キュッと彼が帯を結び直す姿、肩にかかった茶色い髪を払う手を、何かを耐えるかのようにかたく結ばれた口元を私はただじっと見ているだけだった。準備を終え、ゆっくりと立ち上がる。わたしを見つめる瞳。

「なんで」
「…しょうがないんだよ」

分かっておくれ、と彼は笑った。だめ、嫌。そんな諦めたような笑い方をしないで。わたしは俯く。彼がわたしの頭に手を置いて二、三回そっと撫でた。この優しい手が一体何人の命を奪ってしまうのだろうか。考えると胸が張り裂けるように痛む。

「先輩は忍者になんか絶対に向いてないのに」
「えー、皆から言われるなあ」
「…なれないよ」
「それは困った」

ならなきゃいいじゃない。思わず叫びそうになったその言葉を無理矢理飲み込む。今すぐ止めてどこかで町医者にでもなってしまえばいい。それで今までのことなんか全部全部忘れて、先輩に似合うような優しい人と結婚してお父さんになって、一生幸せに暮らせばいいよ。それなのになんで。なんで貴方が。

「…もし、」
「うん」
「もし先輩がいなくなったら、悲しむ人がたくさんいます」
「君も悲しむかな?」
「…当たり前です」
「そう。それなら僕は」

どうにかして君を悲しませてしまうことだけは避けないとね。といつものように笑って手を振った先輩の姿がまるで水をかけた絵のようにじわりと不快に滲んだ。嫌だ、手を伸ばす。待って、やめて!先輩、置いていかないで!叫ぶ。先輩はあの笑顔のまま滲んで、溶けて、わたしの中から消えてしまう。





ハッと息苦しさに目を開けるとそこは見慣れた自分の部屋で、わたしはいつものように布団の中にいた。肺が酷く苦しい。呼吸が浅い。気づくと頬の涙は、朝の鋭い空気に触れて冷えきっていた。
呼吸を落ちつかせるために、ゆっくり目を閉じる。瞼の裏に浮かぶのは後ろ姿、茶色の柔らかな髪が背中で揺れる。私を置いて行ってしまったあの先輩のものだった。

重い体を無理矢理起こして、障子を開けた。息を飲む。満開の桜が視界いっぱいに映って、わたしは思わずその場に力なく座り込んでしまう。善法寺先輩。あの日からもう二年以上も経ってしまいました。また今年も春が来ました。わたしはもう、同じになりましたよ。あの日の先輩と同い年です。わたしは、怖いです。置いていかないで、なんていうけど、本当は先輩のいないわたしの世界がどんどん加速して進んで、あなただけを置いていくことが、わたしだけが先に進んでしまうことが、怖くて怖くてたまりません。ねえ先輩、今日だけはまだあなたの後輩でいさせてください。この涙が止まるまで、せめてあなたの背中が消えるまで。

来なければいいと何度も何度も願った春は来てしまった。今日もわたしの世界はあなたを置いて進んでいく。

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