わたしとヒロトは小さい頃から同じおひさま園で育った幼なじみみたいなものだ。もちろん血は繋がってないけど、ヒロトも晴矢も風介もみんな幼なじみよりもっともっと深い、家族と言っても間違えじゃないぐらい。晴矢にふざけて虫を投げられたときも、晴矢と風介のけんかに巻き込まれてもう少しで階段から落ちそうになったときも、ヒロトはいつも、いつだってわたしの王子様だった。まるで王子様みたいな自慢のお兄ちゃん。わたしとヒロトは同い年なのだけど、ヒロトの方が誕生日が少しだけ早いから、そういう意味でも本当にお兄ちゃんなのだ。いつだって。





ピピピピと朝からうるさく鳴り続ける目覚ましを、布団の中から思いっきり右手だけを伸ばしてばしりと止める。あと五分なら間に合う… 心の中でそうリピートさせて自分に言い聞かせていると、わたしの上に被さっていたふわふわの布団がバッと一気に捲りとられた。昨日の夜、少しだけ閉め忘れたカーテンの隙間から射し込む朝の光が、明らかに心地よいの度を越えていて、わたしはそれにぎゅっと強く目を瞑った。

「いい加減に起きろって!」

この声は晴矢だ。今日は晴矢が当番なのかあ、とぼんやり思っているとおしりを軽く蹴られる。もしこれがヒロトだったら絶対におしりとか蹴ったりしないのに。セクハラだ。「ったくトロいな!」はいはいうるさいなあ、何も蹴らなくったっていいじゃんか。そう文句を呟きながらのろのろと起き上がれば、そのまま右手を掴まれてパジャマのままずるずるとリビングへ引っ張られた。


「おはよう、早く食べなきゃ遅刻しちゃうよ。晴矢もね」

きつね色にこんがり焼かれた食パンにいちごジャムを丁寧に塗りながら、ヒロトは晴矢に連行されるわたしを見てくすりと笑った。つられてわたしもへらりと笑う。「おはようヒロト、わたしもいちごジャムがいいなあ」「じゃあ塗っとくからね」「ほら、早く顔洗ってこいってば!」いつものことだけど、風介はまだ起きてきていない。低血圧だから朝にはめっぽう弱いらしいのだ。晴矢はわたしをぐいぐいと洗面所のドアに押し込んだあと、階段をバタバタと忙しく駆け上がって行った。「起きろ!」上から晴矢の声が聞こえる。わたしの次の当番いつだっけ。下がってくる前髪をピンで押さえながらそう思った。



その日の夕食はわたしが好きなカレーだった。食べ終わって、キッチンからは晴矢がガシャガシャと食器を洗っている音が聞こえる。もう少し丁寧に洗わないとまた割れちゃうよ!そう叫んでも特に返事はなかったし、相変わらずガシャガシャという音は変わっていない。どうやら聞こえなかったらしい。風介はお風呂に入ってるし、リビングにはわたしとヒロトのふたりっきりだ。わたしはソファに寝ころびながら、帰りに買ってきた雑誌のページをめくる。ヒロトはというと、リモコンでテレビのチャンネルをくるくると回していたが、特に気に入る番組はなかったのか、やがてぱちりと電源を切った。

「そういえば今日さ、告白されたんだよ」
「へえ……えええ誰に!」
「同じクラスの子」
「ふうん…付き合うの?」
「…さあね」

他にもまだいろいろ聞きたいことはあったけど、風介がバスタオルで髪の毛を拭きながらリビングに戻ってきたから、その話は一旦そこで終わってしまった。次はわたしがお風呂に入る順番だ。仕方なくバスタオルとパジャマを取りに部屋に戻ることにした。そのときにもう一度ヒロトを見てみたが、風介と話をしていたから聞くことはあきらめて、リビングのドアを静かに閉めた。

湯船につかりながら考える。ラベンダーの入浴剤が入ったお湯はかすかに色づいていた。お風呂場は静かだ。ぽちゃん、ぽちゃんとときどき水滴が落ちる音しかしていない。ヒロトが告白されたのは今回が初めてじゃないことぐらいは知ってる。でも、そのことを言ってきたのは今日が初めてだ。わたしは うれしい?かなしい?それとも、くやしい?なんだかどんな表情をすればいいのか分からない。わたしはヒロトのことが好きだ。でもそれと同じくらい晴矢のことも、風介のことも好き。その好きはきっと、ヒロトに告白した子の好きとは違う、のに。ぽちゃん、また髪の毛から水滴が一粒落ちて水面に次々と円が広がっていく。ここはリビングと違って静かすぎる、落ち着かない。



さっきの風介と同じように、バスタオルで髪の毛を拭きながら脱衣所を出ると、ヒロトが薄暗い廊下の中、壁に寄りかかっていた。びっくして思わず短い悲鳴が漏れる。「ちょっと!びっくりさせないでよ…」「ごめん、そんなに驚かせちゃったかな」どうしたの、そう言いかけてやめたのはヒロトの雰囲気がいつもと少し違うように感じたから。もしかしたらわたしの思い違いだったのかもしれないけれど。

「ヒロト…?」

リビングのドアの隙間からわずかに漏れる出る明りと、その奥にふたりの声。晴矢と風介がまた口げんかしてる。とりあえず暗い廊下の電気をつけようとした右手は、ヒロトの右手によって押さえつけられた。その力が意外と強くて、わたしは思わず顔をしかめる。「痛い、」「ねえ」言葉を遮って降ってきたその声に顔を上げればそのまま、ヒロトの唇とわたしの唇が重なった。わたし、ヒロトに、キスされてる。そう理解した瞬間に、わたしの左手はヒロトの肩を思いっきり突き飛ばしていた。離れていく右手。バスタオルがわたしの肩から床へと落ちる。

「な、にして…」
「好きだよ、ずっと前から」
「わたし、」
「好きなんだ」
「…だってヒロトはお兄ちゃんで、」
「俺は、いつまでお兄ちゃんでいればいいの?」


分からない、分からないよ。だってヒロトはわたしのお兄ちゃんで、いつだってそうだったじゃない。家族はこんなことしないよ。そう言いたいのに、言葉の代わりに漏れる嗚咽がこの空間を占める。知らない、こんなヒロト、わたしは知らない。こんなのわたしが好きなヒロトじゃない。

「好きになって、ごめんね」


かなしくて、苦しくて、くやしくてわたしは泣いた。きっとヒロトも静かに泣いていた。リビングのテレビの音も、ふたりの口げんかも、今は何も聞こえない。わたしたちはこんなふうに泣いたことなんてなかった。わたしたちは気付けばいつでも笑っていた。晴矢も風介もみんなで。わたしは捨てられないように必死だった、もうひとりは嫌だった、だから絶対好きになっちゃいけないの。わたしたちはずっと、ずっと家族でいたいのに。

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -