に答えが書かれていた。

「ええええなんで!」
「ちゃんとやってたからね」

終わらないなら先にプールに行っちゃおうかなあ、右手で器用にシャーペンをくるりくるりと回しながら、一之瀬くんが呟く。

「いじわる!」
「もう少しだろ、がんばれって」
「うう」
「ほら、俺も手伝うから」
「…うん」

そう言うと、一之瀬くんは机を挟んだ反対側のわたしの隣に座って、広げられたまま放置状態のかわいそうなワークを覗き込んだ。その途端に苦笑いになる表情。「もう少しどころか、全然進んでないなあ…」

「わたし、あとどれぐらいで終わるのかな」
「がんばれば1時間ぐらいで終わるんじゃない?」
「がんばる…」
「そしたらプール行こっか」
「行く!」

気合いを入れてぎゅっと握りなおしたシャーペンの先でキティちゃんのマスコットがゆらゆらと揺れている。教科書を見ながら英文の並べ替え問題を解いていると、一之瀬くんの右手がわたしの前髪にふわりと触れた。ねえ、さっきわたし消しゴムどこに置いたっけ?そう伝えようと思ったとき、前髪に触れていた手が前髪をそのまま上へと押さえつけた。これはさっき彼がなっていたおでこ全開の状態だ。いきなりすぎる不可解な行動にびっくりして声をあげるよりも先に、一之瀬くんが口を開く。

「ほら、俺より全然かわいい」

思わずそのあとに続く言葉を失ったわたしのおでこに、ちゅっというリップノイズと触れる唇。

「次 口にしてもいいよね?」

答える前にぱっと重なる唇。もちろんその答えはYESなのだけど。

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