※海賊


もう何ヶ月経ったか分からない。もしかしたら1ヶ月かもしれないし、1年かもしれない。窓も何もないここでは何を考えてもただの憶測にしか過ぎないということは分かっている。でも考えることはやめられない。いっそやめてしまえば楽になれるのに。なぜならわたしにはそれしかすることがないから。ゆらゆら揺れる船の船長室のベッドの上。ここだけがわたしの唯一のスペースだった。そしてキャプテン・アーサー・カークランド、それがわたしがこの世で一番、殺したいほど憎んでいる男。そして、

ガチャン、と重い錠が外される音がしてゆっくりと部屋のドアが開いた。思わずシーツを強く握りしめる。何も纏っていない肌に触れるシーツがやけに重い。わざと足音を立てながら近付く男を見上げる。少しくすんだ金色の髪、明るいエメラルドの瞳。アーサーはベッドのすぐ横まで来ると片膝を付き、わたしの顔を覗き込んだ。

「ご機嫌は如何かな、レディ」
「…最悪」

そう言い捨てるとアーサーは乾いた笑い声をあげた。重そうなルビーの付いたピアスがそれと一緒に揺れる。「まあ、いい」そう言って彼は羽の付いたハットを取り、ベッドの横に引っ掛けた。「前からずっと言いたかったけどそのハット、ものすごく悪趣味だわ」アーサーのシーツを捲ろうとしていた指先が少し止まって、それから一気にシーツを剥ぎ取った。きつく結んだはずの口から短い悲鳴が漏れる。また笑いが聞こえた。鎖骨を温かい手のひらがゆっくりとなぞっていく。中指にはめられた冷たい指輪との対照がまた恐怖を生んだ。吐く息が震える。「…そんなに怖がるな」そう呟いたアーサーの瞳にはわたしが映っていた。今までしっかりと見たことがなかったエメラルドの奥で光が燃える。不思議とさっきまでの恐怖は薄くなって感じられなかった。押し倒されたまま唇が重なる。心臓が苦しくなるような、そんなキスだった。唇が下りて鎖骨に触れる。この柔らかな快感を享受する醜いわたしはまだ、生きている。



強い船の揺れで目を覚ました。わたしは船乗りでもなければ海賊でもない。揺れには未だに慣れないのだ。ゆらゆら。常に不安定な床がミシミシと小さな音を立てている。辺りは真っ暗で、まだ暗さになれていないわたしの目では近くのものしかうっすらと見えない。仕方なしに隣で寝ているアーサーをぼうっと眺めた。彼に会って、わたしの人生はぐるりと変わってしまった。すべて。いっそのことあのまま殺してくれればよかったのに。そう思ってももう遅い。わたしだって分かってる。もう遅いよ。もうひと眠りしようと寝返りを打つと、何かが右手に触れたのを感じた。見てみるとそれはアーサーの愛用している手のひらほどのナイフだ。どこで盗って来たかは知らない。金色の鞘には様々な派手な宝石が埋め込まれている。相変わらず悪趣味、そう呟いて鞘からゆっくりと引きぬく。鈍く光る先端は酷く切れ味がよさそうに見えた。
ナイフを片手に持ったまま静かにアーサーの跨る。この喉元に思いっきり刺したら彼を殺せるだろうか。呼吸と一緒に揺れる喉を見つめた。いつの間にか目は暗闇に慣れていたようで、アーサーの体に付いたいくつもの傷跡も見えた。喉にナイフの先端を当てる。震える手に力を込めると皮膚を裂いて赤い血がうっすらと溢れた。もう少し、もう少しなのに。わたしの手は硬直したようにそこから動かない。

「なんだ、殺さないのか」
「…起きてたの」
「殺せないんだろ」

アーサーが言ったことを理解する前に右手を掴まれ、ぐるんと体勢が反転していた。ベッドが弾む。強い力で抑えられている右手が酷く痛んだ。わたしの右手にあったナイフは既にアーサーの右手にあった。そのナイフを数回手の中で回し、ピタリとわたしの喉に当てる。冷たい感覚が喉をゆっくり撫で上げ、先端が刺さった皮膚から血が溢れるのを感じた。アーサーの瞳がわたしを見下ろす。その目からは何の感情も読みとれなかった。波さえも立たぬエメラルドの海、なぜか恐怖心はない。

「俺はお前だけは殺せない」

ふいに顔を近づけ、わたしの耳元でアーサーは確かにそう言った。その言葉はすぐに空気に溶けて暗闇に消える。ナイフを鞘に戻し、アーサーはわたしの目の前にそれを差し出した。呆然とするだけのわたしの横にそっとナイフを置き、シャツを羽織り直すとそのまま振り向かずに部屋を出て行った。足音は無く、ドアの閉まる音と金具の錆びた悲鳴だけが後に残った。
どうして、どうしてわたしを殺してくれないの。どうして、わたしは彼を殺せない。あんなに憎んでいるのに、どうして。その答えはもう分かっている。それはわたしが憎むのと同じくらい彼を愛しているから。単純な答えだ、それでいてとてつもなく醜い。わたしは汚い人間だ。殺せず、愛せずにいる。わたしはずるい。
一人残された部屋は彼の甘い香りで満たされている。

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