真っ白なキャンバス、ぐちゃぐちゃに置いてある絵の具、暖かい膝かけ、冷め切ったコーヒー。 描こうと思って座ってから、はやくも三時間が経過した。

「恋…赤、ピンク? ううう」

思わず声が漏れる。 ボーダーの仕事と美術系の大学院生を同時に務めるのは容易なことではなかった。 ある程度の配慮はしてくれるものの、課題を期限までに提出することができなければ単位がもらえない。そんな当たり前の事実に私は頭を抱えていた。
ボーダーの企業開発部で、しかもそれなりに良い立ち位置にいる私は最近、講義をろくに受けることもできなければゆっくり絵を描くことも少なくなっていた。 開発、課題、開発、課題の繰り返し。 真っ白なキャンバスに、世界を描くことが好きなのに、なあ。
と、悩んでいたところに先生が出した特別課題はやわらかいものだった。「テーマは恋です。みょうじさんの好きなように、好きなものに好きな色で描いておいで」皺を寄せて微笑んだ先生の、意図がよくわからなかった。 二十五にもなってこんな課題を出されるとは思わず、困惑した。 結果がこれである。

恋をしたことがないわけではない。わたしだって青春(と呼べるほど大層なものでないが)の日々を送ってきた高校生活があるし、大学に入ってからも恋をして、恋人がいたこともあった。 今だって、思い当たる節がないわけではない。ないわけではない、けど。

「みょうじ、」
「ひっ、うえ、あっ、東くん…」
「なんだその声」

声をあげて笑い出したのは、思い当たる節のその本人だった。開発室をひとつ借りて課題制作をしているので、ボーダー隊員がここに出入りするのはなんの不思議もないのだが、どうして戦闘員の、しかも東くんが。
(でも…)
久しぶりに彼に会えたことは素直に嬉しかった。同期入隊の彼と私は、それなりに仲が良かったが、お互いの仕事が忙しくなっていくにつれてボーダー内ですれ違うことすらなくなってしまっていた。だから会えたのは素直に嬉しい。柔らかな笑みが、落ち着いた雰囲気が、こんなにも私の中の掻き立てる。

「鬼怒田さんにお前が開発室からでてこないと聞いてな、きてみたんだ」
「ひさしぶり、だね」

口に出してから、間違ったと思った。 これでは会話が噛み合わない。もっとありがとうとか、いつもごめんねとか、鬼怒田さんが何か言っていたとか、ほかにもあったはずなのに。ひさしぶりだね、なんて、まるで会いたかったと言っているみたいだ。
悶々と私が悩むのを知るはずもなく、東くんは笑ってそうだなと言う。それから椅子をとってきて私の隣に腰掛ける。よく意味が分からずにじっと目を見つめると、困ったような笑顔が返ってきた。

「見ててもいいか、ここで」

チョコレートをひとつ差し出しながら、突拍子もないことを言いだす彼は変わらない。 入隊したときからずっと、そうだったのだ。
困ったときはいつだってそばにいてくれて、それでいてその優しさをひけらかすことはない。いつも私をどろどろに甘やかしてくれる東くんだから、この人に恋をしたのかもしれない。
けれど、好きな人が隣にいるのに今から恋を描くだなんて、それこそ告白のようなものじゃないかと思う。 私の絵は独特で、世界観があると先生は言ってくれる。そんな絵を、描くところから見られるなんて。 やっぱり、告白するみたいだ。

ああ、それでも、東くんのおかげでイメージが沸いてくる。色が頭を支配する。 桜のように淡いピンク、水色、濃紅、それから紺と紫。深緑に鮮やかなオレンジ。 いける、描ける。 …できた。

「うん、東くんに、見ててほしい」

そう言ってから返事も聞かずに筆をとる。絵の具をパレットに混ぜて水を加えて大きくて真っ白なキャンバスを私色で汚していく。
彼に伝われば良いと思う。 この世界ごと、伝われと願う。 告白のことばは、完成したときにまた考えよう。



このいはどうえたらいいの
(答えはもう、すぐそこに)


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