みっくん、みっくん。
二回彼の名を呼んで袖を掴むことが甘えたいときの合図になったのはいつからだっただろうか。振り返って私の顔を見るなりみっくんは溜息を吐いて、それからわらって「仕方ないなあ」という。彼のその笑顔がたまらなくすきで、どうしようもない。そうして私はまた二回彼の名を呼んだ。

時枝充という男は私の幼馴染だ。ボーダー隊員でありその実力はA級。それどころかあの広報部隊嵐山隊の一員だ。私が必死に病気と闘っている間、みっくんは随分有名人になってしまったらしい。手術がおわったとき、いちばんにみっくんにあいたいと思ったのに、その願いは彼の仕事によって叶うことはなかった。目が覚めて落ち着いた頃にテレビをつければみっくんが映っていて、そうして初めて私の知らない彼の姿を知った。…それから、こんなに甘えたになっているのかもしれない。

私が患っている病気は、三門市に住んでいなければ発症しなかったと言い切っても良いくらいにはこの世界では珍しいものだった。簡単に言えば、近界民の世界の病気が移ってしまったのだ。いつ感染してしまったのかはわからないけれど、地球の日本に住んでいる極普通の女子高校生である私のからだは確実にその病気に蝕まれている。

「なまえ、今日はなにしようか」
「みっくん」
「うん。 そういえばこの間、道端でね」

道端に咲いていた花が可愛かった、という話を始めたみっくんの表情は至って穏やかだった。みっくんは決して、私に学校の話もボーダーの話もしない。私が本当に聞きたいのは道端に割いている可愛いお花のことなんかじゃないし、昨日のテレビがおもしろかったはなしでもない。知っているくせにね、と伝えられないのがもどかしい。

言葉を、わすれてしまった。 正確に言えば、みっくん 以外の音を発することができなくなった。

偶然近くに来ていた近界の、偶然送り込まれたトリオン兵に、偶然その菌がくっついていたらしい。それを偶然、吸い込んでしまったのが私だった。ボーダーにいる近界民に詳しいひとに調べてもらったところ、なんだか難しい名前の国ではそう珍しくない病気らしい。そのひとがいちばんたいせつにしてきた言葉以外を言えなくなる病気。それが私が患っている病気だ。

「…そろそろ、」

みっくんが時計をちらりと見て、それから腰を上げる。名残惜しむように私の頬にそっと触れて、それから前髪を梳いた。間を置いてから「いってきます」と言った彼の背中に、手を伸ばしてみる。気づくことはなく、振り向くこともない。いってらっしゃい、と私は今日も言えないまま。


実のところ、この病気を嫌だと思ったことは今までで一度たりともない。最初は戸惑い、困惑ばかりだったけれどそれでも嫌だと思うことはなかった。そのひとがいちばんたいせつにしてきた言葉以外を言えなくなる病気。なんて、素敵な、病気でしょうか。

「みっく、ん」

誰もいない病室に、唯一発せられる音がぼたりと落ちる。みっくん、みっくん。あなたがどうしてボーダー隊員になったのか、どうしてA級なんて位置にまで上り詰めることができたのか、あなたの口から聞きたいの。他の誰でもない、あなたの声で聞かせてほしいの。 ここまでしてもらって、わがまま、かなあ。

みっくん としか言えなくなった私の声を初めて聞いた彼の第一声は穏やかなものだった。病状をすでに知っていたみっくんは私に何を言うわけでもなく、問うわけでもなく、ただ「なあに」と言って微笑んだ。その優しい表情が頭からいつだって離れない。みっくん、みっくん。私にとってあなたは、世界のすべてだったことを病気にかかって初めて知ったよ。なにも言ってくれやしないけれど、みっくんも、もしかしなくたって、

君も同じいでいるといいな


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